2010年6月29日火曜日

龍馬伝26

 武市先生と以蔵・・・。



武市先生と以蔵のくだりが、長い。。。結構某が見聞した物語ではそれなりにしかなかったが、今回の大河ではしっかりと入り込んでいる。でも、そりゃ、そうですな。アギと以蔵だもん、、、坂本龍馬本人にとっては、相当の想いがあったでしょう。

そういえば、最近、また「さかもとりょうこ」という名を持つ人に出逢った~、これで2回目。。。

2010年6月27日日曜日

【人間力第13回】ルールその3

ルールその3.【行動に移すこと】



これは、そのままであります。

この世には素晴らしい自己啓発本が数多くありますが、それを読み納得はしても、実行しない人が大半だそうです。実行しなければ、正直意味がありましぇん。

知識はあくまで知識であります。知識は行動を伴う事により“知恵”となります。そして、この知恵は答そのものであります。

例えば行動しないで知識だけを詰め込み、いざ大学の教授になれたところで、自己啓発の本質は語れません。何故ならば、肝心の本質が見えてないからだと考えられます。

知識は今日、街のいたるところから吸収できます。しかし、知恵は行動を伴うことによりはじめて得られる財産です。大事なのは知識と共に行動することだ、と。

本企画を知識だけに終わらせないように、すぐにでも始められる自己啓発を「実践」として何点か宣言してみようと思います。

2010年6月25日金曜日

右翼・左翼

 一昨日みたいな話になるとたまに「右翼だ」と言われることがあります。「考えが、片寄っている」と言われることもあった。今回は、これについて自分の考えをまとめたい。



そもそも「右翼」とは何か。今日も我等の味方、Wikiがものを言う。

「右翼(うよく、英:right-wing, rightist, the Right)または右派(うは)とは、政治において、通常は社会秩序または伝統的価値の維持を支持する社会階層を示す用語として使われる。保守ともいう。」

なるほどね。では、次は左翼を見てみよう。

「左翼(さよく、英:left-wing, leftist, the Left)または左派(さは)とは、政治における用語としては、通常は「より平等な社会を目指すための社会変革を支持する層」を指す用語である。急進的または革新的な人や集団を指し、特に社会主義的または共産主義的傾向の人や集団や政治勢力のことである。革新ともいう。」

なるほどね。てか、私はもうなんども調べてますからね、目新しくもないんですけど。しかし、改めてこう見ると、「意外!」と思う人もいるのではなかろうか。つまり、右翼は「保守」、左翼は「革新」という点。

右翼は「伝統的価値の維持」なんて言葉はイメージ通りだけど、言い方を変えれば保守なのよね。一方、日本で左翼と言えば「社会主義」、または「共産主義」のイメージがすぐに沸く。が、言い方を変えれば革新となる。

皆さんがお好きな幕末の事例で例えると、薩長系は左翼となる。幕府側が右翼だ。あれれ?違和感を感じませんか?高杉晋作なんて「尊王攘夷派の巨魁」などと言われながらも、左翼。あの封建制の世の中で、奇兵隊作っちゃってますからね、なるほど左翼。その他、西郷隆盛、木戸孝允、坂本龍馬などみんな左翼だ。

思うんですがね、結局は「ジャパニーズ右翼」なんですよ。今日、日本で使われる「右翼」という言葉は本来の機能を持たず、いわゆる日常本格的に活動されてらっしゃる右翼の方々のイメージで使われているように思うのです。

いつかのブログでも書きました。日本の国旗を掲げるだけで、右翼?愛国心を唱えるだけで、右翼?国歌を歌うだけで、右翼?おかしい・・・、なにかがおかしい。

では、私が右翼だったとしましょう。つまり、右翼=保守となる。(今のところ)延べ25ヵ国を好んで周り、うち数ヵ国は住むに至るチャンスに恵まれました。ポイントは、「好んで」そうしているところですな。つまり、初めから環境がそうなのではなく、自分の意志でそうした環境に身を置いているのであります。

そして、この興味心はまだまだこんなものではなく、むしろ物足りなくて飢えそうなくらい。異なる文化に触れることはすごく面白い、だって、自分の国では当たり前のことが、他の国では180度違う、景色もあり得なかったり、習慣も違い、人の温かさ、面白さ、神秘的であったり、ともかくおもろい。

でも、そこにいるのは同じ人間。そういったものに、私は刺激を受けるんです。これはほんとの話で、胸が、「キュン」とするんです。キュンって。これを、保守とは言わないと思う。保守派の人は、ベニスの友人から「KOMANECHI Forever!」なんてメールは来ないんではなかろうか。

では、私は左翼=革新なのか?いや、それも疑問なのだ。私は、2670年の歴史を持つこの日本が大好きだ。世界最古の伝統を持つ王家(天皇家)がある日本に誇りを持っている。外(日本国外)に出て宗教は?と聞かれれば「武士道」と答える自分は革新派なのか?やはり、これも違うようだ。

右でもない、左でもないとすれば、私は何者なのだ?

――至って単純明快、私は「苅部俊雄」なのだ。自分の生まれた故郷を愛し、自分の国を愛し、日本人である事に誇りを持ち、このブログの題名である粋華志義な人間たらしめようとしている。かと言って排他的ではなく、むしろその真逆で、どんどん他国の文化を覗いてみたい。目の色の違った人種と交友関係も作り、酒を飲んでは語り、いろんな勉強にもなる。→そうしていると、また日本の良さに気づく。

だもんだから、私は右でも左でもないんだ。自分の意見があって、アイデンティティーが、あるだけの事。ただ、これだけは言えるのが、この「アイデンティティー」がないと、他国人と同じ土俵で話ができないことなんです。自分の国のことを知らない事は、恥ずかしい。自分の国に誇りを持てないことは、悲しい。だから、自分のアイデンティティーを持つようになったのか・・・?

…というのは自分が思っているだけで、人が「右寄りだ」と私のことを思えば、そうなのでしょう。「考えが片寄っている」と言われれば、その人にとってはその通りなのだ。その人が思うのだから間違い、ない。てか、そんなのはどちらでも良い。人にどう思われようとも私は私、苅部俊雄、なのだ。

2010年6月24日木曜日

規律2

 昨日のパンで思い出した、私は



甘いもんも食べないように自分にきつく律しています。これは単純明快、自分に「甘さ」を与えないためであります。自分に厳しく、厳しく。これはね、私なりの哲学てなもんですな。私なりの武士道、と言っても、いい。

コーヒーは、もちろんブラックですよ。砂糖なんて入れたこと、ない。

ミルクも入れない。入れたこと、ない。牛乳にはもう、洗脳されない、ぞと。

困ったこともない。

2010年6月23日水曜日

規律

 先日、4年ぶりに食パンを食べました。



4年前のことはよく覚えていますよ。ちょうど怒涛のバンコク編を終えたタイミングで、南の島を1ヶ月かけて周っていた時でね、宿の朝食が決まってトーストだった。今度いつ行くかな~。

鮮明に覚えているのは他でもない、逆に普段食べないからです。私は、なるべくパンを食べないよう自分に律しているんです。何故なら、パンはアメリカが大量に余った自国の小麦の処分と同時に自分のふところを肥やすために日本人に売りつけたものだからでやんす。

GHQによるこのパンと牛乳政策は見事に成功し、それは今でも学校給食に引き継がれていますね。モノがない時代にパンと牛乳で育った戦後の日本人はそれが「当たり前」だと思うようになり、パンを主食にする人がたしか30%だったか、増えたと言います。一国の主食が一時期にここまで変わることは、古今東西ないということであります。

いやですね、おそらくは、もしGHQがあの時パンと牛乳政策をやっていなかったとしても、今のグローバル社会だ、30%とまではいかずとも20%くらいは、それを主食とする人が出てくるんじゃないかと思いますよ。

→それならいいんですよ。なんか、自然じゃないですか。なんか、グルメじゃないですか。でもね、結果はどうあれ、きっかけは完全洗脳ですよ。パンを食ったら、当時のことが思い出され、僕は無念になるんですよ。パンを食べたら、なんか負けた気がするんです。なにが「米を食べるとアホになる」だ。なにが「牛乳を飲まないと大きくならない」だ。

特に牛乳なんか、逆で、
「牛乳に含まれるリンは取りすぎると血中のリンイオンの濃度が高まり、バランスを取り戻そうとして骨の中に貯蓄されているカルシウムが溶け出し、この状態が続くと骨粗鬆症(こつそしょうしょう)になる。」
のだそうな。骨がすぐ折れちゃうのね。

僕はですね、曲がったことが大嫌い~、なんで、このように筋が通ってないことが、大嫌い~。時代が時代なら軽くて蟄居、重くて天誅、残念。武市先生が聞いたら、泣くわ。

学校給食をパン・牛乳ではなく、米・みそ汁にするのならパンも食べても良いが、そうでないのなら、私は引き続きパンを(なるべく)食べないよう自分に律することでしょう。

2010年6月22日火曜日

龍馬伝25



玄瑞さんが、いってもうた~。

瑞山さんも、そろそろじゃ~。



獄中で描いた自画像、うますぎる~。

それにしても玄瑞、瑞山両氏の無念は、いかほどのものか。。。

2010年6月20日日曜日

【人間力第12回】ルールその2

 ルールその2.【方向を定めること】



パリに行きたかったとする。でも、“パリに行く”という方向を定めない限りは(当たり前だが)パリに行けないのと同じで、人生も方向を定めることは重要なことである。と、よく言われます。

その方向が数度ずれるだけで、ローマに到着するかも知れない、ベルリンに到着するかも知れない。しかし、それで良いのです。ダイレクトにパリに到着しなくても良いのであります。ローマでもベルリンでも、着いたらそこからローカルバスに乗ってパリに行けば良いのだと思います。

むしろ、ローマを少し経由したことにより、ローマの美しさも発見できるでしょう。もしかしたら、回り道したベルリンで一生を変える程の出逢いがあるかも知れない。予定は、修正、修正で。そもそも、すべてがプラン通りに行くものではないものです。

しかし、方向を定めることすらしないと、気が付いたらブラジルのリオ・デ・ジャネイロにいることになるかも知れないのだ。方向を定めないと自分がぼんやりでも想像していた未来と真逆の方向へ行ってしまうこともあるわけです。

方向を定めることは「目標を設定する」「願望を明確にする」という言葉でどの自己啓発本でも紹介されていますが、その終わりまで書いている本はあまりないように思われます。つまり、目的地のパリに行くことだけを考えて飛行機に乗り、到着するシャルル・ド・ゴール空港を視野に入れないということだ。

するとどうなるか。パリ付近の上空まで来たはいいが、空港がどこだかわからない為にさまようことになるかも知れません。忘れてはならない、自分の人生のパイロットは、自分だということであります。

飛ぶのが目的ではなく、パリに行くのが目的でもなく、パリに行くからには「パリに行って何をするか」も当然あるはず。そして、それが例えば旅行なら、帰りの日程もあるはずなのだ。

そのあたりまで、今回は考えてみようと思うのです。

2010年6月17日木曜日

 「俊くんってお酒強いの?」
→「いや、弱いですよ」

先日、お酒の席での会話。

「お酒は飲む方なの?」
→「いや、そんなに飲めないですよ」

同日、別の人との会話。

僕は下戸ですからね、とは言わなかったものの、弱くてもお酒(の場)が好きな私は杯を進めていました。



「もう顔赤くなってるしね~」
「一杯でもう赤くなるし~」
※どちらも、顔赤い=お酒弱いのニュアンス

なんて言われてね、、、ん?

ウェイウェイウェイ、

顔が赤くなるのは、個人差であり、あるいはその時の体調差でもあり、アルコールが副交感神経という自律神経を刺激して、血管を膨らませる指示を出し、血のめぐりをよくして、そんなわけで顔が赤くなるのです。つまり、顔が赤くなるというのは、むしろ健康である証拠で、そもそもお酒が強い弱いとは別の話なのである~。

まぁ、お酒が弱い、というか、下戸なのには変わらないんですけど。



・・・数時間後・・・「あれ?結構飲むじゃん…」

なんてボソっと言われたのを私は聞き逃しませんでしたよ。

おこがましい!そんなの、おこがましい!

私の名は下戸、下克上の「げ」に、下戸の「こ」と書いて下戸です。

お酒は弱いですが、好きです。

2010年6月16日水曜日

龍馬直筆の手紙草案見つかる

うお~、また出てきた~。


http://www3.nhk.or.jp/news/html/20100616/k10015138231000.html

これも、すごい。

2010年6月15日火曜日

ねずみ講

生きていれば、この言葉が自分に具体的にふりかかって来ることも、一度くらいはあろうものだ。



先日、仕事だと思って出逢った人がなんとかスキンの人で、実はネットワークビジネスのお誘いだということが、名刺交換をしてはじめて知った。いや、もしかしたら薄々感ずいていたのかも知れない。

今回でこのネットワークビジネスの話を聞くのは3回目だ。僕はですね、話を聞くだけで物事をなるべく判断したくないタイプ。だって、情報と現実が違うケースなんていくらでもありますから~!残念。

ですので、ネットワークビジネスも頭からは否定したくはないんですね。「ネットワークビジネス」と聞くだけで、日本ではそれが悪のような語感を覚えるものです。「第二次世界大戦」ではなく「大東亜戦争」と言うだけで右翼のような語感を覚えるのと一緒。僕は、大東亜戦争と呼びたい。

「ネットワークビジネスは詐欺だ!」という世間一般の単なる見識程度に惑わされたくない。この情報時代には特に、自分の曇りなき眼で見定める意識がね、必要だと思うんです。だって、今や当たり前のフランチャイズだってはじめは悪とされていたもんですから~、残念。

新しいことをやる人にはね、世間は冷たいものですな。坂本龍馬の偉大なる点はここにもある。「世の人は 吾をなんとも云わば云え 吾がなすこと 吾のみぞ知る」、崇拝。

話はズレましたがね、結果から言うと、私はねずみ講は勿論、ネットワークビジネスもやらないですよ。なんでって、ある人と約束しましたからね。それはさておき、

そもそも、ねずみ講ってなんだ?ネットワークビジネスとの違いは?こんな時の味方、Wiki。なるほど~、って感じやね。

「人口が有限である以上、無制限に成長する事が絶対的に有り得ないため、日本では無限連鎖講の防止に関する法律で禁止されている。」

なるほど、なるほど。ねずみ講でも広義と狭義があって、本来は上記の、つまり犯罪であるケースを言うんやね。ネットワークビジネス、というのはそれ以外、つまり法律を守る限りは違法ではないもの?ん~違いが今ひとつ解らんが、上記の理屈からいうと、ねずみ講というのは筋が通ってませんな。

であれば、僕はですね、ネットワークビジネス自体は、やはり否定できない。そもそもやってもいないのに、否定もできない。でも3回も説明を見ていると、ある程度どんなもんか解ってくるもんでさぁ。

今回の人はね、神戸の人でね、その人が自分と合わない人だというのが、瞬時でわかる人でね。どうにも参った参った、困ったことないけど、すぐに逃げちゃった!なんでもっとうまくやらないんだろう、と思うよね。

ネットワークビジネスの説明を3回行った共通点、それは「それを話す人の目が死んでること」。まぁ、わかりやすく言うと、その人と一緒にいたくない、と思わせることですかな。

なんでもそうかも知れない。例えば、「お金」自体は悪いものではない。それを使う人間によって、善にも悪にもなる。包丁だってそうじゃないですか、普段の生活には欠かせない一品ですが、それを使う人間によって、凶器にもなる。

だから、ネットワークビジネス自体は確固たるひとつのシステムだと思う。ただ、これに群がる人間に宜しくないのが多いのではないかと思う。いや、そんなことは言えないかも知れない。だって私、3回しか現場を見てないもんね。これが100回も見ればある程度の統計が見出せるかも知れんが、私はまだ3回、でもね、少なくともこの3回は3回とも、自分にとって「一緒に事をやりたくない」人間が、そこにはいたものでした。

1回目と2回目は、商品の説明もきちんと聞きましたよ。2回目、、、あれはもう8年前かな、9年前かな?上京してすぐの話です。仕事先で知り合った人がね、話を持ちかけてきたんですよ。その時からね、約束があったもんだからやるつもりは毛頭なかったんですがね、侵入レポートというか、正体をあばいてやろうてな感じで、行ってみたわけなんですよ。

待ち合わせはたしか19時頃だったか、残業でね、結局21時頃になっちゃったんでスよ。お互いバイクで都内某所で待ち合わせ。当日は忙しくてね、昼飯も食べていなくて、腹ペコだったんです。それでもかまわず「時間は取らせないから」と私をバイクで誘導していく。

途中で一旦バイクをとめて、その人電話し始めてね、「先輩も来ることになった」と言うんですよ。1回目は省略しますがね、このパターン1回目とおんなじ。途中から第三者が合流する。おそらく、新人には「発掘」だけをさせ、肝心な説明は手堅い中堅クラスの、例えば「ダイヤモンド」クラスの人がする仕組みなんでしょう。ダイヤモンドをこんなことに使うな。

なんかその先輩なる人のマンションに連れられてですね、なんか商品の説明を受けました。細かいことは憶えてないですがね、これだけは憶えてます。

その商品はね、「なんでも落せる洗剤!」みたいな感じのもので、それがホントに素晴らしかった。実際に汚れ物とか、わざと絨毯になんかこぼしたり、いくつかをほんとにきれいに汚れをおとせるそれは見事な洗剤でした。モノを問わないんですよ、食器でも、絨毯系でも、風呂場でもなんでも。とにかく、それは見事でしたよ。価格聞いても高くない。そりゃそうだ、広告費をかけないで口コミで広めるのがネットワークビジネスの醍醐味。

私なんか素直にね、「お~!」とか「すごい!」とか解りやすいリアクションをするもんだから、相手の2人も気持ち良かったんでしょう、もうノリノリになってきましてね。

これも1回目とおんなじパターンなんですが、夢の話をするんですよね。夢はありますか?その夢、素晴らしいですね!→その夢、実現したいですよね?→実現するためには、お金は、あった方がいいですよね?みたいな話。やっぱり私は素直にね、「はい!」「はい!」なんて答えましたよ。元気にね。だって、その通りなんだもの。

商品の説明だけではなく、そういった夢の話まで解りやすいリアクションで私が答えるもんですから、もう相手の2人もノリノリでモリモリになってきましてね、一気にクロージングにきましたよ。

相手:「一緒にやりましょう!」
私 :「いえ、結構です」

もう、ズコー!って感じでしたね。もう、コント。気持ち良かったー、この時の快感は今でも覚えています。相手からすれば、そりゃそうですよね。今まであれだけ意気投合して盛り上がってきたじゃん、「何で?」って思うはずですよ。当然、聞かれましたがね、「やりたくないからです」の一点ばりでね。

「なんでやりたくないんですか?」→いやいやいや、あなたは好きなものに理由があるんですか?ラーメンが好きなのに、理由なんて、ない。そりゃね、美味しいからなんですが、「なんで美味しいんですか?」なんて聞かれても、うるさい、美味しいもんは、美味しいんだ。だから、やりたくないから、やりたくないんだ。・・・とまでは言わんでしたがね、もう「やりたくないからです」の一点ばりでね。

もう時間は23時半くらいになってましたよ、たしか。自分の都合ばかり考えて、僕チンの腹ペコ具合も思いやれない人となんか、一緒に事をしたくないよ~だ、残念!なんて心では思いながら帰りました。こんな感じで3回ともそろいに揃って、人間がよろしくない、というのが今んとこのレポートです。



そう。高校の頃ガソリンスタンドでバイトをしていた時のこと。朋友Nが、先輩からねずみ講の入会を誘われ、2人の議論した結果が、こうであります。

「もしやったとなれば、今後出逢う人全てが出逢う度に、「お金」に見えてしまうだろうよ。そうゆう人間にはなりたくないから、俺等は、やらないでおこう」

こんな約束を、久しぶりに思い出した今日この頃であります。。。

2010年6月14日月曜日

龍馬伝24

ん~、今回はお龍との恋愛ドラマか~

でもね、こんな光景もあったやも知れんとなると、
たまにはおもろいかも知れんなぁ~

2010年6月13日日曜日

【人間力第11回】ルールその1

さて、これより自己啓発を行うに当たり、自分の中で決めたルールを今一度確認されたい。



ルールその1.【自分を好きになること】

これがないとどうしようもない。人間、誰もが自分が主体。いや、「自分が一番」というおこがましい意味ではなく、自分の人生は誰のものでもなく、「自分」のものだということであります。

人生で一番長く付き合っていくのは自分であります。家族でもなく、恋人でもなく、友人でもなく、自分なのだ。この自分を好きでなければ的確な自己啓発ができないでしょう。もっとも、肝心なのは最初だけであり、啓発されればされるほど自然と、好きになれてゆくものですろう。

自分を好きになる方法は簡単です。その内のひとつは、善い行いをすることであります。単純に善い行いをすると気持ちが良いものです。人に善いことをすると自分に返って来ると言うが、これは本当の話。まず、自分の心の中に良い意味で“余裕”が生まれる。これは、言い換えれば“自信”とも言えるものであります。

意識さえすればこの時点で“自分を好きになること”が出来る。それどころか、自分に返って来る恩恵とは計り知れない。勿論、この恩恵をアテにするのではなく、あくまで善意であること。

「善い行い」と言ってもそんなに大それたことでは、ない。小さいことからでも意識してみたい。例えば道を譲るだとか、物が落ちていたら拾って警察に届けるとか、友人と行った飲み屋で誰かのグラスが空いていればすかさず注いだり、こんなことで良いのだ。

さらにこれらの動作に笑顔をつけてみる。はじめはその笑顔も様にならず、偽善者と思われるかも知れない。しかし数ヶ月も続けていれば、必ずそれが様になって来て、やがてそれこそがその人の人格となる。

聞けば当たり前の事だが、こういった小さくても出来る善い行いをどこまでやれていたのだろうか?意識するだけでそれは、1日の中でも数多くあるはずだ。そしてこれは先に挙げた人間力の中で“思いやり”という部類として引き継がれてゆくのでしょう。

2010年6月11日金曜日

。。。




次回更新日曜日。

2010年6月9日水曜日

龍馬伝23

出た、池田屋事件。

それにしても、ええ~、
「おみや~ん」の亀弥太が腹切るところに、
しかも、息を引き取る前に偶然出くわした~



ありえな~い、
ドラマといえど、ここまでされると少し残念であります。

それにしても福山龍馬よ、屯所の在処を聞いて殴りこみか?

高杉さんは、出てこんのかなぁ~

2010年6月8日火曜日

【人間力第10回】自己啓発をはじめる前に

 大事がありまして、気がつけば1週間ほど営業を休止していましたが、本日より粋華志義 再開です。



前回“ソフト面の自己啓発”より続いています。
本連載はもう一つの自己啓発、つまり先に挙げた“ハード面の自己啓発”に焦点をあてた連載であります。そのキーワードは何度も言う、“人間力”であります。

ところで如才なきこととは思いますが、この連載、決して「私は人間力ありますよ」と偉そうに言うものではありません。第1回にある通り、今自分自身に自己啓発の必要性を感じ、ブログというツールを通じて考えをまとめて、自分自身が自己啓発をするために行っているものです。ということであれば、むしろ自分に人間力が足りないためにその必要性を感じているのかも知れない。

いや、そもそも自分に人間力があるなしは議論するところに非ず、私自身が自己啓発を改めて行うことによって自分の考えをまとめているだけのものであり、「これが正しい!」などとは毛頭思っていません。

ブログというものはですね、意外と便利なもので、以前も記載した通り、更新していくと自分の考えを再確認できるんですね。そして、考えがまとまる。また、更新するためには色々と調べる→これが超聖水みたいで自然と勉強になる。あるいは、公表してしまった以上、なんか、自分を追い込む。

こう考えてみるとほら、早速これが絶好のツールとなっていることに気がつきます。ブログを利用することは「ソフト面の自己啓発」、結局これがハード面の自己啓発に繋がっている。言い換えれば、ハード面の自己啓発をするために、ブログというソフト面のツールを使っていることになります。

では、自己啓発をして人間力を高めるためにはどうするのか。その前に自分の中でルールとも言うべきものを決めたい。

1.自分を好きになること
2.方向を定めること
3.行動に移すこと

自己啓発をはじめる前に、これらをルールとすることにしてみました。

2010年6月1日火曜日

私がこれで、、、

 私がこれで、

たばこを止めてから、ついに一ヶ月以上経ちました。

実に15年ぶりの快挙、15年間の習慣が変わるのだから、なんかすごい。

それにしても、「禁煙」という言葉はどうにも消極的な言葉に感じるのは僕だけでしょうか。別にたばこを禁じているわけでもなく、僕は僕の意思をもって、吸いたくないから止めたんです。吸いたかったら、吸っている。

どうもですね、「本人としては吸いたいんだけど、健康面とかを配慮して、やむを得ず禁じている」みたいな語感があるんです。そしたらね、まるでたばこに支配されているじゃないですか。そうじゃない。俺は、自由なんだ。おいらがたばこを支配していたんじゃ。我ながら、なんてめんどくさい。

そんなことから、「禁煙」という言葉を僕は、実は使っていない。「吸ってない」とか、「たばこ止めた」とか言ってます。ですからね、吸う吸わないくらいは自分で決めますよ。また吸いたくなったら、吸うでしょう。お酒は下戸ですがね アヒャヒャヒャヒャ(゚∀゚≡゚∀゚)モヒョヒョヒョヒョ

龍馬伝22

やばい、龍馬伝、マジでおもろい~。



泰造勇と龍馬が競り合い、沖田もちょっと混じってた~


それにしても、岩崎弥太郎がすごい、やはり偉大な人物だな~

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