2011年12月31日土曜日

粋華志義五周年

 粋華志義も、長い様でまだ五年か~
五年前の記事を見ていると、文章が随分と軟派だ。



いかんいかん。

吉村虎太郎を惜しむ/文久三(一八六三)年秋頃か

 
先日頂いたお手紙、お歌などまことに面白く拝見しました。
私は急用があり、
これから江戸に参りますので、
そのお知らせかたがた先日のお返事さし上げましょう。
○先日大和の国で、少し戦のようなことがあり、
それに加わっていた、池内蔵太、吉村虎太郎、平井の親戚の池田の弟、水道町のおさとの坊主など、
先日みんな負けてしまったそうです。
これは、どれもが皆、戦い方が悪いのです。
京都から各藩に対し、攻撃の兵を出すように仰せつけられたのです。
みんな、どうも戦の仕方を知らないから、ただ、ひと負けに負けたそうです。
かわいそうに、私が戦の指し図をしたなら、まだまだ討手の勢力は わずかな寄り合いだったから、打ち破れたのに、と残念です。

まずは取りあえず。早々頓首。
龍より

乙 様
春猪様
足下

なお、例の柳の養子の都合のことは、思っている精いっぱいのことを、川原塚に言ってあります。
その手紙をご覧なさい。

2011年12月30日金曜日

仮装園遊会の初め

先年(文禄二・一五九三年)、秀吉が、朝鮮渡海の大本営である肥前名護屋城に在陣していたときのことだ。

六月二十八日、というから、盛夏のころである。暑くもあり、長陣で退屈でもある。名護屋在陣の将士は、ようやく士気がだれはじめていた。

秀吉は、そういう人情はいちはやく察する男である。
かといってそれをひきしめるために、むずかしい訓令などは、かれは出さない。


「なにか、遊びの趣向はないか」

と秀吉はそんなことに頭をつかった。

「わっと城内が割れかえるほど笑うような趣向が」

と、かれはお伽衆や、奥むきの女官などにきいた。
みな、ほどほどなことをいった。どの案をみても秀吉は、


「いかん、世に在ったことじゃ」

といった。すでに先例のあったような催しはやりたくない。

「奇抜な!」

といって人が手を打っておどりあがるような趣向をかれは望んでいる。

ついにかれは、思いついた。

仮装園遊会をすることであった。武将の一人々々に意外な変装をさせ、たがいに相手を笑いながら一日をすごそうというのである。
そこで、そのための奉行を臨時に置き、いっさいを準備させた。

これが、日本における仮装園遊会のはじめで、その着想が奇抜なだけではない。仮装して登場する人物も、日本史上もっともけんらんたるものであった。

徳川家康以下の戦国生き残りの英雄豪傑が、おもいおもいに仮装して出場するのである。

2011年12月27日火曜日

養子の件ぜひよろしく/文久三(一八六三)年八月十九日

兄権平から京都より大阪まで送ってきた手紙について、お便り差し上げました。
○例の養子の事は
前々からの願いで、
先年も度々申しておりましたところ、
とにかく兄の心配している事なので、
兄がついに腹を立ててしまうような事で、
川原塚の兄さんも
よくご存じの通りです。
また以前から川原塚の兄さんが、
土佐一国から出ずに学問すれば、
一国だけの論から出られず、
世界を行き来すれば
それだの目が開け、
自分で努力して得た知識を
活かさねばならぬ、
というお言葉は、今も耳元に残っています。
一昨年頃にも、今は大変な時期であることが分かっていましたので、
自分の考えを書いて権平兄にも出し、
親類の人たちにも相談してくれています。
その文にも、状況によっては、
海外に渡ることもあり得るので、
なおのこと、
命があるかどうかも分からないと。
また、龍馬は四十歳になるまで
修行を続けたいと思っていますが、
その時兄は六十歳にもなるので、
家政を預かるには、
今のうちからしかるべき人を
決めて欲しいという手紙もあります。
それもご覧ください。
最近の武芸の修行は
元亀天正の頃のように
実際の戦争が稽古の場、
というようになって来ました。
今江戸でもますます攘夷が盛んに言われ、
勝麟太郎先生がそれに取り組み、
幕府からも重要な役として
認められています。
私も用事あり
江戸から八月二十八日に手紙が来、
二十九日に江戸に出ました。
この事はもちろん、
天下の事と比べれば、
自分の家の事を考える暇はないのです。
また兄の家の役をすることについて、
私からあれこれ言うべきではないと思います。
龍馬が家に帰らないと
家を継ぐ事はできず、
権平兄にまで
大きな心配をかける事になるので
またまた家出か、
死を選ぶしかありません。
どうぞ以前のお考えがお変わりでなければ、
養子を探して下さるよう
お願いします。早々

龍馬
恐惶謹言
八月十九日
茂太郎様足下

この手紙のこと、
世ろ紙蹴れば潮江吉本などにもお伝え下さい。
川田金平などにはこの上、
お話し合いなさって下さい。
かしこ

こんな志もあります。

鹿児島県志布志市志布志町志布志。


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いつ行くかな~

2011年12月23日金曜日

秀吉の魅力

 
「やりおるわ、やりおるわ」

秀吉は床几から腰を浮かし、手をたたき、頬っぺたを掻き、眼をこすり、洟水をすすりあげ、いそがしいよろこびようだ。


「それ、伊右衛門、もう一押し」

むろん、伊右衛門には聞こえはしない。

―――中略―――

士気にかかわるところだった。

それにしても、秀吉のよろこびようは、気ちがいじみている。
ついに伊右衛門隊が、敵の奇襲騎兵を城門まで押しかえしてしまったとき、すぐ使番(伝令将校)の尾藤勘右衛門をよび、


「すぐ、伊右衛門の陣へ駆けおりよ、駆けて行って、伝えよ。勘右衛門、早う行かんか」

「な、なんとお伝え申すのでござりまする」

「そうか、申さなんだか」

と床几に腰をおろそうとすると、うっかり尻の置き場所をまちがえて、すすきの中にころがってしまった。


「こ、この通り申し伝えよ」

「どのとおりでございます」

このあたり、秀吉の言葉を古い記録の表現法で伝えると、


「やよ、よいか。筑州(秀吉)大よろこび、踊りあがり踊りあがり踊りあがり、とうとう尻餅をつき候ぞ」

これが秀吉のうまさだ。かれの場合、手紙にしろ、会話にしろ、表現が形式ばらず、よろこびを伝えようとするときは、自分の心の躍動をナマに眼にみえるように無邪気に語りきる。

こんな表現でほめられれば、伊右衛門ならずとも、秀吉のためには命も要らぬという気持になるであろう。

それに、秀吉のほめ上手は、間をおかぬことだ。即座にほめる。そこに妙機が生じ、ほめられた者はいよいよ調子づいて次の合戦にはいっそうに働いてしまう。

先例がないからこそ

 千代は明るくうなずいた。
「よいではありませぬか」


「そなたは、いつもそういうのんきな顔をする」

播州に居住していては、いざ合戦のときにとても間にあわない。こんどの合戦は、早晩、北国の柴田勝家との間におこなわれることになるであろう。予定戦場は北近江から北国にかけての街道ぞいと思われる。それが秀吉にとって第二の天下分け目の戦いになるわけで、播州に居てはその合戦に間にあわない。

(そのとおりなのだ)

と千代も思うのである。たしかに伊右衛門には、軽微な不運がつづいていた。しかし、これを不運と思うのは愚者である、と千代は考えている。運、不運は、「事」の表裏にすぎない。裏目が出ても、すぐいいほうに翻転できる手さえ講ずれば、なんでもないことだ。

「知行地にはたれぞ代官をやり、お屋敷は京都に頂くようおねがいすればよいではありませぬか」

あっ、と伊右衛門は驚いた。
なるほど、妙案である。秀吉の当分の策源地は京都であろう。そこに屋敷をもつというのは、つねに秀吉の指令の下で働ける態勢をとっていることだ。

この千代の妙案は、ちょっと現実的でないのは、信長時代に先例がないのである。信長はその晩年、京都に居ることが多かったが、侍屋敷まで作ろうとはしなかった。

先例がないからこそ、お願いすればおもしろうございましょう」

と千代はいった。

2011年12月19日月曜日

【人間力第75回】時間の使い方

 

[ WORKING MAN - HOTEI × MATSUI - ]


ここで再度、この時間という最高の財産を考え直してみる。これは世界中の誰もが共通して平等に持てる財産である。この時間をどう使うかによって、その人の人生は決まってくる。金持ちがどんどん金持ちになる理由も、ココがポイントのようだ。実際、彼等はこの“時間”をお金で買う。そうして生まれた“時間”を使ってまた別のことをする。

具体的に言えば、彼等は自分の時間を、人を雇ってまでしても保守しようとする。人に任せられる業務は出来る限り一任してしまい、自分は出来る限り司令塔となりきる。そして、時間を最大限活用して自分は次のステップに移る。とにかく彼等がこうまでして大事にしている時間を、自分は大切にしていく。

2011年12月15日木曜日

土佐日記~山内神社~


左手に鏡川を望みながら、山内神社の階段を登り~



参拝をして からの~



鯨海酔候。
酔えば勤皇、醒めれば佐幕とかなんとか言われようが、267年前の恩や徳川との関係性等の歴史や背景を全部ひっくるめたあの立場、あの情勢で建白書を出すに決意したこの酔候は、隣に立つとその存在感をリアルに感じることができますた。



そして、東京龍馬会でいただいたこの名刺をやっと使う日が~。期限切れだったけど、土佐山内家宝物資料館では快くフリーパス。中には容堂公愛用のギヤマンのグラス(複製)が~

「昨は橋南で飲み 今日は橋北で酔う 酒あり飲むべし 吾、酔うべし」





そうだ、土佐 行こう。

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2011年12月8日木曜日

奇ハ新ナリ








2011年12月6日火曜日

日本の洗濯/文久三(一八六三)年六月二十九日

 
この手紙は非常に大事なことばかりを書いているので、決しておしゃべりには見せてはいけないよ。

今日が六月二十何日か、
忘れてしまいました。
一筆さしあげます。
先日杉さんから手紙が来ました。
ありがたいことです。

私も最近芽が出てきて、大きな藩の殿様に考え方を見込まれ、
頼りにされ、今もし何か事が起きれば、
二、三百人を抱えているので、
その人たちを自由に使える立場になり、
資金が必要な時には、十両や二十両のことなら、たやすく用立てることもできます。

ところで、誠に嘆かわしい事ですが、長州で戦争が始まり先月から六回戦いましたが、日本は勝ち目がなく、あきれた事には、長州が戦った船を江戸で修理してやりまた長州へ向かわせ、戦っています。
これらのことはみな、悪い役人が、外国人とこっそり取引しているものです。

こうした悪い役人は、よほど勢いもあり、大勢いますが、
龍馬は二、三の大名と、しっかり約束し、
同志を集め、朝廷もまずこの神の国を滅ぼさぬ大方針を立て、
そして江戸の同志 はたもと大名そのほか と心を合わせ、
いま言った悪い役人を一度に戦って撃ち殺し

---ココから原文---
ニッポン
日本を今一度せんたくいたし申候事ニいたすべくとの神願ニて候。
---ココまで原文---

この考えについて大きい藩も積極的に同意し、私のところへ内々お使いの方が二度も見えました。
しかし、龍馬はお仕えする事をお断りしました。
よほど世の中には人物がいないものですね。
嘆かわしいことです。

○先日下さったお手紙に
坊主になって山の奥へでも入りたいという事ですが、
ハイハイエヘン、おもしろいことを前々から考えています。

最近は、世の中何かとやかましいことですが、
坊主になって古びた袈裟や衣をつけ、
あちこちの国を回れば、
西は長崎から、東は松前など北海道までも何でもなく行ける。
旅費も一文も用意することはありません。

それをやろうと思えば、
まず、いつもの真言宗の読む観音経、一向宗の読む阿弥陀経、これは少しばかり節があって難しいけれど、信者が多いので、これは読まなければいけませんよ。
おもしろい、おもしろい、おかしい、おかしい。

それから、いつも尼さんが読むお経の一部、たとえば真言宗の所へ行ったら真言宗のお経、一向宗の家へ行けば一向宗のお経を
読み これハ泊まる宿の事です。法談のようなことも親鸞上人のありがたいお話しなどをする。 町を
昼間往き来すれば、お経を読みながら行けば、お金は十分もらえます。

ぜひやってご覧なさい。
大変に面白いだろうと思います。
どうせこの世は三文五厘。
ブンとおならをするくらいのつもりでやってご覧。

死んだら野ざらしの骨は土に帰る。
チ`リやチリゝ
このことは必ず必ず一人で思い立ってはいけませんよ。一人で
やると 龍馬はもう死ぬかも知れんからすぐに取りつくよ
それはそれは恐ろしい目に遭うよ。これをやろうと思ったら、よく人の心を見定めなくてはいけません。
乙女姉さんもまだ若すぎると思うよ。

また、決して美人を連れて行ったりしてはなりません。
ごつごつした、頑固もののおばさんで強いおばさんでなければいかん。
ピストルを小物入れの袋の中に入れ、二人か三人かで出かけ、
もし万一のことがあったら、ガンと一発ぶっぱなし
泥棒のキンタマまで引っこ抜いてやりなさい。

○私を長生きする人と思うのは、とんでもないことです。
しかし、普通の人のように中々めったなことでは死にませんよ。
私が死ぬ日は、天下に大変な事が起こり、
生きていても役に立たず、
居なくてもよいように
ならなければ、
なかなかしぶとい嫌な奴だから、死にはしません。

ところで、土佐の芋掘りとも何とも言えぬ、居候に生まれて、
一人の力で天下を動かすとしたら、
それは、天の思し召しによることです。

こう言っても、決して決してつけ上がっているわけではなく、
ますます潜り込んで、
泥の中の蜆のように、いつも土を鼻の先へ付け、
砂を頭へかぶっています。
御安心なされかし。
穴かしこや。

弟 直陰

大姉 足下


今日はあとで聞いたら
六月二十九日だそうですね。

天下で一番の大変暴れ者の勇ましい先生を始め奉り、
菊目石のようあばたのある御君にもよろしく、乳母にも。

少しあばたのある
お手伝いさん 徳増屋へ行っていた町外れの染め物屋の娘 にもよろしく。

そして、平井収次郎は
十文字の切腹で
まことにむごいむごい。
妹のなげきは、
はかりしれない。
少しでも、
私の近況など話してやりたい。
いまでも、少しは気になります。
かしこ。

下町のまめぞうももうこわれなくなったろうか。
元気だろうか。まだおかしい。

2011年12月5日月曜日

土佐日記~鏡川~

 
ここが、坂本龍馬が幼少時「雨に降られるのも川で泳ぐのもどうせ濡れるから一緒だ」として雨の中水練したという鏡川か~


そうだ、土佐 行こう。

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【人間力第74回】時間仕分け



Dreamin' でいきたいな

自己啓発をするには習慣化する必要がある。習慣としてから初めて結果として出てくるものなのだ。自己啓発、何も難しいことではない。解りやすい例えでは腕相撲で強くなりたいがために行う筋トレも、ココでは自己啓発のひとつと考えられる。

筋トレを一日や1週間、単発的にやったとしても強くはならない。ダイエットも同じだ。それと同じで自己啓発もそれを一日の一部にしてしまわないと、あるいはそれを自分の癖の様にしてしまわないとモノに出来ないものである。一日の中でないだろうか?意外に何もしていない時間。例えば、

・通勤時間
・歩いている時間
・無意識にTVを見ている時間
・だらだらとする残業時間
・過剰なまでの睡眠時間

などなど。

通勤電車内では新聞や本、耳ではiPodに無料でDLした英語のニュースも聞ける。歩いている時間も同様、耳から自己啓発が出来るし、意識を集中して自分なりの精神を練ることも可能だ。

無意識の内にだらだらとTVを見ている時間はないだろうか?リラックスする時間はとても大事である。これについては後の章に譲るが、無意識にTVを見ることが習慣化されているというのは自己啓発とは逆の行為と言ってもいいかも知れない。時間や見たい番組の制限を自分で決めてしまうのが肝要である。

時間だけが無駄に過ぎていく残業はしていないか。特にここは日本人の注意するところだろう。残業そのものを否定している訳ではない。人間一時期は徹底的に残業してでも思いっきりやって、ビジネス体力を鍛えるのもひとつの自己啓発である。今例に挙げているのは自分にとって自己啓発とはならない残業の習慣化である。

過剰なまでの睡眠時間はとっていないだろうか?休みの日といっても体がだるくなるまで寝るよりかは、何かできる時間があるはずだ。

このように、自分の生活を改めて見直してみる。こう考えてみると、意外と使える時間は出てくるものだ。何もしていない時間が流れるのは、なんとももったいない。一日の生活にリアルに取り入れる、これぞ正に趣味、自己啓発。

2011年12月2日金曜日

元の黙阿弥


筒井順慶が父、筒井 順昭。


其の老臣、島 左近。


――われもし死せば、松永大和を侵し、わが家を奪らんこと必定であろう。されば、わが死後三年は、ふかく喪を秘すべし。

といい、

――奈良に盲人あり。

――名を黙阿弥という。

島らは、主人がなにをいいだすのかと思って、かたずをのんだ。

――常にわれに伺候し、容貌、音声、われに酷似せり。・・・・・・左近。

はっ、と島は、進み出た。

――そちは、慧い。ここまで言えば、わしの方籌がわかったであろう。

――御心中、隈なく承りましてござりまする。

順昭の死後、左近たちは、黙阿弥を順昭に仕立て、三年、病床に臥せさせておいた。

故順昭は「三年」といったが、味方でさえ黙阿弥を主君と思いこむようになったため、喪を発したのはなんと永禄三年、足かけ十年目である。この間、盲人の黙阿弥は、ずっと病床にいた。

その後、筒井家では黙阿弥の功労を謝し、多くの金品をあたえ、故郷に帰した。つまり「もとの黙阿弥になった」という日本のふるい成語は、この故事から出たものだ。

2011年12月1日木曜日

ヱヘンの手紙/文久三(一八六三)年五月十七日

 
最近は日本で一番の軍学者
勝麟太郎という
大先生の門人になり、
特別にかわいがられて、まあ
お客様のような扱いを受ける
ようになりました。近いうちには
大阪から十里の地、
兵庫という所で、大掛かりに
海軍のことを教える所をつくり、
また四十間五十
間もある船をこし
らえ、弟子も四、五百人が各地から
集まりますので、
私はじめ高松太郎
なども、その海軍所で
稽古や学問をし、
時々船に乗り稽古もし、
練習船の蒸気船で
近いうちに
土佐の方にも参ります。
その時はお目にかかりましょう。
私の考え方については、この頃
お兄さんもおおいに同意
してくれ、それはおもしろい、
やってみろといって下さる
というようなわけで、
前にも言ったように
もし戦いでも始まれば
それまでの命。今年無事で
あれば私が四十歳になる時のことを、
むかし言った
のを思い出して下さい。すこし「エヘンの顔」
して、目立たぬようにしています。
達人の見る目は
大したものだとか、
「徒然草」にも書いてあります。
なおエヘンエヘン。

かしこ
龍馬

五月十七日
乙大姉御本
この手紙のことは、
まずまずの間柄の人へでも、
言うと誤解されたりするので、
お姉さんお一人が聞
いておいて下さい。
かしこ

2011年11月30日水曜日

土佐日記~後藤象二郎生誕地~

 
龍「きょうは武市の仇をとくと見た。
  士道の手前、斬って捨つべき相手ではあるが、
  話すうちに相手の人物のおもしろさにつりこまれて
  斬ることをわすれた」

菅「後藤象二郎は武市半平太の仇であるぞ」

龍「あぎ(あご・武市の異名)にはいずれおれは冥土であやまる。
  仇のことはいうな」

菅「しかし武市を後藤が殺した、という冷厳な事実はおおうべくもないわい」


龍「覚兵衛、それは当方の言いぶんじゃ。
  後藤は後藤で、われらをおじの吉田東洋の仇と思うちょる。
  いや、そういう立場にある」

菅「吉田東洋は佐幕の奸物じゃ」

龍「先方は先方で、いろいろ言える。
  双方がたがいに仇かたきと言い蔓っては、
  水戸の党禍の二ノ舞になるばかりじゃ」


龍「後藤が、くだらぬ男なら武市の仇として斬ってもいい。
  しかし、
  あれはいまの天下の混乱をおさめるのに
  一役振らねばならぬ役者だ。
  芝居がはじまろうとしているのに、役者を殺してはどうにもならぬ」

菅「どんな男だ」

龍「土佐にもあんなやつがいるとは思わなんだな」

菅「つまり?」

龍「偉いやつさ」


菅「どうえらいのだ」


龍「あいつにとっては
  この坂本竜馬はおじの仇の片割れといっていい。
  しかしあの男は、
  あれだけの長い酒の座で、ひとことも過去を語らなんだ。
  ただ将来のみを語った。
  これは人物でなければできない境地だ」


菅「それだけか」


龍「いま一つある。おれとの対話のなかで、半分おれに話柄を与え、
  半分自分に話柄をひきつけてしかもおれにひきずられない。
  こういう芸ができる男は、天下の事がなせるとみたが、
  覚兵衛はそう思わぬか」



・・・の後藤象二郎はこの地で生誕か~


そうだ、土佐 行こう。

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2011年11月28日月曜日

志士

 
橋下徹は、志士だ。
陰ながら応援しとります。

2011年11月27日日曜日

【人間力第73回】第五章 時間




トンデモナイのを発見シタ!ヤバイ、泪デル.
OLD TIME IS PAST NEW TIME BE COME ALRIGHT GET SET ON YOUR MARK♪ IT'S NOT TOO LATE BECAUSE WE ARE YOUNG♪BECAUSE WE ARE YOUNG♪


第五章 時間

■時間を考える

我々は“時間”という財産を持っている。これはかけがえのない財産のひとつで、これをどう使うかによって人生のカラーも当然変わってゆく。

今、誰かが何歳かは別として、あと70年生きたとしよう。秒数で数えるとあと22億752万秒残っている。あれ?思ったより少ないなぁ。と、言っている今も1秒、1秒とその財産は減ってゆく。一日6時間寝たとしよう。2万1千600秒も一気に減る。

この財産の大小は別として、一日に与えられた時間は誰もかれもが皆平等に24時間だ、8万6千400秒である。ビル・ゲイツもロビン・フッドも、坂本龍馬も我々も同じ秒数である。自己啓発するならば、この財産から目を背くことは出来ない。自分は、この時間という財産を無駄遣いしてはいないだろうか?

――と改めて振り返ってみる。


★★★実践★★★

一日の中から“何も啓発されていない時間“を削除していこう!

2011年11月25日金曜日

脱藩後初めての手紙/文久三(一八六三)年三月二十日

そもそも人間の一生など、分からないのは当然のことで、運の悪い人は風呂から出ようとして、きんたまを風呂桶の縁で詰め割って死ぬこともある。
それと比べると私などは運が強く、いくら死ぬような場所へ行っても死なず、自分で死のうと思っても、また生きなければならなくなり、今では、日本第一の人物勝麟太郎殿という方の弟子になり、毎日毎日、前々から心に描いていたことができるようになり、精出して頑張っています。
ですから、四十歳になる頃までは、うちには帰らずに働こうと思っています。
兄さんにも相談したところ、最近は大変ご機嫌がよくそのことについてもお許しが出ました。
国のため、天下のために力を尽くしています。
どうぞお喜び下さい。かしこ。

三月二十日


乙様
おつきあいのある人のなかでも、ごく心安い人ならば、そっと見せてもいいです。かしこ。

2011年11月24日木曜日

良助殿/文久元(一八六一)年十月十四日

 
一つ 金二両。
これは私が讃岐へ参りますときに、金が入り用になって借用したものでございます。
返済はことしの暮れまでに 一割五分の利子を添えて、元利とも必ず完済いたします。
借用のこと 以上のとおり。

文久元年十月十四日
坂本龍馬

良助殿

【土佐日記】~武市半平太先生旧宅~

 
武市瑞山。

ついにやって参りました、武市先生の旧宅。

ここで、富夫人がふとんも引かずに共に闘っていたのか~

富夫人。

すぐ裏には瑞山神社。

傍らの石碑には“日本精神”。

こちらが旧宅の全貌。

瑞山神社。

武市半平太先生。


そうだ、土佐 行こう。

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2011年11月22日火曜日

梟の城

 梟の城。
これには参りました。

司馬遼太郎の作品でははじめてという長編、にして直木賞受賞作品。処女作といってなめてかかったら、いかんです。もう司馬遼太郎節が炸裂、いや、むしろそれが濃厚に表れている。忍者が主人公なので基本的に裏。信長~秀吉~家康の表ではなく、同時期においても裏で暗躍するドラマ。ミステリアスな部分も終始読み手の心を掴んで逃がさない。そして、最後の最後の結末には、参った。いや~参った参った。




梟の城 (新潮文庫)梟の城 (新潮文庫)
(1965/03)
司馬 遼太郎

商品詳

現存する最古の手紙/安政五(一八五八)年七月頃

 
この手紙を持って行く者に、以前に大回り船で送った荷物の行方が知れんとは言われんぞよ。この男の荷物じゃきに。手紙が龍馬から来たけんど間違ったと言っておいてください。前の便で送っておりました菖蒲は全部根づいたということ。またそれぞれに送った物も到着したということですね。その荷物は赤岡村の元作という人の物です。この手紙を持って行く者で、飯を炊いてもらっている者であります。大変よい人なのでよろしくお取り計らいくださいますようお願いします。今大急ぎで書いています。ご推量ご推量。この頃は○がないのでいけません。私の帰国は今月末から来月初めになりますが、土佐に帰るまでには時間がかかりそうだと思っております。また、明日は千葉道場へ常州から来る人の神道無念流の試合があります。今夜はその準備で竹刀や籠手をつくろわなくてはならんので、忙しい。お手紙を詳しく書くことができません。

かしこかしこかしこ
坂本龍

2011年11月20日日曜日

【人間力第72回】第四章ダイジェスト



・感情に自分の舵を取られてはならない。自分の道は、自分の心が決めるべきだ。

・自分に合った平常心へのスイッチを持ってみる。

・親は子供に、感情的には怒らない。

・落ちるところまで自分を落とせば、後は上がるだけである。

・「元気があれば、何でも出来る」としたら、元気がなければ何も出来ない。

・他人の喜びをまるで自分の事の様に喜ぶ。

・感情をコントロールする者は、人生を制す。

2011年11月14日月曜日

鬼の棲む国、土佐

明日は坂本龍馬の誕生日にして命日。


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これより高知へ旅立ちます。
すっごいワクワク、胸がキュンとするっていいね。

【人間力第71回】赤木キャップの教え

最後に、スラムダンクからは赤木キャップの名言に触れたい。


赤木キャップはこう言った。
「リバウンドを制する者は、ゲームを制す」

このリバウンドを“感情”と置き換え、ゲームを“人生”と置き換えてみる。
「感情をコントロールする者は、人生を制す」

2011年11月10日木曜日

心が折れそうになった時に思い出す言葉

「やめるのはいつでもできる。なぜ今、やめるのか?」

2011年11月9日水曜日

2011年11月15日とは何の日か。

 天保6年11月15日に生まれ、慶応3年11月15日 つまりは33歳の誕生日が命日となったのは坂本龍馬。日本の近世末期に活動した武士。土佐藩出身。

苅部俊雄、現在33歳。
あと一週間か~
一週間をきったか~

2011年11月7日月曜日

ご飯をおいしく食べる

 趣味に自己啓発をあげているのはまんざらでも、ない。14歳から始めたこの趣味も、そろそろ板についてきた部分もある。

「ご飯をおいしそうに食べるね」とよく人に言われる。それは、実際に美味しいからだ。ご飯は、基本的に美味しい。最高に美味しいを100点、口に入れたら嘔吐するレベルを0点、美味しくもなくまずくもないのを50点と設定したとする。

ときどき「●●●のラーメンはまずい」という人がいる。私にはそれが、信じられん。「まずい」ということは、上記の定義においては49点以下の部類に入る。私はラーメン自体が好きなので、おそらく75点未満のラーメンには出逢ったことがない。個人的な意見はおいといて、49点以下のラーメンとは、相当なものだ。それがラーメンである限り、49点以下のラーメンとは、作ろうと思ってもなかなか作れるものでもあるまい。

しかし、ある人はそのラーメンを「まずい」と言う。ここで仮定してみる。その人が食べたラーメンは、その人にとっても実は60点ではなかったのだろうか。いや、ココでのポイントはこの点数は人によって異なるということだ。それは、解っている。しかし、それを踏まえた上のことだ。

つまり、人によっては「美味しくもなくまずくもない」という設定が80点の人もいるかも知れないことだ。そしてこうした状態の人のことを「舌が肥えた」と言うのかも知れない。しかしながら、やはりこの問題を「舌が肥えた」だのなんだのとと解った風に片付けるのは浅はかだ。

単刀直入に言おう。「まずい」と言うからまずいのだ。いや、厳密に言うと「まずい」と言うと「余計にまずくなる」という真実だ。これは、重要なことだ。嘘だと思うならカレーを食べる時にうんちを想像して食べてみると解りやすいかもしれない。或いはピザを食べる時にゲロをイメージしながら食べてみるのもいいだろう。

逆もまた然り。美味しいと思考が働けばおのずと美味しくなるものだ。これは、「独りで食べるより皆で食べた方が美味しい」とよく言うアレであり、実に真実が含まれている。

冒頭で「ご飯をおいしそうに食べるね」と言われると書いた。この場に例えばひねくれ者がいると、「舌が肥えてないんだ」「美味が解ってないんだ」「腹さえ膨れれば味なんてどうだっていいんだろう」といった次元の低い言葉を言う人もいる。。。

私は、たとえ50点の料理であろうと「美味しい美味しい」と食べてそれを体感点数では70点にも80点にもすることが(たぶん)できる。まぁ、60点くらいは固いだろう。それで、いいのだ。50点のものを「まずい」と言って自分でわざわざ体感点数を40点に下げる非合理なこと(わざとまずくすること)を私はしたくない。私は、「まずい」より「おいしい」方が好きだ。

そしてこの話には、もうひとつ重要な要素が含まれている。それは、「その場の雰囲気」にも大きく影響するということだ。さっきの話で言うとカレー屋さんに行ってうんちの話をしたら、おそらく白い目で見られるだろう。いや、ゲロの話も含めて食事中にはなるべく聞きたくない話だ。→「まずい」も一緒だ。

「それとこれとは話が違う」という人がいる。もちろん違うかも知れん。しかし、今は本質ベースのお話だ。どれも同じく「雰囲気を悪く」する。こう考えると食事中に「うんち」の話や、「ゲロ」の話や、そして「まずい」とか偉そうにケチをつける事は非常にナンセンスだということが解ろうというものだ。


水は真実を語る


「水からの伝言」はさておき、このブログのどこかで書いた「疲れる」とは言わないこと、高杉先生が言う「困った」とは言わないことなども同じことである。そしてまた江戸っ子が暑い日に「暑い」、寒い日に「寒い」というのは野暮だとされること、どれもこれも同じなのである。口にすると、それが現実味を帯びてより具現化されること、ましてや自分どころかその影響はそれを言った人の周りにまで及ぶものだ。

だから、食事中に「まずい」というのは「うんち」と言っていることと同じなのだ。それがもし、料理人にどうしても伝えなければならない立場、状況なのであれば、その人と2人きりになった際に言うべきであろう。なにも食卓の場で「うんち」の話をするべきではない。「うんち」の話をして周りの人にまで気分を害することは、ない。

だから、ご飯を美味しく食べたいと思うのなら、まず「美味しい」と思うことだ。人とのコミュニケーションを良くしたい時にその人の「欠点」ならず「長所」を探すことと同じように、料理においてもその「美味しさ」をまず味わうことだ。さすれば食は楽しくなり、それ自体が自己啓発となる。

ご飯を「おいしく食べる」、「食べない」においても自己啓発し、そこから色んな事にも繋がる云々を言う辺り、私は果たしてめんどくさい。めんどくさい男だが、これがなかなか止められない。

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