2008年3月25日火曜日

4度目の金縛り

 え~、全くこのブログの主旨とは異なるんですが、
人生にあまり何度も経験しない事なのでそのまま記載させていただきます。
では、どうぞ。



人生4度目の金縛り。



左に向いて寝てたら



子供が乗って来た。



かぶさる様に、



手見えたし。



何故かわからんけど



子供ってのがわかった。



意識は明確にあった。



でも体は動かない。



目も、もう開けられない。



まず最初に何故か



目を開けようとした自分がいた。



たぶん、まずその正体を



見てやろうと思ったのだろう。



かすかに目が開けて来ると



その視界の5%くらいの



ところに何かが見える。



それを追っていっても



5%しか見えない。



(ここからイメージの中)



ベッドから落ちた。



すると何かがこぼれて



床が氷水でいっぱいに溢れた。



気がつくと舌がいっぱいに出て



元に戻らない。



体がゆうこときかない。



必死にもがいて鏡を見ると



髪の毛が何ヶ所か抜けてハゲてる。



黒い服は水でびしょびしょ。



やっと立てた。



そこで目が覚め、自由になった。





以上、呪縛解放後に半睡眠状態で残したメモより抜粋。

2008年3月17日月曜日

写真撮り事件

写真撮り事件、他にもあります。
エジプト、王家の谷。

ツタンカーメンを始めとするエジプト王のお墓。
各墓の入口には“写真撮るのダメ!”というメッセージボードがあります。

いやダメだと言うなら当然、守ります、マナーですから。
しかし、
端の方にあったその墓には、
“写真ダメ!”のメッセージボードがありませんでした。
・・・撮っちゃいました。
と言っても僕じゃなく、その時いた仲間なんですけど。

だってないんですもん、ボードが。

すると、大変。
向こうから番人が向かってきます。


こんな番人。(写真はイメージ、ホントはもっとおじいちゃん)

有無を言わさず仲間のカメラを取り上げようとしました。
すかさず、その場で撮った写真を説明しながら目の前で消しましたが、
とにかく英語が通じない。

デジカメをよく理解できないらしく、こっちは英語で、
あっちはアラビックで無用の押問答。。。



別にこんな話も聞きました。
国名は敢えてふせますが、
とあるアフリカの国で、その人は普通に写真を撮っていたらしいんです。
街並みを。

そしたら突然兵隊に囲まれ、1時間ほども銃をつきつけられていたとか。
どうやら写真を撮った家が、偶然にも大統領婦人の家だったらしく、
スパイだと思われたようです。

むやみに写真は撮ってはいけないのですね。

2008年3月12日水曜日

写真撮り

 だいぶ前、
ヨルダンに行こうとして入れなくて、
また今出国したイスラエルにまた入国した時の話

なんですが。

行列なんでスよ。
粋に。
まぁ、それはいいんスけど、みんな順番を守らない。
で、人と人の距離が近い。

後ろの人とか身体がくっつくまで近寄って来る、ゲイですか、と思うくらい。
かといって自分が日本の感覚で間隔を空けると割り込まれる。

まぁ、こんな突っ込みどころ満載な風景をネタにしようと思い、
写真に収めた瞬間、向こうの人が私を呼んでいる。
ちょっとっている。

「何で写真を撮った?」

から始まり、

「何でイスラエルに今日帰ってきた?」

「イスラエルで何をする?」

「いつからいる?」

「何回目だ?」

「何処に住んでる?」

「一人か?」

「いつまでいる?」


と、例の質問攻撃
今日何回目でしょう。

とまぁ、結局写真を撮ってはいけなかったようで、
撮った写真も消されて、せっかく並んだ列もまた最後尾から。

こんなところで、やっぱりむやみに写真を撮るべきじゃない。

2008年3月10日月曜日

Tの主張

某アジア国と仕事をしていた時の話。
「この日には絶対に送らなければいけない!」
という大事な商品がありました。

人生プランを立ててもなかなか計画通りに行かないように、
モノづくりというものも、
その工程でさまざまな問題が発生するものです。

その商品も、最後の最後になってとある問題が発生し、
ギリギリになって発送予定当日には結局送れなくなり、
何とかお客様に連絡して発送を数日(2日くらい)引き延ばしてもらいました。
日本サイドの工程も全部ズラしてもらったのです。

ちなみに、
この商品は特殊な加工をする商品で外の工場と連携して製作していました。

そしてその加工は、最後の工程となるわけです。
そうです、
前回もこの最後の工程で失敗したので、
その日すぐに綿密な打ち合わせをし、2日後に備えました。

翌日何回か確認の連絡をしたところ、

「問題なし」

「問題なし」

「問題なし」

との事。


さて当日
朝に即効連絡を入れました。

「問題なし、昼過ぎには持っていけるよ」

うんうん、良かった。
外は雨が降ってきました。何故か雨が降ると心も晴れないものです。

昼過ぎに再度確認の電話。
すると別のスタッフが出て、

「今会社を出たところだよ」

そうですか、出ましたか。
じゃぁ30分もすれば着くでしょう。


30分後経過。



45分経過。

遅いです・・・。



1時間経過。

遅い!
電話をすると、また別のスタッフ。

「まだ帰ってきてないよ」

ん~、渋滞しているのかな。
この街は雨が降ると渋滞になります。

刻々とFedExの集荷の時間が迫っております。



・・・。



・・・。



来ない・・・。



また電話してみました。

「ハロー」

えっ?
何でアンタ、そこにいるんですか?


商品は?どこ行ってたんだ!?







出た。

、ましたよ。

「雨降ってたから、子供迎えに行ってたんだ」
「商品、明日でいい?」


・・・。
子供迎え行ってるし。
明日でいい?って今日もう間に合わないし。
しかも事後報告だし。

精神力が鍛えられました。

2008年3月7日金曜日

イスラエルとデビアス社の争い

というわけで、皇国・日本に到着しました。
感想としては、口にするもの全てがことごとく美味しいです。
甚だ美味しい、いちいち美味しいです。
今後とも、宜しくお願いいたします。

ダイヤモンドに関して、こんな歴史があったのですね。
参考までに。


 ユダヤ人の悲願は自分達の国を持つことでした。 そして第二次世界大戦後にようやっとイスラエルの建国にいたります。 その後、ユダヤ人国家イスラエルはダイヤモンド産業を国の基幹産業の一つとして育成します。 具体的にはダイヤモンドの輸出入に関税を掛けないなどの優遇策を講じて、ダイヤモンド産業を急速に発展させました。 ダイヤモンド産業の発展が如何にイスラエル経済に貢献してきたかは想像以上のものがあります。 1949年にはたった 512万ドルだったイスラエルのダイヤモンドの輸出は 1960 年には 5632万ドルに 1970年には 2億204万ドルに 1980年には 14億906万ドルとなります。 なんと、加工ダイヤモンドの輸出がイスラエルの全輸出の約四分の一以上を占めるまでになったのです。(イスラエルから日本への輸出額の約7ー8割がダイヤモンドであると言われます。) この発展の陰には国際金融界を牛耳るユダヤ系の資本とデビアス社を始めとするダイヤモンド産業に関わるユダヤ人の連携があったことは言うまでもありません。

 しかし、イスラエルのダイヤモンド産業の発展に伴い、ユダヤ国家としてのイスラエルの国家利益と、ユダヤ系とはいえデビアス社のカルテルとの間に問題が生じるようになっていきます。 イスラエルの急激な発展でこの時期にアントワープのユダヤ系を中心にした加工業者に数千人の失業者がでたと言われます。 他方、イスラエルのダイヤモンド産業は次第に力をつけてきて「もう一つのデビアス」と云われる程の力を持つようになります。 そしてついにはインド資本を巻き込み(デビアス社から買った原石の又買いをする)、軍需の分野で親しい南アフリカともはかり(デビアス社を通さない直接買い付けをする)、など、原石の買い付けから研磨加工、輸出まで全てを牛耳りたいとゆう考えを持つに至り、デビアス社と対立するようになったと思われます。

 1978年にデビアス社はデビアス社の支配を脅かすイスラエルのダイヤモンド産業に対して、原石割当量の 20% 削減を通告したのです。 イスラエルは反撃して南アなどからのデビアス社を通さない原石の直接買い付けにより、原石の在庫量はほぼデビアス社と同じレベルに達したと云われます。
そしてイスラエルがデビアス社と争った結果、ダイヤモンド原石は供給過剰になり、デビアス社によるダイヤモンド市場のコントロールが利かなくなり、大暴落が始まったのです。

 その結果、イスラエルのダイヤモンド産業は、一時、1980年には 14億 900万ドル(235万カラット)まで輸出を伸ばしたのですが、その後は、デビアス社が国際金融界を通じてかけた圧力、特にイスラエルのダイヤモンド産業に融資した銀行や、直接イスラエルと取引に応じたアフリカ諸国や業者への徹底的な圧力に屈してしまいます。
そして、イスラエルのダイヤモンドの輸出は 1982年には 9億 400万ドルに 1983年には 6億 2500万ドルまでに落ち込み、数千人の研磨工の失業者を出します。 そしてイスラエルのダイヤモンド産業は再びデビアス社のコントロールの下に置かれるようになるのです。 

 現在では、原石の買い付けはデビアス社、研磨加工はイスラエルという住み分けが進んでイスラエルのダイヤモンド産業も以前の活況を呈するようになってきています。



以上、「購入者の側に立ったダイヤモンド入門」より抜粋。

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