2008年7月29日火曜日

武市玄瑞

瑞山先生と玄瑞先生が話した場所、



角屋。

何を話していたのか。

一藩勤皇の件だろ~なぁ~。



僕なんか、顔のっぺらぼう。。。

2008年7月28日月曜日

土佐見聞

旅するっても、今回は僕じゃないんですがね。。。

最近、素敵な出逢いを感じてます。

いやですね、
龍馬を崇拝してる!とか、
歳三に惚れてる!とか、
晋作は国士無双!とか、
幕末を語ったら一晩じゃ終わらない!眠い!とか、
この稼業やってると、色んな人に逢いますが、
今回は貴重です。

京都に住んでる。
・・・というのもいい響きですが、
なんと、エゲレス人。
大英帝国ですよ、旦那!
当時も一番といっていいほど、密接に絡んでましたからな、大英帝国は。
この方が、幕末時事に通じている。。。

これは おもしろく なりそうだ!!!

でね、その人が昨日、今日と鬼の住む国、土佐に行ってきたらしいス。


桂浜。
すげぇ~、ドラマで見る海と 一緒だ。



続いて、

岩崎弥太郎の生家。
マークは、土佐の桔梗の門から三菱のロゴに簡素化される途中のものだろうか・・・

早く行かんと、土佐に。

2008年7月25日金曜日

新聞見聞

真夜中の地震が、



もう朝刊に載ってる。

と、今朝の電車で思いました。

そういえば、あれは24時間体制ですか?

あの地震があるまでは、別の記事があったわけで、

それをあの地震が起きた瞬間、別の場所に編集したわけですか?

しかもそれが三面記事ってことは、

三面落ちした記事は次のところへ移って・・・で それがまた移って・・・

ってやってったら、文字数とか変なんなっちゃって・・・、

でも早くしないと間に合わない。

大量に印刷して、4時くらいには配り始めてるんですよね?

新聞屋は偉いな、と思いました。

一方、アフリカでは、壁新聞(というより壁書き)でした。

2008年7月24日木曜日

継之助言

 ―――考えてもみよ。


と、継之助はおもう。

いまこの大変動期にあたり、
人間なる者がことごとく薩長の勝利者におもねり、
打算に走り、
あらそって新時代の側につき、
旧恩をわすれ、
男子の道をわすれ、
言うべきことを言わなかったならば、
後世はどうなるのであろう。

―――それが日本男子か。

と、おもうにちがいない。

以上、“峠”より抜粋

2008年7月23日水曜日

竜馬名言

今日の名言。





「しくじったら またやり直せば ええんじゃ!」

2008年7月22日火曜日

来龍馬伝

この1週間、また龍馬先生の話題が身の周りに粋に多い。

その①
 →“さかもとりょうま”と一字違いの人と逢った。

その②
 →“竜馬がゆく”を貸してほしい、と言われた。

その③
 →2010年の大河ドラマは、龍馬伝だ。と話が出た。




海援隊本営、酢屋 前にて。

2008年7月21日月曜日

髭且母韻

この歌、



遊びじゃない。

2008年7月17日木曜日

熊本清正

今日もありましたよ、出逢い

いやぁ~

“人の世の 幸 不幸は 人と人とが 出逢うことから はじまる”

もんですな。

今日の出逢い人は、熊本人

熊本と言えば、かつてこの地で回天の歴史が起こりました。



田原坂の激戦。


さすがは熊本っ子。
田原坂をご存知でいらっしゃる。


そうだ 田原坂、行こう。


大きな地図で見る

2008年7月15日火曜日

靖国御霊

京都では祇園祭りが華やいでいる一方、

東京では7月13日、



みたままつり。

行って参りました。

日本男児4人がこの日、靖国に集まり、
日本国について語ったのでした。

2008年7月11日金曜日

折鶴降下

タイでのお話。

タイ南部の一部の地域では、意外にも紛争が起こっています。

そんなある日、王様が、

「平和を願ってみんなで鶴を折ろう」

ということになったらしい。

その ある日、会社行ったら、みんな鶴折ってる。



何故かと聞いたら、上記の通りで、

なんと、その鶴を空から、その地域に降らす と言う。

みんな折ってますからね、しかも一人ひとつ、とかじゃなくて、

何個も折ってる。僕もひとつ折らされた。

で、

そうして集まった折鶴はタイ全国でたしか100万羽とか1000万羽とか、

忘れたけどとにかく、ものすごいことになってました。

でも、ちょっと待ってください。



これで、1羽。 ↑↑↑


これで、1万羽。 ↓↓↓



もう、鶴だかなんだか わからない。

この1万羽が、さらに100セットあって100万羽、

ゴミいっぱい。

さすがに、これ全部は降らさなかっただろうけど。。。

2008年7月10日木曜日

参禰其四


なになに?




お、開いた。




ひぇ〜。




びえ〜ん。

2008年7月9日水曜日

林檎電話

興味あります、



iphone

いつの間にか発売されるのですね。

なれど、それがしはDoCoMoに忠義を尽すまで。

2008年7月8日火曜日

七月八日

七月八日。
この日、日本はたしかに動いた。

まず、

黒船来航
この日から日本は、幕末風雲の中へと動き出す。



で もひとつ、上の1853年から11年後同日、
池田屋の変
池田屋事件により、明治維新が一年遅れたとも、
尊攘派を刺激してしまい維新を早めてしまったともいわれる。
作家の司馬遼太郎は、この事件がなかったら薩長主力の明治維新は
永遠にこなかったであろう
と解釈している。

で、行ってきました、池田屋跡。


間違いない、
事件は会議室で起こってるんじゃない、
現場で起こってんだ。

2008年7月7日月曜日

七夕見聞

見るより聞くより踊るもの~♪



ってことでこの週末に七夕祭りに、久しぶりに行って参りました。
7、8年ぶりに行く地元の祭り、なかなか懐かしいものがありました。

ところで、人と待ち合わせするのに喫煙所にいたんです。
するとこんな会話が。

母: 「なんか飲みたい?飲みもん買いに行こっか!」

でかい。とにかく声がでかい。
声のボリュームが大きくて、ウチにあるTVのボリュームで言うと、
周りの人が音量10だとしたら、明らかに17くらいはある。

小学生くらいの子供3人くらい連れたこのお母さんはですね、
声も大きいが体も大きい。
まぁ、解りやすく言うとお相撲さんみたいな体系をしている。

で、とにかくいなくなったんですよ。
と思ったら、またすぐ帰ってきた。

と思ったら、
その母はですね、筆頭にその買ってきた飲みものをガブ飲み。
で、会話がはじまる。

母: 「そっち行こ~っと」

母が座る場所を移動する。
子供より、母の方がヤンチャである。

母: 「何故なら灰皿が近いから!」

それにしても引き続き音量間違えてる。
休む人も含め、30人くらいはいるその喫煙所に堂堂とその声が通る。

子: 「たばこ吸うと早死にしちゃうよ」

母: 「大丈夫。あと10年生きてないから」

何が大丈夫なのか。
音量に加えて大丈夫という言葉の使い方も間違っている。

母: 「こんな世の中生きててもいいことないんだから、
   早死に勝ちだよ」


子: 「長生きしてればいいこともあるよ」

母: 「ないないないないない!ムリムリムリムリムリ!」

すげぇ、ナイナイガールズ 初めて見た。ほんとにいんだ。

母: 「税金高いし、ガソリン高くなるし、給料下がるし、
    どんどん搾り取られて、何もできなくなって死んでいくんだよ。
    それが人生だよ」


何も誇張してません、マジでこんなこと↑言ってた。

子: 「・・・(苦笑)」

母の言葉テロは続く。

母: 「早く死のう!軽く死のう!」



これも、平和が生んだ産物なのでしょう。
しかし、無念・・・

2008年7月4日金曜日

全員逃避

逃げの小五郎、と言う。西郷隆盛、大久保利通と共に維新の三傑に数えられるこの木戸孝允は、幕末時代、桂小五郎と名乗っていた。小五郎は当時江戸の三大道場であった「力の斎藤」練兵館の塾頭を務めており、同時期 同じく三大道場である「技の千葉」千葉道場塾頭・坂本龍馬と共に、剣豪でありながら、また、維新回天の立役者になるほど国事に奔走しながらも、ついに人を殺めなかった話は有名である。何で昔の人は名前をコロコロ変えるんだ。

「ああいう場合によくないのは、気と気でぶつかることだ。闘る・闘る、と双方同じ気を発すれば気がついたときには斬りあっているさ」「では、逃げればどうなるんです」「同じことだ、闘る・逃げる、と積極、消極の差こそあれ、おなじ気だ。この場合はむこうがむしょうやたらと追ってくる。人間の動き、働き、の八割までは、そういう気の発作だよ。ああいう場合は、相手のそういう気を抜くしかない」→これが龍馬の考え。

「わしの剣は、士大夫の剣だ」と、かつてこの男は幾松にめずらしく自慢したことがある。「士大夫の剣とはどういうことどす?」「逃げることさ」桂が塾頭をつとめた斎藤弥九郎の道場には六カ条から成る有名な壁書があった。そのなかで、「兵(武器)は兇器なれば」という項がある。一生用ふることなきは大幸といふべし。出来れば逃げよ、というのが、殺人否定に徹底した斎藤弥九郎の教えであった。→これが小五郎の考え。だから、逃げの小五郎。

実際、幕末では白刃の林を曲芸師のようにすりぬけてきた。池田屋の変のときも、この男は特有の直感で、寸前に難を避けた。あの日、集まることになっていた同志のなかでの、唯一の生き残りである。雲助、乞食、あんまに化け、町人に変装、寺男になったり、問屋に奉公したり、荒物屋を開いたり、湯治客になりすましたり、どっかの本では幕史に捕まった時、腹が下ってるといって厠に行かせてもらい、そん中から逃げた。。。とにかく、逃げの小五郎。

逃げ、と言われれば薩摩隼人も聞こえが高い。彼等は、攻める時は「きゃ〜」という一種 猿のような高い奇声を発し、それこそ猪突猛進して攻めるという。記録では西南戦争の時に、嫌々にも敵側となった官軍を戦慄させている。が、しか〜し!ダメだと思った時は即刻逃げる、猪突猛退、とでも言えるだろうか、これには薩摩軍に協力した熊本軍などがその逃げ足にびっくりしている、だって気がついたら薩摩軍が一人もいない、そりゃびつくりだ。潮時を知っている、というのだろうか。正に、翔ぶが如く攻め、翔ぶが如く退く。

薩摩と言えば、関が原でも有名な話だ。それまでの話は省略するとして、とにかく西軍にいた島津義弘は、逃げることを判断した。西軍の敗北を感じたのであろう。かといって四方退路を遮断される中、大胆にも前方、敵の大軍の中を突破するという離れ業をやってのけた。ただし、1500人いたのが、逃げ切った時には80数人という。

逃げるというのは一見卑怯にも感ずるが、以上の様に時には合理的にも思われる。例えばバイクで走ってたら、道路のど真ん中にゴルフのクラブを振り回している、それこそ「きゃ〜」という一種 猿のような高い奇声を発し、猪突猛進してくる明らかに㋳のつくようなお方がいらっしゃればどうしますか。僕は逃げましたよ、翔ぶが如く

例えば、電車でボックス席あるじゃないですか。4人も座ればそのボックスは満席で、目の前の人がちょっと大きめの人ならひざとひざがくっつくってゆうあのボックス席です。でね、目の前に座ってる人はですね、なんか調子悪いみたいなんですよ。いや、もっと言えば気持ち悪そう。いや、もっと言えば飲み過ぎで酔いつぶれてる。でもね、人は良さそうな顔してるんですよ。今日も一日三膳してる、そんな目の前に座ってるクールな好青年がですね、吐いたらどうしますか。最初は口で抑えたんですけど、抑えきれず、その指と指の隙間からはじめはゲロがもれて垂れるんですが、次第になんて言うんですか、発射するように飛び出し、最後には出てくるもん無理に抑えるもんだから、爆発するようにゲロ吐いたら、どうしますか。僕は逃げましたよ、翔ぶが如く。というか、指の隙間から垂れた時点でそのボックスから逃げてた。(でも幸い、というか、その人理性はあって、次の駅で申し訳なさそうに降りてった)

でも、逃げてるばかりじゃダメですよ、そりゃ。背中に傷を受けるなんてのはもっての他、それなら潔く散るべきです。あの海賊狩りのゾロだってね、鷹の目ホークに負ける時、背中にだけは受けなかった、正面からその負けの一撃を食らうんですよ、さすがは剣豪。新撰組だってそうだ、あれ傷を負って逃げたら隊規に背いたとの事で死罪ですよ、さすがは鬼の副長。

話を翔ぶが如く飛ばすと、ある日、りんご詰めしてたんですよ。どこでって、歩いて10分でレバノンとのボーダーラインに行けるところ、イスラエルの最北部。朝6時に起きてですね、6時半からりんご詰めしてたんです。その代わし、飯とか、飲みもんとか、勿論寝るとこもあって、火曜と金曜にはパブなんかオープンしちゃってね、ビールとかウォッカ、お酒は飲み放題。世界中から人が集まるもんだから、ちょうどその時期やっていたワールドカップなんか自分らで開催してね、でも日本人は僕一人しかいないもんだから日英同盟して、準優勝したりとかね。ほんと話がぶっ飛んだ。

いやですね、“ユダヤ人”ってのが当時キーワードで、ユダヤ人に触れてみたかったのです。もっと言えば、ユダヤ人の考え方を知りたかったんです。「ユダヤ人が次に狙ってるのは、水だ」とか、「ユダヤ人は常に100年単位で物事を考えている」とか、某ブランドK会長は、「人生のターニングポイントは、ユダヤ人と付き合いはじめたことだ」なんてね。加えてダヴィンチ・コート(まだ観てないけど)からテンプル騎士団、フリーメーソンまで広がり、坂本龍馬がどうの・・・、とかが同時期に耳に入って来てですね、運命ですかね、ついにはイスラエルに行ける案件が手元まで舞い込んできた。

目的を定めましたよ、行くからには。
1、ユダヤ人の考え方を知る
2、英会話をモノにする
3、世界各地に友人を作る(自分の視野を広げる→自己啓発)

これがみんな、タダで出来るってんだから、資金がない自分には最適で、且つ、こんなワクワクする企画はなかった。イスラエル行く前にですね、人に聞かれるじゃないですか、理由を。上記の様に説明するんだけど、だんだん面倒になってきてですね(本当を言うとまだ他に企みもある)、最後の方は「ドラクエで言う、パーティ編成をしに行く」みたいに言ってたもんだから、人には怪しまれる一方でした。とにかく、この時点では逃げていない。

僕が言ってるこの施設を、キブツと言う。ウィキでは集産主義的共同体、とある。ややこしいんで、簡単に言ってしまうと、共産主義のシステムをもった集まり、だから村もあり、ホテルを経営してるのもあり、レストランもあり、牧場もあり、とその形態は様々。そこで働いても基本的に給料はなく、その代わりキブツ内の施設は全部タダ。でも、共産主義と言わないのは、なんか違う、のかな。そもそも集産主義的共同体と共産主義共同体の違いがよくわからない。まだ、逃げてな〜い。

一説によるとこのキブツ、防衛上の施設として始まったとも耳にします。つまり、イスラエルはご存知の通り隣国は全て敵国で、国は出来たがいつ攻められてもおかしくない、というか、国出来た時点から争っている。そこで、世界中から人が集まるような施設を作っちゃえば、隣国は攻めづらくなる。隣国も自分の友好関係にある国の人を殺したくないだろう、ということで。言わば人の壁ですな。その証拠にこのキブツ、イスラエル内部よりも国境近くに多くあり、今では250施設を超えるといいます。まぁ、聞いた話ですけどね。

で、イスラエルに到着し、仕事を終えてから、このキブツ本部に行って交渉。なんせ250もありますからね。「日本人がいないところ」→目的が英会話をモノにする、ですからね、自分を追い詰める為にも必須条件ですな。「とにかく人が多いところ」→目的が世界各地の友人、ですからね、これもやはり曲げられない。すると即刻決定、「じゃぁココね」みたいな感じで、そう、気がついたらある日、りんご詰めしていたわけですな。やっと上の話に戻った。

で、ある日りんご詰めてたんですよ、そしたら、

「ドーン・・・」

って、確かに聞こえたんですね。いや、そんなに近くじゃないですよ、遠くの方から聞こえる。りんご詰め工場にはいつもラジオがかかってるんですけど、明らかにそのラジオではなく、外から「ドーン・・ドーン・・・・」って、聞こえるんです。そしたら間もなく工場内の機械が止まって、工場長が口を開いた→「シェルターに逃げろ」 この時、この工場長があまりにもそっけなく号令したので、誰もが慌てずに、言ってみれば緊張感もなく、工場の出口へ向かった。

工場の外に出てみると、その音はよりリアルに山間部に鳴り響いていた。僕が目の当たりにしたのは、イスラエル人達の統率力だった。数日前はバーで僕等にビールを出してくれたおっちゃん、いつも犬を連れて歩いてる気さくなおじいさん、店の兄ちゃんなどがそれぞれライフル銃を持ち、かけている。既に各持ち場がある様に見えた。また、シェルターも一つではない。このキブツは600人ほどからなる村だが、その分いくつもシェルターがあるようだった。

僕等はシェルターの場所すらも知らない、そんな僕等への指示をするイスラエル人は終始落ち着いている。もう、こういったことに慣れているのか、それとも僕等に不安がらせない様にするためか、いや、おそらくはその両方だろう。引き続き山間部に爆発音が響いている。そのシェルターの振り分けも見事なもので、僕等ボランティアはおかげさまで緊張感なく、シェルターまでたどり着いた。

シェルターは地下でしてね、階数で言うと、地下2階くらいじゃないかな、とにかく、そんな深くなかったです。入って間もなくですね、ここに寝泊りするかもしれない、長ければ10日とかいるかも知れない、という御触れがあり、ダッシュで皆必要なものを取ってくるように、となった。僕も早速取りに行きましたよ、カメラを。

いや、今日この日の為に、撮ってきました。

まず、これが地下への階段。


みんな、状況を真面目に聞く。何でこうなったか。

歩いて10分で行けるレバノン内部で、テロが起こったらしい。その犯人がイスラエル人らしい、たしかそんな理由でレバノンがイスラエルを攻撃したらしい。攻撃地点は今自分等がいる地点より20kmほど離れたマロン山エリア、40kmほど離れたハイファとの事、らしい。全ては聞く話で真実はなんなのか解らなんだが、とにかく今、頭上をミサイルが飛んでいる。

3時間くらい経ったのだろうか。御触れが出た。「みな、外に出てもよいぞ!」思ったより早かった。

てか、こんなに早く出てもいいのだろうか。

外は、いつもと変わらぬ風景。今までこのキブツが攻撃されたことはない、とは聞いていたものの。結構みんないつもと変わらない。それより、そこの家ん中に女の子普通にいるし。アンタ、避難してたのか。どういうことだろう。ライフル銃を持って各持ち場(?)にかけたり、我々をシェルターに誘導するといった統率面、団結力も見えたかと思えば、家の中でキャッキャしてる女の子もいる。シェルター出たら出たで、夕食の時間、みなでダイニングルームで普通に食事している。

その夜、というか翌朝、たしか2回くらいまた爆発音が聞こえた。この日から数日間、数回爆発音が聞こえたが、もうシェルターに逃げることはなかった。が、この村が後にイスラエル軍の一つの拠点となり、徴兵されてる若いイスラエル人がいっぱい来た。ただ、これより間もなくイスラエル人が数人捕虜となり、レバノン戦争が勃発することになった。。。

翔ぶが如く逃げるのもいいが、龍馬が言う、「相手の気を抜く」ことが本当に出来るのなら、それに越したことは ない。

2008年7月3日木曜日

参禰其参


アザラシ。




地球。




おっと。




ヨット。




ひぇ〜。

2008年7月2日水曜日

彼理贈呈

ペルリといえば・・・

日米和親条約が結ばれるまでの間に、
日本とアメリカでは互いにプレゼントをした、といいます。

アメリカからは電信機汽車の模型が送られた。

この汽車の模型は実物の三分の二くらいの大きさで、
子供が乗るのにちょうどよい大きさだった。

ところが円形の鉄道の上を運転したところ、
幕府の役人が客車の屋根の上に乗った。
この時の役人の様子を、アメリカ側は、

「おもしろさと怖さで屋根にしがみついている 
 ありさまは とても滑稽だった」


と記録しており、日本側は、

「誠に不思議な機械で、その工夫にはまったく驚く」

と記している。



このアメリカのプレゼントに対し日本側のプレゼントがこれ。


幕府はまず、江戸から横浜に力士を呼ぶ。
そしてペルリの艦隊へ米俵200俵をかつぎ、贈った。

頭の上に2俵担ぐ力士もいれば、
前歯で1俵をくわえて運ぶ人までいたらしく、
(1俵は60kg)
これにはアメリカ人もびっくり。

そして、米俵を運んだ後は土俵入りや相撲の技を披露した。


ちなみにこの時期、
坂本龍馬は18歳、江戸に出て千葉道場に入門したら辺。
高杉晋作は15歳、まだ萩の藩校で勉強中。
土方歳三は19歳、石田散薬を行商してる時期で、
                      まだ近藤とは出逢ってない。

2008年7月1日火曜日

横浜開港

この男、

ペルリがアメリカ国大統領の親書を携え、
黒船と共にこの神州の地にやってきてからすでに久しい、
実に150年である。

意外に知られないが、江戸幕府はペルリの前に、
何度も開国の要求を拒否している。

・1792年9月 
 →ロシア使節が根室に来航、通商を求めるが幕府は拒否。
・1803年7月
 →アメリカ船長崎に入港、貿易を求めるが拒否される。
・1804年9月
 →ロシア使節が室蘭に来航、通商を求めるが拒否される。
・1818年5月
 →イギリス人ゴルドン浦賀へ来航、貿易を求めるが拒否される。
・1846年5月
 →アメリカ軍艦横須賀に停泊、通商を求めるが拒否される。

ん?これだけ?
いや、
靖国の遊就館であった資料では、もう少し拒否してたと思いまする。

まぁでも、こういった50年以上の拒否の上での開国、
時代が容赦なく日本を開国させるわけですが、
間違いない、その時歴史が動いた

本日は、横浜開港150周年!

の一年前、7月1日。



149年で、こんなんなっちゃった!

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