2010年4月29日木曜日

私がこれで、

 私がこれで、

たばこを止めてから気付いたら一週間以上経ちました。

たばこを止めると、最初の2週間が一番ツライと聞いたことがあります。

だのに、一度も吸いたいと思うことすらありませんでした。

そして、思ったより電子たばこも使って、ない。

と、言うか、3日目くらいから煙(水蒸気)があまり出なく、なった。

落としたのが、悪かったかな?

と、言う風にそれほど電子たばこが活躍しているとは思えられません。

が、しか~し!

飲みの席ではやはり本領発揮!

電子たばこながら、その活躍はすこぶる良かったです。

私が今おススメする一品です。

2010年4月27日火曜日

龍馬伝17

 大河ドラマ『龍馬伝』に登場するヒロインの1人、千葉佐那(ちばさな)が人気を集めており、甲府市の清運寺にある彼女の墓を訪れる人が急増しているという。

  千葉佐那は、龍馬が入門した千葉道場の娘で剣の達人。龍馬を一途に想いい続け、生涯を独身で過ごした。ドラマでは貫地谷しほりが魅力的に演じているが、実際の佐那も美人であったことが明らかになっている。龍馬が姉に宛てた手紙で佐那の容色を誉め、また愛媛県宇和島市に保存されている8代藩主伊達宗城の記録にも佐那の美しさに関する記載が発見された。

  ブログでも佐那の一途さや美しさが話題だ。男性からは「理想の女性です」「誰に何と言われようとお佐那様。可愛いっす」「僕にとってかなりなドストライク。こんな大和撫子な子、最近いるのでしょうかね」と絶賛の声が。さらに女性からの人気も高く「とっても素敵な女性な気がします。私には、そんな強い芯ってものは絶対に持てないな~って感じます」など憧れが語られている。なかには「こんなにかわいい人をほったらかすなんて、龍馬って全くどうなんでしょうか?」と、龍馬に憤慨する人も。




・・・という風に、お佐那様が人気のようです。そういえば、前回に東京龍馬会に行った時にも、お佐那様は人気でおりました。一方、比べられるのはやはりお龍で、こちらは不人気でありました。

2010年4月25日日曜日

朝、

「一睡もしてない」

と人は言う。一睡もしないで人は何時間起きていられるのだろうか。前に、テレビかなんかで、40何日間も眠れずにガリガリに痩せていた人がいた。その人は何かしらの病で眠れずに困っている人でした。「40何日間」て口語的で文章にするにはどうしたらいいか?これであってるのかな?今、思いました。

一睡もしていないで、麻雀をやったことはあります。麻雀を夜通しやることを「徹マン」なんて人は言いますが、20歳前後の時に私もハマってまして、長くて37時間くらいやったことがあります。もっとも、ご飯は食べますよ。コンビニか、後は全部近くのすき家だったと思う。後は、打(ぶ)ちっぱなしもいいところ。

37時間もやれば、根をあげる人も出てくるわけであります。でも、私ともう一人はそれでも打(ぶ)った。麻雀を打(ぶ)つのに、吉田松蔭先生的に言うと“狂”だった。他の2人に帰る時には、「代わりの人間を差し出すこと」を要求した。

そんなこともあるので、1日、2日なら文字のごとく「一睡もしないで」人間は通常に生きられると思っています。ところで、最近、「もう3日も一睡もしてない」という人に出逢った。え~、盛ってんじゃないの?と初め思った。37時間麻雀が私にはあるので、そして、あの時その37時間の前も少しくらい起きていた時間があったろうから、私の中で「人間が一睡もしないで通常に生きられる時間」というのはせいぜい48時間というモノサシがあるからであります。

今言ってる話は、「一睡もしない」場合です。15分でも寝れば、一睡していることになります。

でもね、その人には事情があってですね、身内の人の看病をしていると言うのだから、あるいはその他の角度からみてもそうなのでしょう。そんなことから最近、私の中のモノサシが48時間から72時間に繰り上がった。そして、「3日3晩寝ていない」という言葉に繋がりました。→「そういうことだったのか」と思いました。

ところで最近、久しぶりに3時間睡眠の生活をしています。「盛るなよ!」と言われれば、盛ってますと言わざるを得ません。でも、それでも3~4時間+電車の中の10分とかなんとかくらいでしょうか。でもね、それでも週末にはいっぱい寝ようとしています。

でもでもですね、体が起きてしまう。起きてしまったから、思ったことをそのまま今、タイプしています。空青いし。おおお、今日はいい天気ですね~^^ ほら、私たばこ止めたじゃないですか、そろそろ一週間?すこぶる寝起きがいいんですよ。だからか、週末にいっぱい寝たい!と思っていても、今日ももう起きてしまっているんですよ。

起きたと同時に考えていることって、ありませんか?今日は起きたと同時に、というか寝ながらツイッターのことを考えてました。たぶん。だから、(今すでに)カレーの大盛りを食べてきてこれからツイッターの可能性を模索するところです。そうだ、今思い出した。先日の記事が脳のどっかに残ってたんですね。

http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/it/2718725/5614826

一日に30万人ってすごい!私も本日、その30万人の内の一人か。




















そんな内にも、スカイツリーは着実に創られている。

2010年4月24日土曜日

【人間力第4回】人間力とは

 MATT君。




さて、この連載で何度も出てくる“人間力”とは私が勝手に使っている造語であります。というか、最近どこかの本でこの言葉を見かけたことがありますが、それとは別モノです。私が考えるのはつまるところ、

「自己啓発して培われたその人の総合能力」

ということになるのであります。これを具体的にすると、ざっと(主に)次のような能力が挙げられます。

・コミュニケーション能力
・マイナスをプラスに変える思考力
・喜怒哀楽をコントロールする能力
・素直さ
・自分に嘘をつかない能力
・センス
・思いやる心

おそらくはこの他にもあるかと思いますがどれかに当てはまるか、とにかく今のところ思いつくのはこの辺りとなります。それでは、順にフタを開けて参りましょう。

●コミュニケーション能力
 周知の通り、人と接する時に欠かせない力であります。解りやすい例では、セールスで契約をどんどん取って来る人はこの能力が高い。口から発する声の大きさ、スピード、間やタイミング、ボキャブラリーの多さ、雑談の入れ具合、押し引きの強弱、聞き上手加減、これらに加え言葉には表情を乗せ、体は必要に応じてアクションする。これらは彼らが意識する、しないは別として絶妙な能力として、確かに活かされています。仕事ではないにしても全く同じ話題を、この能力を多大に持つ人と乏しい人が話した結果、受ける印象は全く異なるものとなることでしょう。これは7つの中でも総合しており、経験も多いに関係してくることと考えられます。



・・・続きます。

2010年4月22日木曜日

電子たばこ

 電子たばこはまだまだ知られていない。

ちなみに、

こんな感じのものです。

まだまだ知られていないだけに、妙なことに気がついた。今日、日本でも分煙がやかましい中、電子たばこは禁煙スペースでも吸えて然るべきである。手に入れる前までは、そこら辺のところは自分でも威風堂々としていた。だって、電子たばこで出る煙の様なものは煙ではなく、水蒸気なのだから。そもそも、「煙」ではないので、禁煙もクソもへったくれもない。へったくれって何だ?

しかしですね、いざ電子たばこを外でやろうとすると、どうも禁煙スペース、例えば駅とかね。←でやろうとは思わない。いやですね、断っておきますが、決して他人の目線を気にしてるとかじゃないんです。

電子たばこはまだまだ知られていない→知らない人が禁煙スペースで電子たばこを吸っているのを見る→たばこを吸っていると思う→不快に思う、といった状況が起きます。実際に「副流煙くさい!」とかの嗅覚的効果・現実的効果ではなく、視覚的効果だけで他人に不快感を与えてしまいます。

要するにです、それがたばこか電子たばこかは関係なく、どちらにしろ人を不快にさせてしまいます。ともあれ、それはマナーに違反になるのかな、とも考えられるのです。

しかしまぁ、電子たばこ吸っているくらいですから、そもそもそこまで依存しているわけでもないのでいいんですけど。

たばこを止めたから、ご飯おいしくなるのかな?

たばこを止めたから、寝起きがさっぱりするのかな?

たばこを止めたから、太っちゃうのかな?

へったくれって何だろう?

2010年4月21日水曜日

私はこれで、



電子たばこ買っちゃった。

いやですね、もともと僕はそんなに吸う方じゃないんです。大体一日3本程度か。別に我慢しろ、と言うのなら吸わなくても大丈夫。食後でも大丈夫。そもそも「食後だから」といったルールは何年か前にスイッチを変えてしまいました。

たばこを吸わない人には理解できないかも知れないけど、「たばこが美味しいタイミング」というものがあります。その第一位に輝くのはなんといっても「食後の一服」でしょう。でも、ある時思ったんです。たばこが吸いたくて吸ってたのではなく、惰性で吸ってはいまいか?「食後にたばこを吸うこと」が習慣づけられてしまって、それだけにこの習慣通りに進まないと、一日のリズムがおかしくなってしまう、・・・様に感じているだけではないだろうか、そんな仮説を立ててみたのであります。

もしこの仮説が正しかったのなら、食後の一服もしなくてもいいはず。ただし、これは意識することを前提とすることになりますけど。。。果たしてこの仮説は、少なくとも自分の中では当たりでした。「食後でもたばこは吸わなくてもいい」という意識の下だと、それでいても私の場合、平気なのでした。ただ、思考のスイッチを代えただけです。

でもですね、このスイッチだけではどうにもならん時が、お酒を飲んでいる時です。私は下戸なんですが、なんというのでしょう、良く聞く「お酒の席の雰囲気が好き」とでも言うのでしょうか、ちょびちょびはやるんです。そうなるとどうも口元が寂しくなって吸ってしまいます。10本でも吸うもんなら、次の日気持ち悪い。

本気を出せばいつでも禁煙できるのですが(言い訳)、口元が寂しいだけなら電子たばこでお酒の席でもへっちゃらなはずです。まだ2、3日ですが、今のところ順調です。

私はこれで、

たばこを止めます。

2010年4月19日月曜日

龍馬伝16

御殿山の英国公使館焼き討ち→本格的に時勢が沸騰してきた~



にしても、

長次郎さんは勝氏のとこにもいたの???

【人間力第3回】世の中は全て“対人間”?

さて本日は例の連載企画、経緯はコチラをご参照願いたく。

そして本日のバックミュージックはこちら♪

やっぱりMATT君。



こんな話を聞いた事があります。
「世の中の値段は、全部人件費だ」

私ははじめ理解できませなんだが、つまりはこういう事であります。例えば食堂に行って食べる定食は、まずそれを作る料理人の人件費、その素材を丹念に畑で育てている農家の人件費、またその素材を運ぶ運送屋さんの人件費、また、料理に使う水道や電気、ガスを供給し続ける公共事業、さらには包丁などを作る職人さん・・・こういった人件費が凝縮している・・・。

また、これはつまるところこう置き換える事もできます。
「この世の中は全てがサービス業」

そのコスト全てが人件費だとしたら、もとを糺せばサービス業という事とも考えられる。レストランは食べ物や雰囲気などを提供するサービス業、ホテルはニーズに合った宿泊などをおもてなしするサービス業、ミュージシャンは音など提供するサービス業、芸人はお笑いをはじめとする娯楽などを提供するサービス業、土木は快適な暮らしなどを提供するサービス業、広告代理店は企業の代わりに大体的に企画などを宣伝するサービス業・・・。

どんな業種でも、何かしらの“サービス”を個人、若しくは団体に提供しているからこそ、存在できるわけでありますという考え方。そして、これらの取引(食堂で定食をお金と物々交換するのも)がなされる現場には、常に“人間”が存在していたのでした。。。

2010年4月17日土曜日

牛丼伝説

以下、当選されなかった過去の牛丼系のお話から。



【牛丼来ない】
その牛丼店には、最近よくみる外国人の店員がいました。私が店に入ると、カウンターに座りその外国人の店員に、早速注文。するとね、後から入った僕の方が、先に入店してしかも注文済みの隣の人より早く出てきた。その人、イライラしており、「ねぇ、まだなの?」「並と卵とみそ汁!まだ!?」と言う。まぁ、自然な流れですな。比べられてる私はひと事ですから食は進みます。その店員、「ショショオマチクダサイ」と、日本語は必ずしも流暢ではない。普通、この時点で忘れられたか、伝達ミスやらが発覚し、文字の如く早速出てきそうなもんだが、それでも出てこない。と、言うか、他の人のメニューがどんどん出てくる。見ていても、明らかに遅く、隣の客が吠えた、「まだなのかよ!早くしてくれよ!」するとね、もう外国人の店員さん、かしこまっちゃってね。でも、その場にいるみんながその返答に耳を疑った。「モウオダシシテモイイデスカ?」どこをどう間違ったんだろう、この店員さん。その店、先払いの店、まぁ要はM屋だったんですけど、その人なんか怒鳴って店を出ちゃいました。その後奥の方で、なんか先輩らしき(日本人の)人との会話が聞こえました。
先「なんか言われたの?」
外「ナニモイワレテマセン」
先「じゃぁ、いいよ」

【最近、】
牛丼店には、最近女性の人が多く見られる。今思うと不思議ではあるのだが、ちょっと前まではあまり女性客の個人は見なかった。見たとしても、女子高生のグループか、家族連れが多く、それこそOLだとか、いわゆるきれい目のカッコをした女性の個人客を見ることは皆無といってよく、見るとしてもテイクアウトくらいなもんで、それでもあまり見なかった。それに比べると今日では、多くOL風の女性を見る。別に、「だからなんなんだ」という話であり、「女性が個人で行っちゃ行けないのか!」って話では、ない。逆にね、牛丼店行くとガテン系な人が多く、ムサ苦しいからね、女性がいた方が華があっていいんですよ。この前なんか、6人中2人が女性(単体の)だった、3割が女性。春やね。デフレやね。

【注文間違い】
周知の通り、私は牛丼が好きだ。しかし、厳密に言うと牛丼ではなく、私が好きなのは「牛皿」だ。別に、「だからなんなんだ」という話なんですが、そういう経緯があって牛皿定食をね、注文したんです。時はランチタイムの真っ只中、お店はお客さんでごった返しており、その分対応店員が明らかに少ない。そんな中、出てきたものは牛皿定食ではなく、「牛皿とん汁定食」。違いますよ、と店員に言ったものの、そこで返すのもこのごった返しの中、混乱しちゃって悪いな、と思い、「あ、それでもいいですよ」と言い、牛皿とん汁定食を食べた。牛皿とん汁定食を食べながら、ふと伝票を見てみると、「牛皿定食」になってる。オレ、食べてるの牛皿とん汁定食なのに、伝票は牛皿定食。あぁ、そういうことか~、と思いましたね。懇意でやったことなんですが、注文時に間違えたのではなく、メニューを持って来る時に間違えたのか、そうすると違う人――牛皿とん汁定食を頼んだ人――に牛皿定食が行ってるのか?いや、作り出す時に単純に間違えているかも知れない。ま、いいや、とん汁うまい!と思いながら食べていましてね、さて会計。依然店の中はごった返してまして、お祭り状態。こんな状況下で、「牛皿定食を頼んだけど牛皿とん汁定食が来て、それを食べて、でも伝票は牛皿定食になっていること」を言うかどうか。会計には10人以上が、その会計待ちとテイクアウト客で、常に行列となっている状況であり、その上どんどん客が入ってくる。わざわざこれ以上の混乱を招いて、真実を告白し、60円でも高い料金を払う必要はあるのかどうか。基本的に私は粋華志義を唱えているだけあって、こういった細かい点にも、曲がったことは大嫌いだ。世の中、筋というモノがある。要は、告白した。すると、もう店員さん混乱しちゃってなかなか理解してくれない。他のもう一人も出張ってきた。すごい、言わなきゃよかった。「で、来たのは大盛りですか?」そんなことを聞かれても、こちらには大盛りと並の基準がよくわからない。終いには、先輩風の人が明らかに不機嫌そうな表情でもう一人の店員さんに「処理しといて」と言ってた。やっぱり、言わなきゃよかった。

【今度はたまご】
これは、今朝の話である。こんなことがあった。今度は卵だ。朝だからね、鮭に真っ白なご飯が食べたい!という衝動にかられ、近所の行き着けの牛丼店にいった。「鮭朝食」と注文したら、その定食にはついてないはずの、たまごがついてきた。だからと言ってその他抜かれているモノはない。え~、俺真っ白いご飯で食べたかったのにぃ、と一瞬思ったが、たまごを見てみるとたまごも否めない。そこで、たまごご飯にして食ってやった。伝票には、勿論たまごの料金は記載されていない。食べている内に、注文をとって用意したその店員が新人であることに気付いた。先輩に教習を受けていたから。メモをとっていたから。で、今度は告白しなかった。ちなみに、一つ前の、とん汁をサービスしてくれようとした店と同じ店舗だ。これは常連客向けのサービスなのか。たしかに、間違いなく私はその店の常連だ。

【日本語】
すでに何度も登場している私の行きつけの牛丼店(冒頭のは異店舗)だが、中国人の店員さんがいる。そこに、中国人のお客さんグループが入ってきた。「何語で話すのかな~?」って、わくわくドキドキしていたら、どちらもカタコトの日本語で注文とってた。まぁ、中国語といってもマンダリンや広州語などあって必ずしも全ての中国人同士が意思疎通できるわけでもないけど、なんか残念。

【日本語2】
英語が喋れない店員さんが、英語を話す外国人のお客さんに注文をとっていた。すると、「yes, yes, ギュウドン」「yes, ナミモリ」   すごい、イエスマン日本人。ついでに、yes以外全部日本語だった。でもその日本語は、なんといえば伝わるだろうか、「ニホンゴ」といった感じで、何故かカタコト。日本の教育では、「This is~」も出て来ないのか~

2010年4月12日月曜日

龍馬伝15

以下、うんちく。

------------------------ここから------------------------

猿の文吉殺害(文久2年閏8月30日)
猿の文吉(ましらのぶんきち。「目明し文吉」とも)は、安政の大獄時、島田左近の手先として多くの志士を摘発した岡っ引である。当然、志士たちから深い恨みを買っていた。岡田以蔵・清岡治之介・阿部多司馬の3人は三条河原へ連行の上、「斬るのは刀の穢れになる」として細引で絞殺した。文吉は島田の高利貸しの手伝いもしており、民衆からも嫌われていたため、裸に剥かれ河原の杭に縛り付け、竹の棒を肛門から体内を貫通させて頭まで通され晒された遺体には投石する者もあったという。なお、この時高札に「いぬ」と書いたため、ここから「○○の手先」の蔑称としての「○○の犬」という表現が生まれたという説がある。
――Wikiより抜粋

------------------------ここまで------------------------


犬。。。そうだったのか~



にしてもこの物語の勝役、年寄り~

2010年4月9日金曜日

花見

そういえば先日、花見に行きました。

場所は、江戸時代より花見の名所である、
あの天下の上野公園。

同時に、日本国初の公園でもあり、
あの西郷先生も、鎮座しておられます。

花見シーズンには、300万人もの人が集まるこの場所に、
我々は挑んだ。

あの不可能とされていた場所取りに、
挑んだ。

朝5時入りしましてね、
それでも結構埋まってた~
前日からみんな場所取りしてんのね。すごい。

どうせならメインがいいと、
くまなく空いてる場所を探していると、
いいとこ見つけた。
メインストリートのど真ん中、ぶん取りました。



8時半、人が集まりだした~


…その中に流しのミュージシャンがいましてね、
侍のカッコをしていましてね、
すげ~、月代剃ってた、初めて見た。
当時の外国人にとって、この髪型ほど奇妙なモノはなかったんだろうなぁ。。。

2010年4月8日木曜日

百病は一気の留滞より生ずる

 「宇宙の間に一種精妙の勢力がある。すなわち気というものである。その気が、人体にも入っている。これを、古来元気とよんできたが、古来の説は、元気は二つの腎の中間に存在するといわれてきたが、しかし、自分は賛成しない。身中身外ことごとく気である」
――「胡蝶の夢」より抜粋

2010年4月7日水曜日

【人間力第2回】自己啓発の魅力

先週、勢いで新企画!連載モノ!とか言ってしまい、始まったこの企画、「人間力」。ほんとにオチもなんにもない、ただ書きながら自分なりの哲学を改めてまとめたいがために勝手にやる自己満の世界なので、なんとかご容赦ください。

なお、この企画の経緯はコチラから!

そうなんです、ブログをこう やっていると、何気に勉強になるんですよね。色んなネタ調べたりして、自分で文章にすることによって、自分でもまとまる。ま、今はそんなこと どうでもいいんですけど。

とにかく暇しないように、下記バックミュージック~♪




第一章 人間力

テレビゲームでロールプレイングと呼ばれるジャンルがある。中でも有名なのは、FF(ファイナルファンタジー)か、ドラゴンクエストだろうか。このジャンルのゲームは大抵、敵を倒すとレベルアップしていく。そしてレベルアップすると攻撃力、守備力、体力、速さ、魔法力などが上がる。その中に、“精神力”という力があるものもあった。

「精神力?」

あのゲームで、その精神力がどういった効力を持っているかは未だにわからないが、とにかく当時の私の中では一番必要のない能力だった。

自己啓発とは、ゲームでいうレベルアップとでも言えるのだろうか。レベルアップをすると敵という、人生では“困難”や“問題”、“夢”と呼ばれるさまざまな事に立ち向かえるのかも知れない。それらに打ち勝っていき、人は人生というゲームを生きていくものかも知れない。仮にこう例えるならば、もはや自己啓発は我々の人生にとって、なくてはならない魅力となり得るのである。

ただ明らかにゲームと違うのは、人生において精神力という能力は絶対不可欠なものであろう事だ。時代が戦国時代なら一見攻撃力や守備力が第一に必要のように見えるが、それは後世である我々の見方であり、実はあの戦国時代でさえ精神力がものを言ったのだと思う。いや、むしろ戦国時代だからこそ、と言った方が妥当かも知れない。

何故か?「ゲーム自体にはなく、我々の人生にあるもの」と言えば伝えやすいかも知れない。つまり“思考”が関わってくるということが考えられるからだ。我々は思考という、未だ解明されないとんでもない能力を持っている。戦いという行動の前に存在するのがこの思考であり、現代とは全く異なる時代背景の中で生き抜く精神力というのがあの時代でも大前提にあったのだ。

この“思考”については後の章に譲ることとしますが、このような能力、またはこれら以外の自分の能力を開拓していくのが自己啓発、という事になる。精神論とは異なる、全く現実的な話であり、この自己啓発への理解を深めれば、より自分は成長できる、もしくはその人間の持つ可能性をより引き出せるのでは、と思うのであります。

つまりは、夏までに身体を鍛えてマッチョムキムキになる!とか、英語を勉強してグッジョブペラペラになる!とかその分野の能力をあげようとしても、まずはその根本的要素・思考からしっかりと固めていく必要があり、ココに精神力というものが関わってくるのでは、と思うのです。よく言うじゃないですか、「ダイエットは自分との戦い」って。まぁなんでもそうなんでしょうけど。

このような感じで、一時期「趣味・自己啓発」とまで言っていたほどハマっていたものなんですが、最近意識していなかったので、また考え直してみようと思った次第であるのです。

2010年4月5日月曜日

龍馬伝14

ついに動き出した、



以蔵。


それにしてもなんだ、
「人斬り以蔵」たる者でも、
初めて殺めた井上佐一郎は首絞めだったのか~?

2010年4月2日金曜日

ラテン

まずこの曲最高にゴキゲンなので、バックミュージックにどうぞ♪


いやですね、昨日イスラエル時代の友人から連絡があってですね、「メキシコの○○島にいる」ってゆうんですよ。へぇ~、メキシコの○○島ってどこにあんのかなぁ~なんてマップ見てたら、なんでだろう?血が踊ってきた。この前の、「久坂玄瑞」という言葉を聞いただけで、もの凄い威力を感じるように、地名を見ると、踊って来るんですよ。

「キューバ」
「ジャマイカ」
「プエルトリコ」
「コロンビア」
「バージン諸島」

いかがでしたか?

そんなこともあって、冒頭のゴキゲンな曲を思い出しました。これはね、コロンビアの娘からもらった曲。コロンビアでは、サルサを踊れない男は、“男”ではないらしい。くそ~、と思いながら、そこは素直にサルサを教えてもらう。おお~、なんだかゴキゲンだ。てか、曲がゴキゲン。

※ちなみに、お察しの通り、冒頭の映像はサルサの踊りではないっす(だと思う)。

でもね、純粋なる日本男児には、教えてもらってもいきなしリズムがつかめるわけないですよ。次第に空回りした僕は、もう抑えきれなくなってきてですね、とうとうコマネチが出た。その時の快感たらないですよ。そう、このリズム!想像してみてください。ずっと、曲はゴキゲンなんだけど、リズムに乗れないもどかしさ。気を解放しましたね。コマネチで。リズムのあるコマネチ、最高!あ~すっきりした。


ついでに日本の挨拶だと教えときました。

それにしても、そのメキシコのなんとか島にいるって友人、女の子なんですがね、NYからメキシコまで一人でチャリで横断したらしく、またそれも粋華なわけであります。

2010年4月1日木曜日

人間力

学生の頃だった。

授業中、隣の席の子より消しゴムを借りた。
その消しゴムで間違ったところを、消す。
その消しゴムを隣の席の子に返す。

返そうとした時、スベって落としてしまった。
すると、消しゴムの持ち主であるその隣の席の子は怒り狂った。
俗に言う“キレ”た。
信じられないような話だが、本当の話である。

もちろん、落としたのはわざとではない。
お互い、ふざけていたわけでもない。
自分が、いじめられていたわけでもない。
くりぃむしちゅ~有田の長州力「キレてないですよ」の逆、キレたのである。自分の消しゴムを落とされただけで。

思春期の頃の私としては、この出来事は興味深いことだった。
――何故そのくらいのことで、怒るのか。
――みっともないし、醜い。
――こうはなりたくない。

自分でも驚くほどに冷静に思った。
まるで自分が第三者の立場から傍観しているかのように。

それからというもの私は、自分の「怒り」の感情をコントロールすることに努めた。「感情的にカッとなることは器が小さい、小さい」と思うようになった。腹に立つことがあっても、「男としての器が小さいぞ」と自分に言い聞かせた。それが自然と性格となったのかは解らないが、ともかく、あの時の影響というのは多分に現在の要素として、ある。

もっとも、今日では「怒る」べきタイミングも、生きていればあるだろうことくらいは知っているつもりです。また、今言っているのは「感情的に我を忘れて」怒ることで、叱るとか、注意するフィーリングのものとは別のモノを申しています。左記、如才なきことと思います。

あの出来事は、私に色んなことを考えさせてくれた。「人は、自分のなりたいようになれるのではないか?」な~んて思ったかどうかは全然憶えてないんですけど、たぶんそんなようなことも派生して考えたと思う。大人の人が聞けば大したことではないかも知れないが、当時の私としては、生まれて初めて“哲学的”に考えたことだったように記憶しています。

ところで最近ふと思ったことがあります。というか、前から思ってたんですが、「お笑い芸人」っているじゃないですか。あの人達すごいなぁ~って思うんですよね。あの人達だってプライベートがあり、凹むことだって、そりゃある。でも、あのテンション。凄まじい。そんなこと言ったら、仕事をしている誰だってそうですよね。例えばホテルマンだってプロならいつでも最高のサービスをしていることでしょう。だとすれば、こうなる。

人間とは、偉いものだ。

そう、別にお笑い芸人に限定して言っているわけではないけど、例えばバラエティーとか見ていて、「この人はもしかしたら今凹んでいるかも知れない」と思ったりすると、やっぱりすごいな。と思ったのであります。そうこう考えている内に気付いた。。。

最近、自己啓発をしていないな。

そして、今またその必要性を感じている今日この頃なのです。そこで、この場をお借りして新企画。



本日より週一回(曜日不定)、一年間の(予定の)連載モノ!笑いなし!泪なし!おもしろくもなんともない!ただただ「人間力」について勝手に、くそ真面目に一人でウェブログしていく新企画、自分なりの「哲学」を振り返りブログにまとめることで「自分を再確認する」企画、興味がある読者の皆さんと一緒に考えてゆきたいと思っていますので、宜しくお願いします。

※あくまで他人に強要するものではなく、また、「これはこうだ!」とか、「答はこうだ!」と浮世に対して言っているのではなく、つまりは“外”に言っているものではなく、あくまで“内”向けに自分の考えをこのブログで勝手にまとめて勝手に自分だけで再確認しているだけの企画であります。


見逃した方は、右の欄の[カテゴリー]→[連載企画 人間力]よりお進みください。

それではこの新連載、次回よりスタート!!!

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粋華志義ではMATT君を応援しています

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