2011年4月24日日曜日

【人間力第55回】怒りの感情

さて、先々週の続き、2つめは怒りの感情。


間奏終わって1,2,3,4のとこなんぞ
さすがは吉川晃司。

ここでもやはり、その定義から確認します。

「おこること。はらだち。立腹。(広辞苑より抜粋)」

この感情を、喜怒哀楽の中で最も注意すべきものと考える。おそらく、最もコントロールするのが難しいと言っても良いでしょう。

(そもそも、この人間力を考えるきっかけとなったのはこの事からはじまってましたね)

2011年4月18日月曜日

【日本一周27日目】福島→茨城

2002年8月9日、夏。

この記念すべき某の誕生日は、

栃木から~

栃木と言えば、

ここは外せないでしょう~日光東照宮~


そういや小学校の修学旅行はココだったな~

147.日光猿軍団
と思いつつも猿も拝み~



栃木のご当地ラーメン、佐野らーめんを食します。

茨城が首都・水戸に到着~

・・・と水戸に着いたのはすでに夜も更けた頃でありまして。

この日本一周の旅も、もう明日でラストランか。とは思わなかった。たしかにそれもあったのかも解らないが、水戸に着いたこの写真の時には、すでに次の目的地が頭の中にありますた。

牛久。

この土地に、実は“夢”を思い描いていた。それまでは、聞いたことのないこの地名に、この旅の出発一週間前、某の人生の中に突如現れた。

ことの次第は、こうだ。この(出発前の)一週間前、大仏好きの友人から「日本一周に行くなら、牛久大仏には行った方がいい」という情報が入った。牛久?聞いたこともないその地名に、はじめはなんの良いフィーリングは感じられない。どころか、大仏は日本三大大仏(鎌倉・奈良・高岡)で十分だとタカをくくっていた。

どうやら、その牛久大仏というのはとてつもなく大きいらしい。ギネスにも記録された、と言う。立っている、とも言う。とにかく、すでにこの大仏好きの友人は、興奮している。いや、こちらとてそのように大きい、大きいと申されても、日本一周において すでに大仏プランはできあがっているのだ。一週間前に言われても・・・

それに、男は一度決めたプランをそう簡単に変えるものではない。武士(もののふ)の心得、とも言っていい。コロコロ変えていたのでは、その信念なり想いにいちいち疑問を持たれ、発する言葉もいよいよ軽んぜられ、ついには男というものを廃れてしまうしかなくなる。そうだ、おととい来やがれってやつだ。一週間前のおととい、つまりは9日前に来やがれっ。とは言わなかった。

「なんと、奈良の大仏が手の平にのる」

なんと!強烈なインパクト。ご機嫌なキャッチフレーズ!この言葉を聞いて興奮しない人間はいないだろう。この言葉を聞いて浪漫を感じないなら、男をやっている意味がないだろう。もう、すぐ採用。というか、メインプログラム。もう、男の信念とか言ってる場合では、ない。牛久っ♪牛久っ♪うっしく~♪

それからは夢の中、と書いて夢中だった。ネットで調べてはその大きさに驚嘆し、数字を見ては吠えるしかなかった。そう、かくして、この旅に出る前から、この牛久という地に某は夢を見ていた。

とにかく、茨城は水戸に着いた。すでに夜は更けている。ここから、牛久まではどのように行けばいいのか?いつものようにコンビニの人とか、その辺の通りがかりの人に聞く。たしか、長かったな~と思って今見たら40~50kmくらいあったのね。

とにもかくにも、牛久に着いた。牛久についても、どこにその大仏があるのか解らない。ちなみに、この旅はいつもこんな感じであった。(各地の地元の人々に触れ合うために、「道を聞く」のを口実として、触合いを求めていた)

そこに、屋台のらーめん屋さんがあった。そこでらーめんをいただき、お勘定の時に聞いてみた。すると、

「大仏?ああ、それならそこから見えるよ」

その指指す方向をよくよく見てみると、暗闇の中にそれは大きい人が立っていた。『コレは・・・』息を呑む想いでしたね。暗闇だけになんとも不気味で、たしかに人の形をした影がぼんやり見えるのです。この影を見て、興奮しないのなら、男はってる意味がないであろう。

はしゃぐようにしてその人影を目指し、今日ではバイクとも言う自分の駿馬に鞭を入れて走った。近づくにつれ、その影はいよいよ大きくなり、世の中にこんな風景があるのかと、ますます血が騒ぎ、且つ騒ぎ、もう踊り狂っている。途中から気づいたが、その人影のてっぺんには、よく高層ビルの上に点滅する赤いランプが、光っている。

ついにその足元、というかその深夜では当然そのお寺さんには入れないので、お寺さんの前まで到着した。そこで、興奮も醒めぬまま眠りに着いた。。。そんな24歳の誕生日でありました。

では、当日の日記を見てまいりましょう。



現在地→茨城県水戸市。天気→晴れ時々雨。

宇都宮から日光へ。日光東照宮は実に12年ぶり。小6の修学旅行以来だ。その時全体写真で撮ったあの階段で再度写真をっ撮った。その後、日光猿軍団を見て(→これが思った以上におもしろい!本気で笑える!)鬼怒川温泉につかりる。 
・・・またお世話になっちゃた→佐野ラーメンを食べに佐野へ向かう。ここのラーメンはトシ(以前バイト時代の同志)のお勧め。聞いた通りあの‘手打ち’麺は武器だたよ・・・。これから開拓してきます。今日はご馳走様です。 

で、今茨城水戸に着いた訳だが、この茨城には世界最強の男がいる。その名は“牛久大仏”!立ってんの、大仏が立ってんだよ~!!!しかもあの奈良の大仏が手の平に乗るというギネス級の大仏っぷり! 
今日はこれから彼の足元でこの旅最後の野宿を飾る事にしよう。(^^) 

制覇→栃木県宇都宮市、茨城県水戸市。 

いよいよ明日はラストラン。




ということで、
日本 栃木県宇都宮市、茨城県水戸市を制覇~

残り千葉県、東京都の1都1県~
明日はラストラン!

2011年4月16日土曜日

【人間力番外編】人間が人間を批判すること

政治のことは、こうした場で意見を言うべきでは、ない。

ただ、国でも、社会でも、会社でも、家族でも、サークル、その他人間関係が作るあらゆる団体には、とある共通した“自然な流れ”があるようだ。「こうしたら、こうなる」というものでもあり、「こうなったら、こうすべき」というものでもあり、人間が作る集団(サークルでも、国でも)であるのだから、当然、それら人間が生み出す集大成というのが現実、というのが常にある。近頃、こうした人間、というものにどうしても考えさせられる。

これらは、いつだか(それも最近)も言ったことで、歴史の本を読んでいると意外にもそんな部分がぼんやりとでも解ってくるようなのであります。例えば、今の日本人の性格は、江戸時代の人間が持っていた性質を多分に引き継いでいる。それは、実直、完璧主義、潔さ、分際、質素、礼儀作法、律義、“恐れ入る”習慣・・・など色々挙げられるはずだ。それは江戸時代という文化(仕組み、ともいっていい)が日本人に植えつけた性質であるとも言えそうです。何せ、東京の歴史は今日142年、江戸の歴史は265年ですからその長さは推して計れるものでしょう。


その江戸時代も、徳川家康が興した。徳川家康というのはご存知三河(愛知県東部)の出身で、江戸時代のあらゆる仕組みについて、当時すでに老齢だった家康は「諸事、三河のやり方でゆけ」と、江戸幕府についての仕組みをいちいち“三河風”にした。それが、江戸時代である。さらに言うとこの三河というのは家康の当節 北は武田氏、東は今川氏、西は織田氏に挟まれ、あるいはその前時代からも常に強敵が隣国におり、さらにはその土地柄もあり、とにかく三河人の“性質”というものができた。それが、今の日本人なのである。

例えば、あの時なにかひとつ間違って織田信長が討たれなかったとする、とどうなったか。これはよく話にあがりそうなネタでもありますが、ひとつには現代の日本人はもっとオープンで、自己主張が強く、商売上手で・・・、といった別の性質が出てきたかも知れない。もっとも、信長の作ったとする幕府なり政治が、家康の江戸時代ほど長くは続くかと言うとそれも疑問であるのですが・・・。

ともかく、歴史を読んでいる人、というのはただ“それだけ”ではないように思える。自然とその組織の性質、もっと言えば人間の性質、もっと言えば人間の良いところ、悪いところ。具体的に言うと、こういう窮地にたった時は人間はどういう反応を今まで起こしてきたのか。人がその行動を起こすと、周りの人にはどんな影響が出るのか。それが日本史であれば、その性質が直“日本人の性質”にあてはまるもので、とにかく人が起こす傾向が大まかに読み取れてくるようであります(意識する・しないは別として)。

かと言って、某が何が解るわけでもない。この筋の専門家でもあるまいし、研究をしているわけでもない。研究しているわけでもないが、ただ、自己啓発はしている。それも、その始めは14歳の頃からしているから、ある程度はイタについてきたと言えるのかも知れない。

例えば、本日の主旨で言うと、こんなものが某にとっては印象深い。



第一次大戦直後のこと、わたしはある夜、ロンドンで貴重な教訓を得た。当時わたしは、ロス・スミス卿のマネジャーをしていた。ロス・スミス卿は、大戦中パレスティナの空中戦に輝かしい武勲を立てたオーストラリアの空の勇士で、終戦直後、三十日間で世界半周飛行の偉業をなしとげ、世界をおどろかせた人である。

当時としては破天荒のこころみで、一大センセーションが巻き起こった。オーストラリア政府は彼に五万ドルの賞金を与え、イギリス国王は彼をナイトに叙し、彼は英帝国の話題の中心となった。

ある夜、彼のお祝いのパーティーに、わたしも出席していた。みんながテーブルについたとき、わたしのとなりにいた男が“人間が荒けずりをし、神様が仕あげをしてくださる”という引用句に関係のあるおもしろい話をした。

その男は、これは聖書にある文句だといった。しかし、それはまちがいで、わたしはその出典をよく知っていた。そこで、わたしは自己の重要感と優越感を満たすために、彼の誤りを指摘する憎まれ役を買って出た。

「なに?シェークスピアの文句?そんなはずはない!ばかばかしい!聖書のことばだよ!これだけはまちがいない!」

彼はたいへんな剣幕でそういいきった。その男は、わたしの右側にすわっていたのだが、左側にはわたしのむかしからの友人フランク・ガモンドがすわっていた。ガモンドはシェークスピア研究を長年つづけてきた人だったので、ガモンドの意見を聞くことになった。

ガモンドは双方のいいぶんを聞いていたが、テーブルの下でわたしの足をそっと蹴って、こういった。

「デール、君のほうがまちがっているよ。あちらの方のほうが正しい。たしかに聖書からだ」

その晩、パーティーからの帰り道で、わたしはガモンドに向かっていった。

「フランク、あれはシェークスピアからだよ。君はよく知っているはずじゃないか」

「もちろんそうさ。“ハムレット”の第五幕第二場のことばだよ。だがね、デール、ぼくたちは、めでたい席に招かれた客だよ。なぜあの男のまちがいを証明しなきゃならんのだ。証明すれば相手に好かれるかね?相手の面子のことも考えてやるべきだよ。まして相手は君に意見を求めはしなかっただろう。君の意見など聞きたくなかったのだ。議論などする必要がどこにある?どんな場合にも鋭角は避けたほうがいいんだ」

この友人はわたしに生涯忘れられない教訓を与えてくれた。わたしはおもしろい話を聞かせてくれた相手に気まずい思いをさせたばかりか、友人まで引き入れて当惑させてしまったのだ。議論などしないほうがどれほどよかったかわからない。

生来わたしはたいへんな議論好きだったので、この教訓は実に適切だった。若いころ、わたしは世のなかのあらゆるものについて兄と議論した。大学では倫理学と弁論を研究し、討論会に参加した。おそろしく理屈っぽくて、証拠を目の前につきつけられるまでは、めったにかぶとはぬがなかった。

やがてわたしは、ニューヨークで討論と弁術論を教えることになった。今から考えるとひや汗が出るが、その方面の書物を書く計画を立てたこともある。その後、わたしは、あらゆる場合におこなわれる議論を傾聴し、みずからも加わってその効果を見まもってきた。その結果、議論に勝つ最善の方法は、この世にただひとつしかないという結論に達した。

その方法とは――議論を避けることだった。毒蛇や地震を避けるように議論を避けるのだ。議論は、ほとんど例外なく、双方に、自説をますます正しいと確信させて終るものだ。

議論に勝つことは不可能だ。もしまければ負けたのだし、たとえ勝ったにしても、やはり負けているのだ。なぜかといえば――仮に相手を徹底的にやっつけたとして、その結果はどうなる?

――やっつけたほうは大いに気をよくするだろうが、やっつけられたほうは劣等感を持ち、自尊心を傷つけられ、憤慨するだろう。

――「議論に負けても、その人の意見は変わらない」




なるほど、これが人間の持つ“本質”であるとすれば、かの明智光秀のとった行動も、自然な行動、と思える。人間が起こす“自然な流れ”と思える。先の話で言うと、この人間の本質を知らなかったのが信長、知っていたのが家康、と分別できるかも知れない。例えば、こうだ。



知多半島の東の沖に、佐久島という漁村三つばかりの島がある。家康の船がそこを通るとき、島影から一艘の早船がすすんできた。

「あれは、永井伝八郎かもしれない」

と、船楼から海面をながめていた家康はいったが、他の者はどうのびあがっても豆粒ほどのその人影がよくみえず、まして目鼻まではわからない。しかし近づくにつれ、それが伝八郎であることがあきらかになった。

酒井忠次は家康が言いあてたことがふしぎでならず、しかしちょっとばかにしたような顔で、

「殿は左様か、あの伝八郎を夜伽童になされたことがござるのか」

と、きいた。寝所で愛すると、たがいの心が雲間でさえ通いあうという。それにしても忠次は無礼であろう。この徳川家譜代の老臣で家康にとって叔母婿になる忠次は、かれの讒言によっておこった例の信康(家康の息子)の詰腹事件ののちはさすがに首尾悪くおもい、家康に対しても以前のように不遜な態度をとらなくなったが、それでもときにそれが出る。このときも、そうであった。

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(ばかな男だ)

と家康は忠次の肥った顔を見、やがて視線を渥美沖にうつし、眉を潮風になぶらせた。家康は、話題をそらすために、

「腹がへったな」

と、べつに空腹でもないのに、つぶやいた。じつをいうと、永井伝八郎は、故信康の稚児だった男なのである。

家康はこの場合、
――永井伝八郎は、わしが伽をさせたのではない、死んだ信康があれを可愛がっていたのだ。

と、そういえばすむ。座談としてはそれで完結するが、しかしそれを言えば、あらたな政治的事態が出来する。言えば、酒井忠次の想いはどうであろう。信康が詰腹を切らされたのは、この忠次が信長に讒訴したからであった。が、家康はその後もそれをずっと不問に付した。

いまここで、家康が、

「永井伝八郎は信康が可愛がっていた。いわば信康の形見のような男ゆえ、わしも目にかけている。平素、目にかけているから、目鼻のみえぬこういう遠くからでも、あれは伝八郎だということがわかるのだ」

と言ってしまえば、酒井忠次はおそらく、

(殿はまだわしをお恨みであるのか)

と、そこへ邪推し、邪推がしだいにひろがって、ついには、

(この殿に仕えていても、こう恨みっぽくおわしては、将来、どういう復讐をうけるかわからない。いっそ、いまのうちに反逆するにしかず)

と、おもうにちがいない。摂津伊丹城で信長に反逆した荒木村重も、このたび本能寺の凶変をおこした明智光秀も、もとはといえばそういう疑念が核になって想像をふくらませ、ついにはおのれの滅亡を幻想するようになり、やがては彼等自身の想像がつくりあげた絶対絶命の窮地から自分を救出させるには、信長を殺す以外にないとおもうにいたった。

村重や光秀からすれば、反逆は正当防衛であったであろう。殺さねば、いずれは殺されるのである。家康からみても、あの両人の心情は十分察することができる。信長は、そういう大将であった。信長はかつて酒井忠次の讒言を信じ、家康にその子と妻を殺させた。それほどの目に遭った家康こそ反逆すべきであり、げんにあの直後、信長は家康の動静をこまかく観察していたにちがいない。

が、家康は強靭な筋肉質をもった自己防衛上の意志計算力をそなえていた。家康は、信長という危険な存在に対してすぐれた心理学者のようにふるまい、信長の心理が危険な傾斜をおこさぬよう、そのために必要なあらゆることをした。信長への尊敬心の持続については以前以上に気をつかい、以前以上にそれを表現した。

信長に対する同盟者としての忠実さについても同様であった。徳川軍団は、本宗の織田軍団よりも戦場でよくはたらき、つねに一戦場における戦死者の数も多かった。信長が武田氏をほろぼして東海道を凱旋旅行するときの家康の気のつかいようは、信長を感動させた。

本来なら、信長も、今目の前にいる老臣の酒井忠次も、家康にとってはわが子の仇であったが、それを仇であるとおもったときには自分は自滅するということを家康は驚嘆すべき計算力と意志力をもって知っており、片鱗もそう思わないようにしていた。片鱗も――というのは、片鱗でもそうおもえば、人の心というのは感応して酒井忠次にもひびく。

忠次はすぐさま、明智光秀になるにちがいない。忠次も有能な男であり、光秀にいたっては天下の偉材であった。そういう男であればあるほど、そういう感応力が高く、感応すればじっとしていることはしない。家康の身にも、本能寺ノ変はおこりうることであった。

(一面、片鱗だに思わねば、信長にとって光秀は宝をもちこんできてくれるよき家来でありつづけただろう。酒井忠次もおなじだ)

と、家康はおもっている。げんに酒井忠次とその酒井家は、家康やその後の徳川家に対して必要かつ十分な忠誠心を持続しつづけた。


家康という人物は、決して自分自身を自由で気随な状態において解放してみたことはないようであった。人のあるじというものほど本来、不自由なものはないということを、この男は年少のころから知っており、自分をそう規制してしまっているのにちがいなかった。

かれは、永井伝八郎という若者を、ひそかに他の家来以上に愛している。

――あれは、信康の形見だ。
とおもえば、心の内側が湿ってくるような思いまでするのだが、しかしこの場合、

――伝八郎というのは、そうだ。
ということさえ、家康は口に出すことを自分に禁じているほど、かれは自分の自由を制限していた。彼によると、人のあるじというのは、どうやらそういうものであるらしい。




これらの物語を見てみると、果たして「批判というものはどうやら、しない方がいいらしい」という風に思えてくる。どちらにしても個人的な感想を言うと、外(ハタ)から見ていて批判ほど滑稽なものはない。

例えば、今日の状況でもそうだ。かの人を批判する人が多いが、そういう人に限って、自分の意見というものがない。自分の意見がない限り、批判は“批判”でしかない。批判だけでは当然、そこから生まれるものがない。こういう人は、自分が批判している人なりの立場が、到底理解できないだろう。つまり、自分がその人の立場に成り変わっても、今日でいう艱難は乗り切れるものではない。

例えば、各国の新聞に日本を代表して感謝の気持が掲載された。この一時は、どちらかと言えば良いことになるでしょう。この一時だけでも、各国に与える影響や国民に対しての人気、さまざまなことが考えられるが、それはひとまず置いておいて、どちらかと言えば、単純に、良いことではあるはずだ。

しかし、これに対する評価というものがされない。当然、それ以上の問題や課題なりが自然災害より勃発し、それどころではない、というかその問題なり課題なりが大きすぎる以上、あらゆる功績が踏み潰されている状況にあります。無論、今日攻撃されているかの人がやった功績というのはこれだけではないはずだ。

つまりは、今の日本は自然災害が起こした負のスパイラルが回っており、人間の思考や性質や、もっと言えば批判というマイナスの波動がそのスパイラルを押して押して、加速させていると考えてしまう。ひるがえって言えば、今日の日本は減点方式であって、加点方式ではない。いちいち揚げ足をとられ、行動をいちいち批判される。残念ながら加点方式ではなく、これは紛れもない減点方式だ。減点方式が、どんなものかは言わずとしれたことであります。

もっとも、この浮世にはそれぞれの立場、というものがある。今攻撃されているかの人は、代表である以上、国内外を問わずすべての希望、絶望が押し寄せてくる。もっとも、代表であるだけで、彼一人が政治をしているわけではない。というよりもそのほとんどが彼のバッグにいる“表には出て来ないアドバイザー”によるものかも知れない。ともかく、こういった立場、それが解っていてやっているのであろう。解りきっている以上、今更その職を今までのように簡単に投げ出してしまうような暴挙だけは、なんとしても止めてほしい。この後に及んでそんなことをすれば各国の日本に対する考え方はどうなるであろう――。

立場、というものでは、コメントをするコメンテーターという人がいる。コメンテーターは批判をしてなんぼの業界のようだ。ただ、世の中はここでも二極性のようで、つまるところ、コメンテーターにも「良いコメンテーター」と「悪いコメンテーター」がいるようだ。例えば、とあるコメンテーターが言っていたのは、「自分の本心は全く別に置いておき、どうコメントすれば(世間が)盛り上がるかを考えている」というものであった。

例えば、マスコミでもそうだが話題性がないと売れない。売れない、ということは彼等が食っていけない、という深刻な状態でもあるのだ。こうした世界だから、嘘のネタがかねて絶えない。

これをもっと大きくした話だと、ある一部の人なんぞは日本がマイナスになる記事を書く。すればある他の国ではその記事が高く売れるからだ。他の国としてはその国でいろいろな問題を抱えており、敵国をでっちあげて自国民の怒りを転換したい、だから煽る、煽る、且つ煽る。そして、それを高く買う。

三河からきた日本人は、どうにもこの情報戦争が、苦手らしい。

これらのことが人間の性質を考えると、すべて“自然の流れ”と思えて仕方がない。だとすれば、やっぱり思うのがこの国難にあたり、今すべきことは批判ではなく、自分ができることを精一杯やるのみだ。批判がしたいのなら、アイデアを合わせて言うべきだ。すれば、批判ではなく、意見となる。

という話をしていると、――これはほんとに偶然だが――最近、某の仕事の兄貴分にあたる人が当選した。この方とは特に今回のような話をしたこともなかったが、そのスローガンを見るにあたり、考え方は、同じなようであります。

カリン支持率100%です

しかし、批判することすら、言ってみれば人間の持つ醜い本質。どうしたって批判が消えることはないです。だって、批判する人はどんな状況でも批判するのですから。いつの時代にも。さればそれも世の中の自然な流れとして留めておき、せめて自分だけは批判はしないように心がけたい。それより、今自分ができることを精一杯するんだ!

2011年4月11日月曜日

【日本一周26日目】仙台→福島

2002年8月8日、夏。

この日の写真を見てみると、

まずは福島に到着~。
言わずとも早くの復興を、お祈りしています。

続いて会津は喜多方にやってまいりまして、

喜多方らーめん発祥の店・源来軒へ~

喜多方の街ははじめてきましてね、行った当時はそんなに大きくもない街に100店以上のラーメン屋さんが連なり、日本でも屈指のらーめんの里だったんですね、行くまで知らなかった。

しかも!その当時のキャンペーンか何かで、たしか「○○日以内で(○○登録店の店の)らーめん○○杯食べたら、一生(○○登録店の店の)らーめん無料の手形がもらえる!」みたいなのをやってました。なんともインパクトある、魅力的な企画なのでしょう。(○○登録店、というのは喜多方にあるラーメン協会みたいなきちんとした団体で、喜多方の、そのほとんどの店が登録されていたように記憶しています)

が、しか~し!某には使命があったので見送りましたが、そうでもなければ“らーめん好き”として食べていましたろう、信長風にいえば「是非に及ばず」食べていたことだろう。

とにかく、その源来軒です、

こちら。

これが、めっさ美味しい。このお店が、天下に名高い喜多方らーめんを生み出したのか、という想いが多少評価を押しあげたのかも知れないが、どう少なく見積もっても、今回の旅で周ったご当地らーめんの中では、一等うまい。では、今回の旅で周ったご当地らーめんを一緒に思い出してみましょう。

・和歌山ラーメン  (和歌山県串本町) 
・博多ラーメン   (福岡県福岡市) 
・長崎ちゃんぽん  (長崎県長崎市) 
・熊本ラーメン   (熊本県熊本市) 
・沖縄ラーメン   (沖縄県那覇市) 
・札幌ラーメン   (北海道札幌市) 
・旭川ラーメン   (北海道旭川市) 
・喜多方ラーメン  (福島県喜多方市) 

う~ん、思い出してもやっぱり美味しい。ぐふふ。

そしてお次の写真は、


そうだ、そうだ、ブリティッシュヒルズに行ったんだったのね。ブリティッシュヒルズとはですね、某の専門学校の研修施設と言いますか、避暑地とも言いますか、45度くらいもありそうな急な坂道を登りきった山奥のてっぺんもいいところにある英国を想定した“ヒルズ”でありまして。まぁこのへんぴな山奥に小さくとも広大なブリティッシュの街があるわけです。

当時の日記は――


福島市を制覇後、喜多方らぁめんを食べに喜多方を目指す。この町は正にらぁめんの街。人工3万人の街にらぁめん店が100店舗以上あるらしい。この中で丸が一店一店面接をして選びぬいた(^^)店が‘源来軒’→喜多方らぁめん発祥の店だ。ここはうまい!以上。 
その後、福島のイギリス、ブリティッシュヒルズを目指し山を登山。(ここは専門時代の後輩、Tが勤務してる。)山の天気は変わりやすく、山に入ったとたんに雨。ここで3日ぶりのシャワー。Tに連れられお土産ショップで非売品のシールを頂いた。ありがとです。
 


そうだ、そうだ、3日ぶりのシャワーだったのね。あ~思い出した。この時のシャワーほど気持ちいいものはなかったね!この旅では毎日が野宿で、昨日はどこぞの駐車場で、今朝までは公園のベンチの上で寝ていた人間が、3日ぶりのシャワー!どころか施設のジャグジーなんかも利用しちゃったりして。

でもね、思い出した。たしか、この日はこのブリティッシュヒルズには、泊まっていない。目の前にはシェフが作る食事、パブではお酒、そして就寝の時にはふわふわしたベッドの上で、旅の疲れも癒すことができただろう。それも、百年の知己である後輩がいてる、優遇もしてくれたことでしょう。

しかし、その時某の欲していたものはふわふわなふとんでもなく、美食美飲でもなく、“義”というものであった。なるほどシャワーは浴びさせてもらった。ジャグジーも入らせてもらった。偉そうに、大の字で常連のように威風堂々とさせていただいた。しかし、ブリティッシュヒルズに行ったのはそれが目的ではなく、このかわいがっている後輩に会いに行ったことだった。

されば目的は果たしたわけであって、下山するしかない。ここで泊まってしまっては、世間の者はどうみるであろう。「かの者は、日本一周!とか言っておきながら、日本の“地”の上で野宿もせずに、英国のベッドの上で悠々と寝ている。結局は目先の楽に負けるかぶれ者よ」となるに違いない。ついには、大義名分である「日本一周」の名にキズがつく。自分の義にも反することになるだろう――。かつて戦国の時代に「中国者の律義」と言われたように、漢には、いかなきゃいけねぇ時がある。・・・といった感じのことと記憶しております。

とにかく、本日は日本・福島を平定。
残る期限は2日、
日本一周まで栃木県、茨城県、千葉県、東京都の1都3県!

2011年4月10日日曜日

陽気陰気


(幸若舞とおなじだ)

と、秀吉はかれの好きな芸事で思った。舞手のなかでも陰気な芸と陽気な芸がある。陰気な舞手はうしろめたく舞うがためにたとえたくみに舞ってもひとびとはその巧みさよりもその欠点に目がゆく。逆に陽気な舞手ならば、舞手自身がわが芸を大肯定しているがために少々下手に舞っても、観衆はその陽気にまどわされ、つい欠点に目がゆかず、長所にのみ目がゆく。

【人間力第54回】喜びの感情

 まずは、喜びの感情。


ホテイ様と吉川晃司、実はこれが最強の組み合わせだと思っています。
ホテイのギターに踊る吉川晃司、あまりに見事。
今回より伝説のバンド「COMPLEX」最後のステージを順にアップしていきます。

今回も、まずはその定義から確認していきたい。

「よろこぶこと。うれしく思うこと。また、その気持。(広辞苑より抜粋)」

この感情を前面に出せる人は素晴らしい。人間、成長すると経験値が上がり、滅多なことでは喜ばなくなることもあるようだ。喜ぶ経験を積むうちに、その喜ぶ原因である事柄に哀しくも慣れてしまい、“当たり前”とまではいかなくとも、その反応がどうしても薄くなってしまう。

極端な話を出すならば、世の中に対し、何事も冷めている人もいる。何事にも“動じない”強い精神力は必要かも知れないが、この動じない精神力を持つことと、世の中に冷めていることは全く違うように思える。ちなみに喜びの達人とは「他人の幸を、あたかも自分の事でもあるかのように喜べる人」である、というのをどこぞの本に書いてあった。

2011年4月9日土曜日

秀吉美点

 さらに小六が見るところ猿の最大の美点は、あくまでも陽気なことであった。これだけの重囲のなかにありながら絶えず笑い声を立てて守備隊と作業隊を励ました。


「人の気が沈めば、戦はしまいだ」


最近、この秀吉の魅力に惹き付けられております。この秀吉、信長に拾われる前に転々とし30の仕事をしたとも書かれています。この時代の物語は幕末と違って多分に創作性が濃くならざるを得なく、その真意は別として、某も今までに30くらいはしているのでは?と思い、数えてみました。

1. 電化製品工場(内職)
2. 居酒屋(接客)×4
3. 引越屋(作業員)
4. 水道屋(作業員)
5. 建築土木(作業員)
6. ガソリンスタンド(接客)
7. 清掃屋(作業員)
8. 運送屋(荷物仕分)×2
9. ゴルフ場(清掃員)
10.学校(事務)
11.海の家(接客)
12.エキストラ会社(エキストラ)×3
13.ホテル(ベルボーイ)
14.警備会社(警備員)
15.ワーカー(1日登録制)×3
16.ホテル宿泊部(フロント、ベル、ドア、ライフガード)
17.イベント屋(携帯契約営業)
18.バイク便(ライダー)×2
19.宝石店(接客)×2
20.コールセンター(オペレーター)×2
21.ジュエリー企業(マーケティング)
22.海外アテンド
23.アップルパッキング
24.アクセサリー企業(検品)
25.貴金属買取(事業立上げ)
26.カメラマン(撮影、DTP)
27.展示会販売(接客)×2
28.ネットショップ(運営)
29.ダイヤモンド取引(販売)
30.不動産屋(営業)
31.アクセサリー企業(営業)
32.SOHO
33.投資家営業

やっぱり~

2011年4月8日金曜日

華やかさ


(おれのような男には織田家のほうがむいている)

とおもっていた。ついには、おれでしかない。主家などではない。この元亀天正という世にあっては、主家などは忠義の場でなく、自分の器量の表現場所でしかない。

毛利は、なるほど堅実で律義であろう。しかし家風に弾みがなく、暗く、華やぎというものがない。


(そのことは、致命的である)

と官兵衛はおもっていた。官兵衛がおもうに、人も家風も、華やぎ、華やかさというものがなければならない。でなければ人は寄って来ぬ。

織田家をみよ、と官兵衛は思うのである。なるほど主将信長は権作にみちたゆだんのならぬ大将であろう。しかしその華やかさは、古今に絶している。天下の人材は織田家の華やかさを慕ってあつまり、信長もまた卒伍のなかから才能をひろいあげてはつぎつぎに大将に仕立て、将も士も器量いっぱいに働いている。


お~官兵衛どの。それは粋華志義でいう「華」のことではないか~

2011年4月4日月曜日

【日本一周25日目】青森→仙台

 2002年8月7日、夏。

この日の写真を見てみると、

岩手県は、盛岡です~

盛岡と言えば・・・

わんこそば~ 中でも有名な東屋さんに行って参りました。101杯で手形、いただきました~。わんこそば、って、こんなに粋なのですね。隣でわんこを取り替えてくれる女中さんの掛け声が、なんともSだった。

続いて、

コチラは・・・本州最東端のトドヶ崎~(無人の写真ですが、バッグと赤いぬいぐるみが証拠ですな)

もう、下の地図見てください、

大きな地図で見る
写真だけじゃぁわかりませんが、このトドヶ崎までにたどり着くまでにですね、道なき道を永遠4km歩き・・・、この道であっているのか、とか、引き返そうか、とか途中何度も思いましたが、そこは、「自分が生まれ育った日本本州の最東西南北端を制覇する」というこの旅のルールへの義理がありましたからね、粋華志義で言う“義”にあたるもんですから、やはり行ってやりました。

トドヶ崎の詳細は、コチラのサイトを勝手に拝借いたしましょう!
ニッポンの風景 02 重茂半島・トドヶ崎

これにて、本州最東端のトドヶ崎制覇~
並びに、これにて、本州の最東西南北端を、制覇~

最後は、

仙台に到着~

それでは今回も当時の日記を振り返ってみましょう。


現在地→宮城県仙台市。天気→晴れ、時々小雨。

 盛岡に着くと早速わんこそばの老舗“東屋”を調べ上げ、挑戦する。男平均50~60杯、女平均30~40杯。丸は101杯。100杯からもらえる手形ももらった。でも乾杯、いや、完敗だ。店の最高が570杯位かな?だから、その人に乾杯、じゃなくて、完敗。世の中は広い・・・。
 その後→本州最東端の鯔ヶ崎を目指す。ここは駐車場から歩いて4km舗装されてない山道を歩かなければならなく、サンダルの丸は今足がボロボロだぁあぁっぁ。って事で
・本州最南端→和歌山県、潮岬。
・本州最西端→山口県、毘沙の鼻。
・本州最北端→青森県、大間岬。
・本州最東端→岩手県、鯔ヶ崎。
と、自分が住む陸の東南西北を制覇。
んで今が仙台到着。北海道の200kmと本州の200kmは全然違う。そして気温もはるかに夏い。


ということで、本日制覇→岩手県盛岡市、宮城県仙台市。

日本一周まで、
福島県、栃木県、茨城県、千葉県、東京都の1都4県!

2011年4月3日日曜日

【人間力第53回】十人十色

 気がついたらこの人間力の連載も丸1年ですか・・・。はじめは1年の予定でしたが、もう少し、続きます。。。


これぞギタリズム!!!

前回の、ロールプレイングのご感想は読者の皆さんにおまかせすることにいたしましょう。ちなみに、A、B、C、Dの誰が正しい行動をとったという答はありま、せん。今回のロールプレイングも、世の中の物事も、答は一つなのではなく何百、何千通りの答があるのでおじゃります。いや、地球人は70億人いたら、70億通りあって差し支えない。そもそも、そういうものではあるまいか。

ただ自分をその状況、それぞれの人の立場において考えた場合、どうしているか。もっと違うことが出来そうでもあります。先に言葉にしましたが、感情のことをよく「喜怒哀楽」と表現します。次回より、再度見直してみることにしましょう。

2011年4月2日土曜日

藤吉郎

 小僧は、落胆した。が、絶望はしない。絶望するには小僧はあまりにも企画力に富みすぎていた。あっというまに次善の案を考えつく能力があって、ついに生涯、失望の暗さを感じたことがない。

2011年4月1日金曜日

つぶやき

 私の趣味のひとつは、読書であります。
それも、歴史。
もっと言えば今は日本の歴史、時代小説を読むことにハマっています。

これは、
ただの「読書」に止まらず、
色んなことを学べ、それを今の自分に活かすことのできる、
言わば私なりの「自己啓発」の方法であります。

世の中の仕組み、
こうすればこうなる、
一個人の影響が家族、会社、地域、ゆくは国にもたらす自然な流れ、
というのを垣間見ることができるようです。

今回未曾有の日本の危機でもそうです。
これに対する日本人の対応の仕方、姿勢、強さに弱さ、
それら「日本人」がどこから来たのか。

そう、
「過去」なのであります。

過去という言葉を聞くといささか「ネガティブ」なイメージもありますが、
いやさ、使い方であります。

その知識を“知恵”に変えれば、きっと活かせるはずなのです。

此度の危機以外にも、やはり国として存在したる以上、
さまざまな問題を抱えています。
日本人が得意としない、“情報戦争”の真っ只中、
今までの過去事例を知り、世の中の仕組みを知り、現代の状況を知り、
日本人として誇りを持ってこれにあたるべきであります。

これはつまり、“アイデンティティーを持つ”ことでもあります。

がんばれ、ニッポン!

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