2011年3月27日日曜日

【日本一周24日目】北海道→青森

 2002年8月6日、夏。

この日の写真を見るといきなり、

いくら、うに、


かに。

って~ことは、

丼どん亭のみなさ~ん。

そうそう、北海道を周った後にまた寄りますという約束だったのです。するともうここは函館、ということで津軽海峡を渡り、


青森に到~着~。これも約束通り青森のねぶた!に間に合いました~。ほんとはこのねぶたの写真なんか15枚くらいあるんですが、ここでは割愛~。

さてさて、当時の生な日記は・・・


---------------------ココから---------------------
8/5、あれより函館目指すが雨がひどく、札幌で就寝。

8/6、今朝は晴れ。朝5時に函館へ出発、函館に着くと8/2の『活いかのおどり喰い』を食べた丼ドン亭へ寄る、「おかえり~」と出迎えてくれた。いくら、うに、毛がにを食べる。ここは大変親切なお店で2日も色々道等アドバイスをもらい、今日も船で食べろと飲み物、つまみ等を頂いた。ありがとうございます。m(_ _)m 函館に丼ドン亭あり。大磯に丸あり。
青森に着くと丁度、ねぶた。力強い祭りだねぇ、何だか俺も祭り創りたくなってきたよ。
---------------------ココまで---------------------

そうそう、思い出した。飲み物とつまみをいっぱいいただいた!

ということで、残り4日、7都県~

2011年3月26日土曜日

【人間力第52回】感情的ロールプレイング

 さて、前回の続き、早速のロールプレイングです。


c'mon everybody!!!

とある土曜日、この4人はB宅に集まった。明日の日曜日にBは新居に引越しを予定していて、その前日の今日、前祝いも兼ねての事前整理手伝い、というものであった。

4人は働きに働き、荷物は大分整理され、ダンボールに振り分けられ、後は大方明日に運ぶところからでも始められる状況まで片付けた。

夜も更け、今日の「お疲れ様会」と「明日もよろしくね会」と冒頭にも述べた前祝いを兼ねての宴が始まった。お酒を交わし、宴もたけなわになってきた頃である。

そこに、「いらないもの」として別置きされたひとつの山がある。Bは、この際不要なものはすべて処分するつもりでいて、手伝いの御礼として他の3人に欲しい人がいればあげるつもりでいた。それで、はじめからひとつにまとめていたのである。

Bがこう言った。

B:「コレ全部処分するけど、欲しいものあったら持っていって」

こうして他3人は、それぞれ何点かを手に取った。――ここまでは良かった。場は皆手に取った後で落ち着いたように見えたが、楽観的なCがこう切り出した。

C:「僕、Aさんの持っているスーツ、欲しいです」

Aもそのスーツは譲りたくないものであったらしく、

A:「いや、悪いがこれは俺が先に取ったものだから」

Cは引かない。

C:「そこを何とか。譲って下さいよ~」

A:「いや、だめだ」

C:「Aさん、お願いしますよぉ~」

ここでAがカチンときた。単純に目の前のCが気に食わないが、このくだらない押問答の中に自分がいるのも腹が立つ。同時にこの瞬間、敏感にBがこのAの怒りを素早く捕えた。

が、

B:「まぁまぁ」

としか、Bは言わない。

楽観的なCは、けろんとしている。何事にも興味が薄いDは、この押問答に入って来ようともしない。改めて言うと、この楽観者CはBの後輩であり、このCにとってAは先輩の友人にあたる。

ここで場の空気を読めない楽観者Cは再度口を開いた。よっぽど欲しかったのだろう。。。

C:「やっぱりAさん、そのスーツください。一生のお願いです!」

そこでAの手が出た。Cは殴られた後、何が起こったのか呆然としている。そしてAはそのスーツをCに投げつけ、

B:「Bさん。こりゃアンタの教育がなっていない。アンタなら何か言ってくれるものだと思っていた」

そう言って、とっととB宅を出て行ってしまった。Bは、玄関までAを追ったが、それ以上は追わない。Dは終始黙っていたが、それからAを何故か倦厭するようになった・・・。


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※さて今回はですね、4人かの例人(たとえびと)を出して考えていく長編となります。次回に続きます。

2011年3月23日水曜日

辛らーめん

 辛らーめん、

とは、ご存知韓国が世界に誇るラーメンの芸術である。

らーめんに関しては“狂”である某の中でもゆうにベスト10には入るだろう。どころか、辛さ部門では威風堂々たる一位、その位置に鎮座しておられる地位は不動なること富士の如し。

本場韓国では至るところに出てくる。例えば、ラーメン屋さんでもこのインスタント辛らーめんにその店なりの味付けを加え仕上げる。居酒屋に行って締めのラーメンを頼むと辛らーめん。鍋料理を食べた後に入れる麺も辛ラーメンの麺、、、といった具合だった。

この粋華志義ブログでも何回か口にしました「一日一個のカップラーメン生活。しかも水」というその「カップラーメン」というのも実のところこの辛ラーメンが半分くらいだった。と、いうのも海外性のカップラーメンというのをその国々で片っ端から食したが、どうにも口に合わない。となると、海外でも出現率の高いこの辛らーめんに手を伸ばす。

どうしてだろう、同じような辛い系らーめんは山ほどあるのに、この辛らーめんの味は格別だ。もしかすると、艱難を共にした某の感情が知らず知らずの内に入っているかも知れない。とにかく、松陰先生風に言うとらーめんに“狂”であるがために万歩譲って冷静にどう判断しても、やはりこの辛らーめんは芸術なのである。

そのスープはもちろん、辛さ加減も絶妙だ。その辛さ加減が口に残す後味は次の辛らーめんへの食欲を十二分にもそそる。またスープも量を加減するとまた違う世界がある。無論、量を増やすと味が薄くなりつまり辛さが薄くなりマイルドになる。スープの量を減らせば辛さは増し、旨みもそれだけ凝縮する。しかし、量を減らせばその旨みは増せども、その芸術を食せる楽しみもまた減ることになるので注意されたい。

また、スープと2トップで評価されるべきは麺だ。そのもちもち麺は他のらーめんの追従を許さない。もはや、それこそ、交渉の余地もない。そして、このもちもち麺はこの辛い系らーめんしか合わない、ということだ。例えばみそらーめんには合わない。増してや、しょうゆらーめんにも合わない。たぶん、しょうゆらーめんに入れようとするなら「おととい来やがれっ」と言われると思う。絶対言われる。

しかし、逆を言うと辛い系らーめん(と言っても韓国風辛い系)には何でも合う、ということだ。この点、一見頑固にも見えるがそれは浅はかであり、実は辛い系を極めた実力者でありこれが辛らーめんの醍醐味なのであろう。例えば、先に述べた本場韓国のらーめん屋さんも何件か周ったが、やはりその店店で調理の仕方が違う。スープはその店秘伝であろう独自のものを大鍋に用意してあり、インスタントである辛らーめんの麺だけを茹でて秘伝のスープに入れる。そこにその店オリジナルのトッピングが加わり、さらにオプションで追加が選べる、というシステム。(だったと思う)

日本人であれば、はじめは戸惑うであろう。だって、普通のらーめん屋さんに入ったのに、使う麺といえばインスタントラーメンである辛らーめんの麺をおもむろに使うのである。目の前で。ちなみに、袋に同封されている粉末スープの元は捨ててる。日本のらーめん社会ではありえないこのシステムに対する躊躇は、そのらーめんを口にした瞬間に解放され、自分の脳裏の中ですべてが繋がるであろう。――――――――ありがとう、と。

要するに、なんとも合理的なのである。辛らーめんのその麺がひとつを極めたが故に、誰もそれに挑もうとせず――いや、それに対抗しようとする気持すら失うのであろう――むしろ万人が万人とも、その極麺にあやかろうとしている。つまり、自分の独自の辛い系スープに麺を極めた辛らーめんの麺を入れれば美味しい。単純にそういうことなのであろう。というか、それほどのレベルなのである。

名前から見てもその凄さが伺える。“辛”らーめんなのである。当然、韓国では“辛さ”において群雄割拠の時代、辛さ若しくは辛い系らーめんの戦国乱世、その下克上の中で辛みを勝ち取った栄光、“辛”。その一文字の重みは我々には到底謀り知れない。孔子が“仁”を説き、孟子が“義”を説いたように、“辛”という一文字に全てがそそがれているのである。それが、“辛”らーめんなのである。

その他にもまだある、例えば一緒に入っているネギや調味料、、、といったところだが松陰先生風に言うとらーめんに“狂”であるがためにこの話をすると止まらなく、そろそろ仕事にさしつかえるので、ここら辺で止まられたい。それでも最後に、ネギ、ネギです。次回辛らーめんを食される時にはネギにも注目されたい。それは・・・

・・・ということで強制カットします。

要するに、本日の本題に入りますとこの辛らーめん、某も食したことのないレシピ一覧を発見したので下記にご報告いたしまする~m(_ _)m


http://www.nongshim.co.jp/recipe/

2011年3月20日日曜日

【人間力第51回】続き

 さて前回の続きです。


詩がものすごくいい。
なにか行動に移す時にはいつもこの曲聞いてました。

Bさん
Bさんはお人好しで人に知られている。人の心を読める人で、場の雰囲気にも敏感である。「怒ることは人間として器が小さい」と自分で戒めており、常日頃平静を保っている。争いが好きではなく、誰とでもうまくやっていきたいと思っていて、実際皆からの信頼も厚い。よく言えば誰とでも順応できるタイプ、悪く言えば八方美人。

Cさん
Cさんはおちゃらけ屋さんである。物事に楽観的で「楽しければいい」を無意識の内にもモットーとしている。それだけに物事に対し心から喜ぶ、最高の笑顔をする。ただ、場の雰囲気を読めない時もしばしば。実際、彼自身は人生を心から楽しんでいて、彼の周りには人が集まってくる。

Dさん
Dさんはここで言う感情的なタイプの人間ではなく、要するに何事にも興味が薄い。面倒臭がりでもあり、文字通り適当に人生を生きている。また、人の群れから出ることを嫌い、皆の意見に合わせる傾向がある。 

ここにこの4人が集結したとして、ロールプレイングをしてみましょう。設定としては、AとBが同級生、CとDも同級生で、BはCと同会社でその先輩にあたる。AとDも、BCを通じて面識がある。



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※さて今回はですね、4人かの例人(たとえびと)を出して考えていく長編となります。次回に続きます。

開運道三

 運は、つくるべきものだ。


と、むかし道三はいった。光秀はそれを肝に銘じて今日までの指針としてきた。道三は事実、作った。奈良屋のお万阿も、クーデターによって国主の位置に押しあげた土岐頼芸も、道三の手作りの作品であった。それらの作品群が、道三を開運させてゆき、そのはてに道三は美濃の国主になった。

2011年3月17日木曜日

意中信長

 (道三はさほどの人物ではなかったな)

と信長は思うようになった。

山上の城塞は不便すぎるのである。なるほど堅牢そのものだが、いざ住んでみると、堅牢すぎることが城主としての心の活動をにぶくするのではないかと思われた。

防衛にはいい。

そのよすぎることが、殻の中にいるさざえのように清新溌剌の気分を失せさせ、心を鈍重にし、気持を退嬰させ、天下を取るという気象を後退させる。そのように思われた。


(蝮めはこの城を作ったときから、守成の立場にまわったのではないか)

逆にいえば道三の退嬰の気持が、この城を作らせたともいえなくはない。また同情的にみてやれば道三は、人生の半ばから風雲に身を投じ、その晩年にいたって、ようやく美濃一国を手に入れた。手に入れたときにはすでに自分の一生は暮れようとしていた。いきおい、守成にまわらざるをえなかったのであろう。


(おれは若い。若いおれが、これほどの金城湯池を持つ必要がない。持てば気持がおのずと殻にひっこむようになる。つねに他領に踏み出し踏み出しして戦う気持がなくなればもはや、おれはおれではない)

ニッポン

此度の東北地方太平洋沖地震でお亡くなりになられた方の
ご冥福をお祈り申し上げますと共に
被災された方、そのご家族、ご親戚の皆様には
心よりお見舞い申し上げます。
行方不明の皆様の早期救出、一日も早い復興をお祈り申しあげます。

ニュースを見ていると本当に、心が痛む想いでございます。
こうした時ほど自分の無力さというものを感じずにはおられず
ただただ今の大仕事をきっと成し遂げ
早くこうした状況にも立ち向かえる様に精進する次第であります。

余談ではありますが
私、恐れながら「NPO法人日本PR」なるものを立ち上げ
松陰先生風に言うなれば“猛”を発信していく所存です。
皆様方におかれましては是非とも
お見知りおきのほどよろしくお願いいたします。
www.nipponpr.org

今月中にも法人許可予定、明日も都庁へ参上つかまつります。

顔晴れ!ニッポン!

2011年3月13日日曜日

【人間力第50回】第四章 感情

 現在某が読んでいます“国盗り物語”より、前章「失敗」に関する事柄が載っていたので、昨日あぷしておきました。→詳しくはこちら


キタ━(゚∀゚)━! ホテイ の スリル

第四章 感情

●感情的になる人

皆さんの周りにもすぐ感情的になる人はいないだろうか?仮にいた場合、その人を見てどう思うだろうか?とても人間らしそうではある。ただこれは、状況によってさまざまでしょう。

感情的というと、「怒る」というイメージが強いかも知れないが、勿論、ここでいう感情とは喜怒哀楽を含むものであります。そしてこの喜怒哀楽と人間力とは、非常に切っても切れない関係に成り立っている。さて、これより例を出してみて考えてみたいと思います。

Aさん
Aさんは短気で有名。自分でも「瞬間湯沸し機」と自称しているほど。人の前で堂々と文句があれば罵倒し、手もすぐに出す。その代わり自分でも気に入っているところは、陰でこそこそと人の悪口を言わないところである。周りの人間も、裏表がない人間としての評価もある。



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※さて今回はですね、何人かの例人(たとえびと)を出して考えていく長編となります。次回に続きます。

2011年3月12日土曜日

失敗成長

 ――考えこまざるをえなかった。

(あの執念ぶかさをみれば、あるいは信長こそ英雄といえる者かもしれぬ)

信長の性格を、その逸話から単に短気者とみていた光秀は、意外な思いがしはじめたのである。美濃攻略に関するかぎり信長の性格は、まずその貪婪さ、その執拗さ、この二つが世間に濃厚に印象づけられはじめている。いずれも英雄の重要な資質といっていい。

さらに二敗三敗してもくじけぬ神経というのも、常人ではないであろう。さらに大きなことは、三敗四敗をかさねるにつれて信長の戦法が巧妙になってくることであった。

(あの男は、失敗するごとに成長している)

いや、光秀の越前からの視察では、成長するためにわざと失敗している、と思えぬほどのすさまじさがある。

道三教訓

ともかくも若い間は行動することだ。めったやたらと行動しているうちに機会というものはつかめる。

2011年3月8日火曜日

岐阜 斎藤道三の城下町遺跡か

 戦国時代に大名の斎藤道三が整備した城下町の一部とみられる遺跡が、岐阜市で見つかりました。道三が築いた町の実像を具体的に示す初めての資料になる可能性があるとして、注目されます。
遺跡が見つかったのは、岐阜市中心部の金華山のふもとで、岐阜市教育委員会が去年9月から調査を行ったところ、戦国時代に当たる16世紀半ばの建物や井戸などの跡が出土しました。遺跡は、火災で焼けた土の下にあり、当時は貴重だった中国産の磁器なども大量に見つかりました。遺跡の時代や文献の記録などから、教育委員会では、今回の遺跡が岐阜を焼き払った織田信長以前に美濃の国を治めた大名の斎藤道三が築いた城下町に関するものとみています。これについて岐阜市教育委員会の高木晃さんは「道三の城下町の実像を具体的に示す可能性がある資料が見つかったのは初めてで、大きな成果が得られたと考えている」と話しています。
――NHKニュース
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おおお、正しく今、今読んでます、斎藤山城入道道三。

2011年3月6日日曜日

吉法師三助

尋常でない、傾いた美意識のもちぬしなのである。



服装、行動、日常生活のすべてが、尋常でなかった。服装などにしてもいっさい自分で考えだしたもので、このサンスケのあたまには、「世間では普通こうなっているから」とか、「それが慣例、習慣だから」というような常識感覚でその服装を身につけることはなかった。

【人間力第49回】第三章まとめ

 さて第三章は「失敗」について考えてきましたが、それでは第三章ダイジェストです。


ハァ・゚・(ノД`)・゚、想い出のナンバー。。。

【第三章ダイジェスト】
・5つの失敗に対する対処法

・失敗というばい菌をいっそのこと、自分の体内に入れてしまう。それが抵抗力となる。

・逆境の中に入ったら落ち込む事を止めて、目を輝かせて利益の種を探す。

・逆境はその規模に比例して、精神力を鍛える。

・失敗を自分の、自己啓発のプログラムに組み込んでしまう。

・我々には、人生を楽しむ権利がある。

・行動してなにか「うまくいかなかった」時は「失敗」ではなく、「うまくいかない方法の発見」と捉える。あとは、そうならない違う方法を考えるだけの話だ。

・「行動してうまくいかない」のと、「行動しない失敗」の違い。

2011年3月4日金曜日

【日本一周23日目】まだ、北海道

2002年8月5日、夏。


旭川ラーメン。

ご当地ラーメンを食すというルールがこの旅にはあるので、寄りますた。それにしても、すごい。8月5日の写真はこれしか、ない。やはり人生バックからはなにも生まれん。

ということで、残り5日、7都県~

この旅も、あと5日で終わるのか~

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