2007年5月31日木曜日

カップラーメンにまつわるお話 その2

そう、このあたりからラーメンの逆襲がはじまるのです。

家に帰りすぐに、また吐きました。
やはり、ラーメンです。
もうその気持ち悪さといったらはなはだしく、よろつくようにベッドに戻りました。

それからまたトイレに行き、吐きました。
これも、ラーメンです。

母親が心配してバケツをベッドまで持ってきてくれました。
それから夜中に1~2回は吐いたと思います。
バケツに。
ラーメンを。

夜中にまた起きました。
すると、様子が何やらおかしいことに気付きました。

・・・ベッドが濡れています。
はじめ、寝小便かと思いました、18歳で。

それも、どうやら違います。
“小”ではなく“大”の方でした・・・。

・・・いや、厳密に言うと“大”ではなく、それは“ラーメン”だったのです!!!

「ラーメンさん、ゴメンナサイ!!!
 もう食べ過ぎないから・・・つД`」・゚・。・゚゚・*:.。 」

↑そりゃもう、こんな心境です。

次の日起きた瞬間から自分の体内に水分がないことはなはだしく、
何リットルの水を飲んだか知りません・・・。

でも、このさらに翌日くらいからはまた1個くらいは食べてました。

・・・はい、前置きはこれくらいにしまして、
「前置きかよ!?(((( ;゚Д゚))) 」
このカップラーメン好きは海外に出ても変わることはありません。

・・・少し話しは変わりますが、
「舌が肥えていない証拠だよ。」
なんて言われたことがあります。

しかし、こんな私でも某ホテルに2年半勤めていたこともあり、
そこではベルとフロントにて夜勤をしていました。
夜勤をしていると夜食にシェフが差し入れを持って来てくれるのです。
ホテルのシェフが作る夜食です(時々ディナーの余りとか)。

果たして私の舌が肥えているかどうかは知りませんが、
パンより米! フレンチより吉野屋!! イタリアンよりカップラーメン!!!
てのが私の心髄になっています。。。

男子として。

また長くなっちゃったんで、次回に続きます。

2007年5月30日水曜日

カップラーメンにまつわるお話 その1

皆様、こんにちは!カップ苅部です。

一昨日ベルギーに舞い戻って来て、未だバタバタしておりやす。
あと5時間後くらいにはひと段落します。
ところで、全く個人的な話ですが、私の一番の好物はカップラーメンです。

子供の頃から何故か大好きだったのですが、
 ・塩分の取り過ぎ
 ・インスタントものは身体に悪い
という理由で、スープを全部飲むのを禁じられていました。

(隠れながら)1日一個食べるのもやっとでした。

それが今になって爆発したのでしょうか・・・、
というか、爆発しっぱなしです。

これは私の、“カップラーメンをここまで好きだ!”という自慢なのですが、
カップラーメンの食べ過ぎで軽く脱水症状になったことがあります。

【注】ここから先、御食事中の方は読まれないで下さい。
   汚い話になってしまいます・・・。


18歳の、まだ若き高校生の時の話です。
この週は特にエスカレートして、一日3個カップラーメンを食べていました。
スープも全部、です。

まず最初か次の授業で早弁をします。
(マンガにあるように教科書に隠れながらする、アレです。
 実際バレバレなんですけど・・・。)

昼にコンビニに行って弁当と味噌汁代わりにカップラーメン
学校が終わって、おやつ代わりにカップラーメン
晩飯を食べた後、
22時~23時頃に小腹が減るので一日の締めにカップラーメン
これが約一週間続きました。

事件当日は忘れもしない、高校最後の体育祭打ち上げの日です。
1次会のカラオケが終わり、これから公園に行って酒を飲もう!
という時です。

急激に気持ち悪くなってきました。
それは自分でもはじめての種類の気持ち悪さで、
この一大イベントを断念して家に帰ろうと決心したほどでした。

家に帰る途中、道端で吐きました。

そこでびっくり!昼に食べた味噌ラーメンなのです!
でも覚えてます、コーンが混ざっていました。
場所もはっきりと覚えています。

このあたりから、ラーメンの逆襲がはじまるのです・・・。

2007年5月29日火曜日

白耳義到着

 やっと到着、そしてやっとネット接続成功・・・。

2007年5月26日土曜日

和の極み

 銀座を歩いていたら、
とあるビルがオープニングセレモニーをやっていました。

その見世物は、和太鼓



写真だとすっごくわかりにくいですが、思わず見入っちゃいました。。。

ところで、
和太鼓と言えば、鼓童


世界で活躍する、日本が誇る生粋の和太鼓チームであります。
http://www.kodo.or.jp/

この鼓童をこの目に見るために、佐渡島に行ったことがあります。
うまくその稽古場を見せていただきましたが、
ついにこの時ほど時間が経つのを早く感じたことはありません。
打つ時の表情は人にあらず、の如く、その神秘さに泪。

大好き和太鼓。

そうだ 佐渡、行こう。


大きな地図で見る

2007年5月25日金曜日

中国&日本

こんな記事を見ると嬉しくなっちゃう。

http://jp.ibtimes.com/article/general/070524/7887.html

今まで色々とあったかも知れない。

「それは個人にあって、国にあらず。」

坂本龍馬が周りに反対されながらも、
武市の仇後藤象二郎に会ったのもしかり
一方、後藤象二郎側から見ればその叔父吉田東洋の仇の片割れ、
坂本龍馬に会ったのもしかり

それだけではない。

この2人は、関が原より生まれる土佐独特の身分の争い、
言わば双方は因縁敵対する上士と郷士の頭同士だった。
それでも2人は会った。
日本の為に、会った。
しかも、どちらも過去のことは言わなんだ

とにかく、中国と日本が手を結んだら凄いことです。

だからこんな記事があると、嬉しい。

表参道にいってきた

 久しぶりに表参道に行ってきました。

思えばこの街に通勤していた時代もあり、それが今にまで繋がり、
それだけに懐かしい。

大きく変わったのは何と言っても表参道ヒルズの出現でしょう。

前の風景も情緒があって良かったですが、私的には今ももの凄く大好き。
歩くだけで
これだけ体中全身でセンスを感じられるところはですな。

そこで、改めて足を止めたのがワシントンクラブ



どんだけお洒落なんだ、この公衆便所。

2007年5月24日木曜日

日本の志士が集う場所に行ってきた


行ってきました、








きっかけは今のオフィスで目の前にいるダイヤモンド王が行って、
“久坂玄瑞が武市半平太宛に書いた手紙”が置いてあるということ。

今ひとつは最近見に行った映画に出て来るんです。
「俺等が次会う場所は靖国だ。
 鳥居をくぐって三本目の桜の木の下にしよう。」

俺は、君のためにこそ死ににいく 

恥ずかしながら靖国とは、第二次世界大戦の志士を祀って
いるものだと思っていました。でも、違うんですな。

元は幕末、日本を回天させる為にその志半ばで斃れた数多くの志士達、
戊辰戦争や西南戦争、日清、日露、大東亜戦争と日本を憂いた
生粋の日本人達が集まる場所。

遊就館をはじめ、こりゃ一日では周れんわい。

2007年5月23日水曜日

言葉の違い タイ語編

まだタイに住み始めて間もない頃。

カフェに行き「コーヒー」を頼みました。
すると、びっくりくりくり、くりっくり。

店内の人の8割、9割くらいの人が (いや、大げさではなく)
こちらを見て笑っています。
中には2度見するくらいびっくりしたような人もいました。



タイでは通常コーヒーのことを「カフェ」と呼びます。

ちなみにアイスコーヒーは「カフェ・イェン」
ホットコーヒーは「カフェ・ロ~ン」

皆さんもタイでは「コーヒー」ではなく、「カフェ」と頼みましょう。
(コーヒーの意味は私の口からは言えましぇん)

ちなみにきちんと「coffee」の発音がされていれば問題ありません(特にF)。
日本語発音の「コーヒー」は危険思想です。

2007年5月9日水曜日

国税庁による差し押さえ物件⇒ネットオークションへ

 国税庁が今までに税滞納者から差し押さえた物件について、
インターネットオークションにて公売を始めるようです。

この物件、絵画や貴金属が大半のこと。
ちらっと見ましたが、結構いいもん揃ってますな。

よろい飾りなんかもあったりして。
なんと見積もり価格2万5千円!!! すげぇ。

何かこのオークション安そう!

参加申し込みは今月17日から30日まで。
期間中に一部の国税局で物件の下見会も開催する。

入札期間は6月5日から7日。
詳細は国税庁ホームページへ

2007年5月8日火曜日

チョンキンマンションに泊まってみた

香港

かつてのアヘン戦争で、その後の運命が全く変わることのなった場所。
大陸内までほんの少しいっただけで人は全く英語が喋れないのに、
(WhatやWhenの意味もわからない、そんな次元)
この香港では誰もが喋ります。

まぁ、当然といえば当然なのですが、少しだけミステリーを感じますな。

街並みも中国本土のそれとは、少しきれいめに変わっています。
基本的には中国ですけど。
日本人にはなじみの店もあり、昼は吉野家、夜は和民、みたいな。

ところで、
チョンキンマンション(重慶大厦・Chungking Mansion)
ってのがあります。
九竜半島側にあるマンモスゲストハウスビルです。

香港は、先にも申した通りきれいな街ですが、
このチョンキンマンションは一種の異様な空気を漂わしております。

まず、意味不明なのが、
1階のビル入り口には常にインド人がうろうろしてます。

ホントに、常にいます。
別に何をしているわけでもありません。
何をしてるんでしょう?
ご存知の方は、教えて下さい。

さて、このチョンキンマンション、実は1つのゲストハウスではなく、
このビルに多数のゲストハウスが混在しているのです。
いくつあるかは知りませんが、100以上はあるんじゃないでしょうか?

中も何ともいえない雰囲気で、
基本的に暗く、閉まっているゲストハウスもあり、
一人ではとても行きたくない場所ですね。。。
でも、友人なら逆に連れて行きたい!という何とも魅力的なところでした。。。
逆に逆に言うと(?)彼女は連れて行ってはいけない場所です。

行かれたことがない方は行ってみて下さ~い!!!

2007年5月7日月曜日

坂本龍馬・西郷隆盛の会談

龍:「いま天下は」


龍:「幕と薩と長によって三分されている。
   他の藩などは見物席で声をひそめちょるだけで、
   存在せぬのもおなじですらい」


龍:「その三者のうちの長のみが、
   よわり目にたたり目で、さんざんなめに遭っちょる。
   気息えんえん、
   路傍に血をながして倒れちょる剣客とおなじですらい。
   それを」


龍:「薩は、幕と組んで、棒をあげて打って打って打ちまくってきた」

西:「いや」


龍:「わかっちょる。物のたとえです。
   路傍の長べえも打たれてばかりは居よらん。
   ぐるりと取りまいちょる日本人のなかから、
   有志じゃ有志じゃと叫びながら
   飛びだしてくる諸藩の浪士の助太刀を借り、
   死力をふるって立ちあがり、
   剣を舞わしてとびかかって来ようとする。
   斬りかかれば薩人も
   武士の意地じゃというわけで剣をふるって闘争する。
   それをじっと見ちょる者がある



西:「異国でごわすな」

龍:「三者が闘争してたがいに弱まるのを待ち、
   異国人どもは日本領土を食らいあげてしまおうとする。
   そうなれば
   将軍も薩も長もごった汁になって異人の胃の腑にはいる。
   そうなれば後世、
   薩長をもって国をあやまったる賊徒としてあつかうでござろう」


西:「されば、幕は?」

龍:「幕は、これはどうにもならぬ。うわさでは幕府のさる高官が、
   フランスからばく大な金と銃器を借り、それをもって長州を討つ、
   というはなれわざを考えているらしい。
   徳川家一軒をまもるために
   日本をフランスに売りわたそうとしている。
   薩摩藩はそれでもなお幕府と手を組みなさるか」


以上、坂本龍馬と西郷隆盛の会話。
「司馬遼太郎著“竜馬がゆく”より抜粋」

彼が仮にいなかった場合、日本人は今、日本語を喋っていたのだろうか。

2007年5月4日金曜日

セカンドライフに日本語!?!?!?!?

皆さん、ご存知でしたか?

セカンドライフに日本語が!!!

使える。

http://www.barks.jp/news/?id=1000031398

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