2008年6月30日月曜日

篤姫正助

昨日はですね、ちょいとイベントがありまして、
涙が溢れんばかりでした。というか、完全に垂れ流れてた。
垂れ流し と言えば、先週の篤姫、これには参った。



正「おいは くやしかです」

正「おいは・・・ おいは・・・」

正「今日から になりもす」

母「あなたが 鬼なら 私は 鬼の母になるだけのこと」




もう、すごい。

小学生の時行った華厳の滝が如く涙した。

わかる、わかるぞ、正助どん。

ってか、メディアの影響力は すごい。

あの大久保利通の好感度が今、僕の中で急成長している。

2008年6月27日金曜日

卒業論文

ひとつの卒業論文をココに紹介。



「夢」   


ぼくのゆめは、一流のプロ野球選手になることです。

そのためには、
中学、高校で全国大会へ出て、活躍しなければなりません。

活躍できるようになるには、練習が必要です。

ぼくは、その練習にはじしんがあります。

ぼくは、3才~7才までは、半年位やっていましたが、
3年生の時から今までは、
365日中、360日は、はげしい練習をやっています。

だから一週間中、友達と遊べる時間は、5時間~6時間の間です。

そんなに、練習をやっているんだから、
必ずプロ野球の選手になれると思います。

そして、
中学、高校で活躍して高校を卒業してからプロに入団するつもりです。

そしてその球団は中日ドラゴンズか西武ライオンズが夢です。

ドラフト入団でけいやく金は、一億円以上が目標です。

ぼくがじしんのあるのは、投手と打げきです。

去年の夏ぼくたちは、全国大会へいきました。

そしてほとんどの投手をみてきましたが、
自分が大会ナンバー1投手とかくしんできるほどです。

打げきでは県大会、4試合のうちに、ホームランを3本打ちました。

そして、全体を通した打りつは5割8分3りんでした。

このように、自分でもなっとくのいくせいせきでした。

そして、ぼくたちは、一年間まけ知らずで野球ができました。

だからこの、ちょうしで、これからもがんばります。

そして、
ぼくが一流の選手になって試合にでれるようになったら、
お世話になった人に、招待券をくばって、
おうえんしてもらうのも夢の1つです。

とにかく一番大きな夢はプロ野球選手になることです。




卒業論文と言っても小学生のものである。

作者は、鈴木一郎、

世界のイチローであります。

口だけではなく、すでに激しく行動していること、
将来が明確にイメージされていること、
そして、何よりもこの時点で感謝の気持ちが発生し、
その還元の仕方まで考えていることがすごい。

・・・みたいなことを、この卒業文を僕に送ってくれた方が言ってました。

ま、正にその通り、感服するしかない。

2008年6月26日木曜日

参禰其弐


パソコン。




コーラ。




夏。




それも、常夏。




ひぇ~

2008年6月25日水曜日

参禰写真


えっさ




ほいさ




どっこいしょ




だー

2008年6月24日火曜日

生類憐令

 江戸幕府第五代将軍、

徳川綱吉。

生類憐みの令は徳川綱吉が出した極端な動物愛護令で、
「犬はつなぐな、鳥や動物はもちろん、蚊、のみまで殺すな」
という滅茶苦茶な法令だった。
この法令で処罰された人の、ウソのような話がある、
嘘の様で本当の話がある。

1686年に小姓の伊東淡路守基久は、
仕事中にほおに蚊がとまったので思わず手でたたいて殺してしまった。
そばにいた人に、「顔に血がついているよ」と言われて紙で血をふいて、
手を洗って仕事を続けた。

このことが上の人の耳にとどいて、
法令に従わなかったので中部地方へ流罪となった。
そばで見ていた人も、このことを上に届けなかったとして罰を受けた。

このように動物を殺して流されたり、死刑になった人はたくさんいた。
綱吉は、人間も動物なんだとは思っていなかったのだろうか。

2008年6月23日月曜日

三国同盟

――東洋を、洋夷の手からどのようにして救いだすか。

というのが、筆談の主題だった。わるいことに、そこへ例の西門の〇〇人衛兵が、ちょうど交代下番したらしく、下番した連中がぞろぞろ陳家に入ってきた。かれら「洋夷」はシナ人とみればどういう貴人の家にでも平気で踏みこんでくる。

<中略>

「――ならぬ」

と、晋作は筆をとめてふりかえり、そうきめつけたあと、こんどは陳汝欽にむかい、この洋夷どもの礼のなさはきわめて不愉快である、辞去したい、と書き、最後に、

「日本はやがてかれらの野望をくじくつもりだ。大清国もいずれそうであることを望む」

と書き、門を出た。
※以上、世に棲む日日より抜粋




今日、政治上さまざまな問題はあるにせよ、勝海舟の三国同盟に、一票。

中国なくして今の日本はあらず、韓国も同様、同志である。

一昨日、微力ながら四川大地震に貢献つかまつり候。

2008年6月20日金曜日

泰水掛祭

 สวัสดีปีใหม่

さて、前回はお祭りのお話しになりまして、未だにいか踊りの余韻にひたっているわけですが、全国各地にはさまざまなお祭りがあるもんです。僕の故郷にもやはりお祭りはありまして、それがなんと!1300年以上前から行われていることを、今年初めて知りました。1300年てすごいですよね、だって、まだこの世に武士が存在してない。

あと有名どころで言えば、京都の祇園祭りなんてのは、絶対行きたいもんですな。それと、徳島のよさこい、ですか。これらは今後行ってみてから尽忠報国、いや間違えた、その都度報告をしたいと思います。

ところで、文頭に記載されてあるへんてこりんな文字はですね、「サワディーピーマイ」と読むんですが、そういえば、このくらいの単語ならば、なんとか読めるようになってしまいました。まぁ、すでにお察しの通りタイ文字なんですが。僕が初めてこの文字を見たのは、友人がタイに行って、その友人の名前を現地の人に書いてもらった時、「こんな文字、読めないよねー」なんてくっちゃべっていたのが思い出されます。

サワディーピーマイとは、Happy New Year、つまり、新年!やったぜ!という意味なんですが、日本の年末年始の様に、タイでも1週間くらい休むわけなんです。で、聞いた話によると、毎年この正月に、500人くらい死人が出るようなんです・・・。

さて、正月休みの前日、つまり、日本で言う年末の大掃除!みたいな日に会社に行くと、すでに殺気が充満してるわけなんです。私が勤務していた企業は、タイ人の職人が100人以上いるところでして、基本的に若い子達が多いんです。平均年齢は20代前半でしょうか。となるとですね、やっぱりやんちゃな子がいるんですよ。わんぱくな子が、いるんです。

結論から申し上げますと、タイの正月は新年、というより、“お祭り”のムードが濃い。有名な水掛祭りであります。この「祭り」と呼ばれる戦はですね、見ず知らずの人にも水をかけ合い、楽しむものです。その水をかける行為自体が「敬意を払う」という意ですからもうタチひろし、いや間違えた、タチ悪い。言い方を変えると無礼講、わかりやすく言うと下克上の戦国時代、こりゃ山本勘助が必要だ。

要するにですね、僕が殺気を感じるのは、そのやんちゃでわんぱくな子を筆頭にですね、視線を感じるんですよ。ってか、明らかにニヤニヤしてる。やばい、スキを見せると斬られる。1週間くらい休むんで、その仕事締めに集中しようとするわけなんですが、もう、みなの雰囲気が、正月気分全開になってる。全快に全開になってる。足が浮き足立って、目がすでに泳いでんの。

いやさすがにですね、会社の中であからさまにバケツでざぶ~ん!とはいかないんですが、どうゆうわけやら、ベビーパウダーも顔に付け合うのもルールみたいなんです。あ、今ウィキ見たら、メンソール配合のベビーパウダーで、冷却効果を高めるためらしい。暑いですからね、そうだ、言うの忘れてた、ってゆうか、ご存知かも知れませんがタイの正月は4月でしてね、タイでは1年を通じてもっとも暑い時期なんです。

まぁ、とにかく、水もそうなんですが、ベビーパウダーを顔に塗った落ち武者のようなタイの職人さんたちが次第に現れ、社内をウロウロし始めるんです。


で、さっきのやんちゃで、わんぱくな子がいるじゃないですか。もうその子なんて、そのパウダーをうまく自分でメイクして、

デーモン閣下みたいになってるんスよ。ヤダ。絶対つかまりたく、ない。って思うじゃないですか。だから、話が前後するようですが、仕事に忙しい振りをして、スキを与えないようにするんです。それでも、上記の通り、正月なんで、もう通用しない→群雄割拠→下克上→乱世→戦国時代→ベビーパウダー、という流れになるわけなんです。間違いない、事件は現場で起こっている。

で、そのパウダーを顔に塗るのもですね、「良い年になりますように」なんて言いながら塗って来るわけですから、礼として断れないんですよ。若い子だけじゃなく、会社のナンバー2の人も塗りに来てくれるもんだから、完全にこれは文化の違い、素直に感謝を表して受けるわけなんです。

でも、

閣下には塗られたくない。

だって、遠くからニヤニヤして、時にはどこかに隠れてて、そいでもって追っかけてくるんですよ、閣下が。・・・な~んてね、ホントに嫌がってるわけではなくて、そこから逃げるのが、また楽しい。でも、つかまると、ベビーパウダーの餌食。正月休み前の仕事おさめの日は、毎年そんなでしたね。毎年閣下から逃げてたような気がする・・・。

2年目、3年目なんてのは、たしかバンコクから離れてどっか行ってたと思うけど、はじめの年なんてのは、私もこの水かけ祭りに参戦しようと思いましてね、バンコクにいました。朝起きるとですね、思ったより市内は閑散としていてですね、異様に静か。それもそのはず、バンコクは東京の様に田舎から来ている人がほとんどなので、みんな田舎に帰るんですよね。だから、市内中心は、結構静か。



でもね、外に出てみると、

こんな車がところどころにいらっしゃるわけなんですよ。もう絶対閣下の仕業。ヤダ。やっぱりつかまりたくない。

さきにも記載した通り、「見ず知らずの人でも」ですからね。わかりやすく言うとみなごろしの剣、とにかくその行為自体が「敬意を払う」もんだから、どんなにキレイな服を来ても、それを受けるべきだし、ましてや怒ってはいけない。ってか、こんな日にキレイな服着る人いない。

で、参戦したわけなんです。大和の心として赤いハッピを着てね、

こんな感じで友人の車にタンクぶっこんで、街をうねりまわるわけなんです。




道沿いにはずら~っと人が待ち構えていて、水のかけ合い。




欧米人も結構参加してます。




もう、女だらけの水泳大会 みたい、ポロリしてる。



まわっているとですね、やはりここが関が原みたいな激戦区はありましてね、びっくりしたのが、川の水をすげーでかいポンプで汲み上げて、消防車が如く撒き散らしてる。川の水汚いし、こりゃ反則ですよ、だってすごいんだもの、あれはホントに消防車並み。ちなみに歳三は最後の方、陸軍奉行並。

夕方にもなってくるとですね、もうエスカレートして、水の中に氷を入れてくる輩もいる。真昼間から水被ってるもんですから、ただで寒いのに、この氷水がコタえる。冷たいし、ってか痛い。硬いじゃないですか、ふつうに。もうここまで来ると喧嘩ですよ。「氷はダメだ!」みたいな感じで。稀代の軍師・山本勘助が必要な敗勢だったんですが、なんせこの頃は勘助の存在を知らなかった。

で、まぁこの水かけ祭りは楽しいことばかりではなくてですね、問題もあるようです。ここは、ウィキの言葉を借りて申し上げます。


一方、この様な無礼講の祭による問題も多数起こっている。ソンクラーンの期間中には人々がお祭り気分に包まれるため、飲酒した状態での車・バイク等の運転が多くなると言われている。また、無礼講ムードに包まれることから、走行中の車・バイクに水をかけることも多く、水を被ってバランスを失った酔っぱらいドライバーが事故を起こすこともある。このためタイにおいてはソンクラーン期間中が一年でもっとも事故数・事故死者数が多いとも言われる。さらに、「祭り」であるため法律で保護されており、この期間中に水を被って何らかの被害にあっても損害賠償を請求することが出来ないと言う問題もある。



で、毎年500人くらい死んでる、と聞いたんです。もう、タイ人懲りないから。でも、タイ人のこうゆう性格、好き。すぐムードに包まれるの。選挙の前日はお酒飲んじゃダメ、とか。何故なら二日酔いで選挙来ないから、とか。むふふふ。



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2008年6月19日木曜日

函館名物

函館に着いたのは、たしか夕暮れでした。

函館といったら、やっぱり行くじゃないですか。

この夜景。→即、向かいました、函館山。ナポリと香港と並んで世界の三大夜景ですからね、これは行かなきゃソンソン♪てな感じだったんですが、今ウィキ見てたら日本だけなんスね、世界三大夜景!なんて言ってるんは。まぁ、なるほどきれいではあったけど、記憶に残るは、観光客多い。

で、取り急ぎ北海道はでっかいどう は初上陸だったので、やっぱり食べたいじゃないですか、海の幸。僕なんか、カニとかウニ、それからマグロは北海道でしかとれない!おいしそう!とか勝手にイメージしている人ですからね、北海道と言や聖地ですよ、違う分野での萩や高知、鹿児島みたいなもんです、京都とか。イクラに関する私のイメージは近年発達して、北海道はでっかいどう 以外でもロシアでとれることを知った。

いや、とにかくですね、函館山の夜景、というか、観光客が多いその場所をあとにして、海の幸を求めに函館市街に向かったわけですよ。向かう先はただのレストランじゃありません、やはりここまでキタのだ、新鮮なのを食したいですからね、東京で言う築地!みたいな市場にレッツらゴー。そして、市場を歩いてるとですね、やけに目に入った看板を発見。

丼ドン亭。

なんか妙に心に響く名前じゃないですか。そう、丼ドン亭とは、大きな鐘の様な名前だ。小さく打てば小さく響く、大きく打てばお~きく響く。なんかそんな魅力に打ちのめされましてね、吸い込まれるように丼ドン亭に入っていったのでした。

注文は何にしようか。イクラ丼か?ウニ丼か?それともその両方のダブル丼か。いや、そしたらカニはどうする?マグロ丼って作戦もあるが?相手は大きな鐘だ、こちらの出方によって、それ相応の戦をしかけてくるぞ。決して小さく出るな。こちらが小さく出ようものなら相手は、本当はものすごい海の幸を持ち合わせているのに、その小さな注文通りの品しか出してくれないぞ、よく考えるんだ、俊雄。そんな思惑を巡らしながら、その大きな鐘の攻略法を探していたのでした。こんな時に、山本勘助がいてくれれば。

で、結局到達した答えが、コレ→「名物ください」。すごい。よくやった。大きく打ちましたよ。今自分でも思い出しながらタイピングしてるんですが、我ながらよくやった。人生初めて上陸した北海道はでっかいどう の地で、しかも相手は大きな鐘、小さく打てば小さく響く、大きく打てば大きく響く←このお店、いや、もはや城と言っても過言ではないだろう相手に、山本勘助顔負けの城攻めをした。もはや、自分でも何言ってるかわからない。

したら、店員の皆さん声を出して揃えて言ったものがありましてね。それがちょいと意外、イクラでもウニでもない、マグロでもカニでもない、しかも丼ドン亭って粋な名前のわりには、丼ものでもない。でもまぁ、店員さんが声揃えて名物って言うから、ソレ頼みましたよ。イクラとかウニ丼は明日にしとくかってな感じで。

で、出てきたのがコレ。

イカの踊り食い。

なるほど、これは粋ですな。イカには悪いが、これ以上新鮮な食べ方は、ない。(食物連鎖ということで勘弁してください、イカさん)今自分の手元にスキャナーがないので、丼ドン亭で撮った写真を掲載できないのが残念至極に存知まするが、上記写真の様に、目の前でさばいてくれる。

口の中ではまだイカは動いていてですね、それが何ともまた新鮮、まるで口の中でイカが踊っている様です。「目玉も栄養あってコリコリしてて美味しいよ」ということで食べるのですが、これを生類憐みの令を出した五代将軍徳川綱吉が知ったら絶対斬首!大変!などとは微塵も思いもせず、おいしくいただきました。

さて、今日は何処で野宿するか、なんて思いながら夜の函館を歩いてたんですよ。そしたらなんか、祭りでもやってるんですかねぇ、ゴキゲンな音楽が少し遠くながら聞こえるじゃないですか♪その音源地に近づいてみます・・・。

いか♪いか♪いか♪いか♪いか踊り♪

ふふふ♪面白い。なんかですね。僕が大好きなノリの音楽がどんどん近づいてくるわけですよ♪この祭囃子は確実に僕の心をビートしやがってですね、わかりやすく言うと大きな鐘みたいな僕の心を叩いてくるのですよ。しかも、イカの踊り食いを食べたあとに。いやいや、ネタじゃない、嘘の様でホントの話、てか、ネタの様でホントの話。

函館名物 いか踊り♪
いか刺し 塩辛 いかそうめん♪
もひとつおまけにいかポッポ♪
いか いか いか いか いか踊り♪
ソレ♪
いか いか いか いか いか踊り♪
ソレ♪
いか いか いか いか いか踊り♪
ソレ♪
いか いか いか いか いか踊り♪


わぉ その大通りに出ると道路を埋め尽くすその人が、踊ってる♪なんかですね、具体的に言うと、その踊りの行列の前に車(トラック?)が先導していてですね、その車の上にDJブースがあって、そのDJが、こう、うまく盛り上げてくれるわけですよ、それを筆頭に、皆がいか踊りしてる。



で、さらにゴキゲンなことに、なんか、全員参加なんですよ、ノリが。僕なんか、その日初めて上陸した本州の浪人にすぎないのに、みんな誘ってくれる。それも強要するものでもなく、そのゴキゲンな踊りを見てると、踊らにゃソンソン♪と思えてくるから不思議だ。で、まぁ、その行列に入ってみるんですが、うまく踊れない。このサイトを見て練習して、いつの日か再戦したいと思っています。そういえば、もうすぐか、いか踊りの季節は・・・。


そうだ 函館、行こう。


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2008年6月17日火曜日

百足外伝

 百足(ムカデ)とは、毘沙門天

の使いであったのか。



「百足は軍神 毘沙門天の使いじゃ
 百足は常に前に進む 決して、退かん
 軍神のご加護のもと、大いに戦陣を駆け抜けよ」




痛いわけだ・・・

2008年6月16日月曜日

江戸思草

 最近、確実叩いた言葉が、これだ。



【江戸思草】 
 江戸っ子は自分の見識を尊重した。相手を思いやる事を第一義とした。自分を磨き、そして相手を尊重すること、身分や血筋、門閥に捕らわれず、自由な発想が出来る人間を「江戸っ子」として認めたのである。ここには、江戸時代という封建制のなかにあっても、それに拘束されない、自由人たる江戸っ子の生き様が見えてくる・・・ 


「お心肥やし」 
 江戸っ子は教養豊かでなければならないということをこう呼んだ。ここでいう教養とは読み書き算盤のほか、人格を磨く事が何よりも大切なのだという意味合いが強く込められている。 


「打てば響く」 
 江戸っ子はすばやく対応することを身上とした。当意即妙の掛け合い、初対面で相手を見抜く眼力など、その切れ味が真骨頂とされた。 


「三脱の教え」 
 初対面の人に年齢、職業、地位を聞かないルールがあった。相手を思いやる心と、人を肩書きだけでは判断しないという、何事にも捉われない意気込みがみてとれる。 


「時泥棒」 
 江戸城の時計は一分の狂いもない正確なものであった。このため、幕府に仕えている武士ばかりではなく、商人たちも時間には厳しかった。現代でもまったく、同じことなのだが、都会人のマナーというべきであろう。 
<※筆者補足: 断りなく相手を訪問し、または、約束の時間に遅れるなどで相手の時間を奪うのは重い罪にあたる。江戸では「時泥棒は弁済不能の十両の罪」と言われていた。>


「はいはい」 
 物事を頼まれた時の返事は「はい」の一言でよい。一人前の大人に返事を繰り返すことは、目上の人に向かって念をおす行為と受けとられ、してはならない失礼とされていた。 


「往来しぐさ」 
 往来でのマナーのことである。狭い往来をすれ違う時など、ちょっと会釈をし、「肩引き」をして、お互いがぶつからないようにするとか、雨のしずくが相手にかからないように「傘かしげ」をするとかいったような、ちょっとしたエチケットのことをいった。こんな素振りも粋にみえる。 

以上、稲荷重蔵氏 論文より抜粋。





さらに江戸しぐさでは、次の5つが本質とされている。


1)約束を守ること 
 「ここで言う約束とは、書いたものでなく『口約束』です」と越川さんは指摘する。「現在は口約束というと、いい加減で守られない約束と思われがちですが、江戸では最上の約束とされていました。口約束を果たすのは江戸っ子として当然。約束した後には『死んだら御免』と言い、自分が死なない限りは必ず守る決意を示したのです」と越川さん。「現代でも、書面を交わさないような小さな約束でもきちんと守る人は、信用に値すると思いますね」


2)見て分かることは言わない 
 誰が見ても分かることを口にしたり、読めば分かることを聞いたりするのは、稚児のする野暮なこと。「痩せてきた人に『痩せたわね』と言ったとします。その人がダイエットしたのではなく体調が悪かったとしたら、とても不用意な発言になりますね」と越川さん。「見て分かる事実をあえて口にすることは、時として相手を傷つけることがあるのです」。 


3)結界覚え 
 自分の在り方や立場を客観的に把握し、他人の領分を侵さないようにすること。その道の専門家がいたらその人に任せ、自分から出張ったりしない。


4)人のしぐさを見て決めよ 
 相手の経歴など、表面的なことだけで人を判断するのではなく、実際に会ってその表情や身のこなしからその人を見通す力を養え、という教え。 


5)尊異論 
 自分と異なる意見を持つ相手のことも、尊重すること。 

以上、東京自由大学 越川禮子氏へのインタビューより抜粋。





・・・おかげさまで、flash無事インストールできました。
結局セキュリティ解除しただけ・・・

2008年6月13日金曜日

残念無念

 flashがインストールできない・・・。
色々試したが、もはや自分の範囲外です、
誰か助けてくらさい。

2008年6月12日木曜日

古的八四

 このブログを辿っていくと、こんな記事があり、
で、
この記事↑を書いた日にはまだそこに住むとは思わなんだ、でした。

本日、そこ(hostel)の画像を友人が教えてくれたので、
此処に報告いたします。

ココに住んでました↓↓↓



夏、最高!

2008年6月11日水曜日

莫逆朋友

西: 「貴公はそう言わっしゃるが、拙者の渡韓のことは
    すでに前の廟議にて決まっていることでごわす」


大: 「その廟議がどういうものであったか
    自分は不在だったから存ぜぬ」


西: 「そりゃ貴公、本気の一言か」

西: 「拙者ども(留守の参議たち)も、参議ごわす。
    貴公らが外遊なさっちょるからとて、国家の大事を捨てておけ申さん。
    前の廟議は留守の参議がきめた。決めて何の悪かこっがごわす。
    三条太政大臣も御同意なされ、お上も御裁可くだされた」

大: 「拙者どもが不在のあいだは、
    国家の大事は決めてはならんとう約束で御座した」

西: 「左様な約束は知り申はん」

大: 「そりゃ、いまになっせえ、卑怯じゃごわはんか」


 といったとき、この一言は西郷という可燃度の高い感情に対して
を投げたようなものであった。薩摩人がもっとも憎む悪徳は卑怯ということであり、もしこの言葉を投げつけられて刃傷沙汰に
及ばない薩摩人はない
といわれた。

西: 「お控えやんせ」


 と、西郷は吠え、拳をあげてテーブルをはげしくたたいた。

西: 「どちらが卑怯か、一蔵どん、おはんの胸に問うてみなされ」

 と言い、身を乗り出している。

~以上、翔ぶが如く より抜粋。



子供の頃から莫逆の仲だった両人、ついに激突

どれだけ莫逆かってゆうと、
かつて西郷が藩から島流しにされる時、大久保は刺違えて死のうとした程。
(当時島流しとは、死を意味していた)

2008年6月9日月曜日

大久保卿

翔ぶが如く を読み終えた。

この人、

大久保利通を私は勘違いしていたかも知れません。

幕末期を通じて見ると、彼の印象は陰湿なイメージを否めない。
その“役目”や“性格”からしてどうしても。

例えば、
武市半平太より坂本龍馬、
久坂玄瑞より高杉晋作、
というように、
実務家である大久保は、どうしても表面に立つ派手な西郷の陰に隠れがちだ。

私も、裏面工作をするただの陰湿な  としか見てなかった。

だが、違う。
大久保は、すごい。
好きにはなれないけど。

彼が仕事をした明治10年間は、
単に 江戸時代からのシステムを覆して、
列強に対応すべく近代国家の基礎を作っただけではない。

それは江戸時代はもとより、室町期、あるいはその前の鎌倉期から
続いている何ものかを終わらしめることでもあった。

これが出来るのは、あの当時あるいは大久保くらいのもんで、
果たして大久保はこれを成し遂げた。
彼はそれだけに、「(10年間)なにもできなかった」と言っているが、
一番重要な大革命をやってのけてしまった。
すごい。
好きではないけど。

旧主君である島津久光からの圧迫、
莫逆の仲であった西郷吉之助との思想による分裂、
同じ国の仲間であった薩摩士族からの強烈な反感、
これらの真相も知らずに執拗に批判してくる木戸孝允、
これらを振り払い、
敢えて彼は日本国民からの嫌われ役をその全身で引き受け、
冷徹に徹し、革命にとりかかった。

注目すべき点は、
この革命を大久保自身が乗り気ではなかったことだ。
その証拠に何度か身を引いている。
しかし、やると決めたら最後まで責任を持つのが大久保で、
いつも途中で投げ出してしまうのが西郷、という。

その苦悩の10年間を通じて、大革命だっただけに
彼はさまざまな反感をその全身で受けたが、
これだけは誤解されたくない、と思っただろうことは、
西郷との友情であった。

世界情勢を含めて今後長い日本を想ってやった仕事、
というより、彼が後世に残したかったのは、
吉之助どんとの友情、ここら辺がかっこいい。

すごい、一蔵どん。
好きにはなれないけど。
を通し、あり、信念あり、何と言っても度胸あり、仕事ができ、
世界でも稀な大革命者

紀尾井坂でも、拝みにゆきますかな。

2008年6月6日金曜日

京都御所

さて此度3月にいった京都巡りでは、

京都御所 偶然にも公開していたので、中にも行って参りました。



ココ、孝明天皇も起居されていたところ。





そうだ 京都御所、行こう。


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2008年6月5日木曜日

百足物語

武士に二言はない。

べつに僕が武士だから、とか、そうゆうのじゃなく、単純に、好きです、この言葉。すると当然、“有言実行”、この言葉も同じくなってくる。言ったら、やる。口ではいくらでも言えますものね。だから、行動によって示す。そもそも、行動しないと、何も始まらない。それから逆に、自分の言葉にそれだけの責任を持つ、そんな思想でもあるわけです。

身近で例えると、約束は、守りたいですね。当たり前のことではあるんですが。解りやすく言えば、出来る範囲でドタキャンはしない様に心がけています。約束した日程があるとします。突然、その約束より自分にとって魅力ある案件が出来たとします。こういった場合でも、その魅力ある案件を自分の中で押し殺し、はじめの約束の方を貫き通したいな、と、こう思うのです。

誰々が来ないのなら、とか、前日徹夜したから、とか、風邪引いてるから、とか、大雪だから、とかは考慮する範囲に入れず、約束をしたか、してないか、を第一に考えるやり方。もっとも、微妙な場合は「行けたら行く」という表現も使う。微妙な表現ではありますが、当日になんなきゃ解らない場合も多々あるから、しょうがにゃい。

後は、仕事面でしょうか。日本では特に、目立つ場面ではあります。言ったことが出来ない、あるいはやらない人は次第に信頼が薄れ、この競争社会で生きられなくなってしまう。お客の立場からすれば、そこがダメなら他にも競合他社がいて、要するにお客がサービスを選べる立場にいる。

こういったことを考えると、やはり有言実行は、心得ておきたいキーワードであります。言で発したことを、行によって表す。ものごとの筋を通すには、言葉ではない、行いによるもの。

つきつめれば、敢えて言葉にしない方法もあるんですが。「世の人は 我を何とも 云わば云え 我が為す事 我のみぞ知る」、この精神です。つまり、事を起こすには時勢、要はタイミングがあり、その流れをつかむには発する言葉をも使いわけする。例えば、言葉を発する相手、タイミングによっては、敵をつくることもあり、仲間を作ることもあり得るということですな。

逆に、言葉を敢えて発し、自分に言い聞かせる方法もあります。例えば、情熱を出す方法として、以下の様なものがあると聞きます。声を大きく出す→少し早口で話す→その中でもただの早口にならない様に句読点の位置などで、きっちりメリハリをつける→その言葉に微笑みを乗せる。なんてのを本で読んだことがあります。これは重ねて言いますが、言葉の発し方により、自分の情熱を引き出す方法。

後は、言葉に出してから、考える方法。言ったからには、やるしかない、という気分。言うことにより、自分に言い聞かせてるとも言えますね。

高校は置いといて、私、専門学校は2回の授業を休んだ以外、全部出席しました。全然誇れるような実績じゃないんですが、それでも2年間、通いました。高校は置いといて、専門は。これは一重に自分が「行きたい」と言って、親にお金を出してもらっていた、ということに限ります。片道1時間半かけて。

専門学校というのは、年頃的にも遊び心が咲き乱れている時期でありまして、しかも私の場合、花の都大東京ということもあり、毎日が刺激あったわけです。しかし私は行きましたよ、授業だけは。高校は置いといて。

新しい仲間にカラオケ誘われても、前日から朝6時まで呑んだ時も、同じく前日から朝7時まで徹マンやった時も、付き合い悪ぃなと思われようが、何だろーが、授業だけは行きました。高校は置いといて。やはり自分が行きたいと決めて、行かせてもらってるところでしたからね、そういう概念は、基本的に頭にありました。

でも、2回は授業休んだ時がありました。まぁ、これも大したことではないんですが、一つ目はただ単に教科書を忘れて、教室に入れてもらえなかったこと。二つ目は、親友が恋にホントに悩んでいたので、その為に飛んで行ったこと。どちらも、後ろめたい理由ではない、です。

さて、専門以降はどうでしょう。高校は置いといて。つまり社会に出てから、です。もう社会に出て10年ですが、出勤をせずに休んだことは、、、残念ながら一回あります。10年で一回。これがどんなもんか知りませんが、悔しくも一回、休んでしまった。

39度の熱で吐く様な体調だろーが、400%全開二日酔いだろーが、フロントで接客中に寝てしまう程睡眠不足だろーが、バイク便の時高速で居眠り運転して降りるべきインターを過ぎてしまうくらい完全寝不足だろーが、スノボで怪我をして顔半分治療してよーが、武士に二言はあらず、宜敷出勤すべしとのことで出ていました。

しかし、そんな私も、一回、休んでしまった。高校時代は置いといて。

それは社会に出て1年目の、ちょうどこの時期のことでした。そう、社会に出た私は、所謂軽い五月病を通り抜けたくらいの(たしか)6月(くらい)。勤め先は某プリンスホテルでしてね。学生時代から抜け出て、社会の厳しさを知り始める、そんな時期でした。職場の皆さんともやっと馴染んでき始めたか、ってくらいで、でもお互い、どんな人間かはまだわからない。

そんなある日の朝、今日も元気に出勤だ、そんな気分を思わせる良い天気でした。玄関に出て靴をはいたところ、なんか違和感があったので、一旦脱ぐじゃないですか。皆さんだったら、どうされますか、こんな時。

作戦A: 一旦脱いで、カカトの部分をトントントンと叩いて、中のものを取り出
      そうとする
作戦B: 一旦脱いで、おもむろに手を突っ込んで、感触で確かめる
作戦C: 一旦脱いで、中をのぞいて、目で確認する
作戦D: 違和感がある程度だったので、気にせずそのまま履く










答えは、作戦Bです。答え、というか、私は作戦Bで対応しました。
すると、イタぁぁぁぁぁぁぁあぁあぁああああああっっっっ!!!!










で、出てきたのがコイツ。


刺されました。ムカデに。余談ですが今PCで打ってて、ムカデって漢字で書くと、百足なんだって初めて知りました。そんくらい興味ない百足に人指し指よろしく刺されました。

すぐさまその悲鳴を聞いた祖父が登場。孫が百足に刺されたことを知った祖父は、即刻、百足と対戦、というか、祖父の一方的な猛攻撃で百本の足を持つ(?)モンスターを撃沈。「このやろ!こうしてくれる!」みたいなことを言いながら、撃沈。ってか、怒りを顕にしてた。大東亜戦争にも行ったこの祖父を、ちょっと頼もしげに思った。

でもまぁ、武士としては百足に刺されるくらい、何ともありません。しかも、逃げて背中に負った傷なら、時代が時代なら軽くて蟄居、重くて斬首ですが、この傷は正真正銘、正面から奮戦して負った人差し指の傷、云わば男の勲章とも呼べるものです。やったよ。オレ、やってやったよ。そんな達成感の余韻には浸ってはないです。

ともかく、時間もないんで、家から駅まで原付を走らせたのでした。

刺されたのは右手の人差し指です。チクっとした痛みは残っていたのですが、それが運転中にどんどん広がって来てですね、なんと、掌全体に痺れてくるんですよ。びっくりした。いや、びつくりした。それだけじゃない、その痺れは次第に腕まで広がって来て、運転どころの話じゃない。

止まってはみたものの、「止まってらんない」と私の脳が判断し、やむなく左手で原付のアクセルまわして運転。もう、明らかにコレ、“毒”ですからね。そして今、その毒がリアルに自分の体を侵しつつあるわけです。ホントに命の危険を感じた。救急車呼んでる場合じゃない、家に助けを呼んでる場合じゃない、自分で病院まで運ぶしかない、と判断を下したのです。

んで、原付で10分くらいのところにある大学病院まで、やはり左手で運転して、それこそ物凄い剣幕で何とかたどり着いたわけです。もうこの時には大変な状況になってましてですね、まるで正月と盆がいっぺんに来て、パンダPと選挙で勝ったオバマ氏が同時に偶然訪ねてきたくらい大変、もう痺れが肩まで来て(マジに)、ホントに、ホントに、冗談抜きで、右腕は切断せざるを得ない、と思った。

いや、今思っても、この時が今までの人生で一番痛かった。5mくらいの高さから落ちてその間にある鉄筋にぶつけて頭から血だらけになり頭と顔を縫った時よりも、あるいは鼻の骨折って2cm横にずれた鼻を2本の棒突っ込んで一気に元の位置に戻した時よりも、この百足の方が痛かった。

そんな痛さで、病院にやっとついたはいいが、大学病院なんでね、やっぱり混んでるわけですよ。もう正月と盆がいっぺんに来てるくらい大変な状況を説明してですね、なんとか先生に拝謁。なんとまぁ、最近の医学はすごいもんでして、薬を塗ったか、注射したか忘れましたが、とにかく、痺れもなくなり、チクっとしてるくらいの状態におさまりました。

しかし先生曰く、「今日一日は安静に」という通達を下し、僕も二度とあんな目に逢いたくない、武士に二言はなんたらかんたら、とか、そんな言葉はどこかにぶっ飛んでまして、その日は休んだのでした。そこで、とにかくも休む旨を会社に連絡しなければならない。電話しました。

「百足に刺されたんで、休みます」

勿論、これだけじゃなく、病院に言って先生が一日安静の判断を下したとか、正月と盆がいっぺんに来た日にパンダPと選挙で勝ったオバマ氏が同時に訪ねてきた状況は全部説明しましたよ。しかし、入社してまだ2ヶ月。で、この休み。いや自分も言うのつらかったです。

言われた方としちゃ、信用ならないでスよね。百足に刺されたから休むって。その言われた方ってのが、N先輩。実はこのN先輩、数日前にお子さんが生まれたそうです。Nさん、元気にしてますか。


2008年6月4日水曜日

美瑛回想

今ですね、CARIN時代のログをインポートしていて、
じょじょに編集し直しているんですが、
今改めて感動したので、今回はバックナンバーとしてお送りします。

ちなみに、現在2007年8月分を編集中です。
現時点では、
2007年9月~2008年4月の分は未編集でお見苦しい限りですので、
ご了承願います。

では、どうぞ。




今までで最も綺麗で美しく、見事な風景を見たのがココ、美瑛









































とにかく素晴らしいです。
とにかくため息出ます。

360度見渡せるその丘はきれいに曲線を描いており、
且つ花も上品に咲き乱れています。

そうだ 美瑛、行こう。


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