2011年10月31日月曜日

大きな夢と、それを実現させる能力2

 「少なくとも、私は次のようなことを経験を通して学んだ――もし人が確信を持って夢に向かって突き進み、自分が描いてきた生活をするために努力するなら、その人は普通の状態では決して期待できないような成功に出会うだろう」

大きな夢と、それを実現させる能力

 「どうしたらそれを買えるか?」と自問する癖をつけることは、常により大きな夢を見るように自分を訓練することを意味する。また、それと同時に、夢を見るだけではなく、自分にはそれが実現できると信じるように訓練していることも意味する。

一方、「それを買う余裕はない」と言ってしまうのは、ろうそくの炎の上に濡れたタオルをかけるようなもので、夢を吹き消しているのと同じだ。世の中にはあなたの夢をつぶそうと、手ぐすねを引いて待っている人がほかにいくらでもいる。あなた自身がその仲間になって、そんなことを言う必要はない!念のために言っておくが、あなたのまわりのそういう人たちもおそらく悪気があるわけではない。でも、親切で言っていようが悪気があろうが、彼らの言葉はあなたにとってきわめて有害だ。

「そんなこときみにはできない」
「リスクが大きすぎる。それをやろうとして失敗した人がどれだけいるかわかっているのか?」
「ばかなことを言うな。いったいどこでそんなアイディアを仕入れてきたんだ?」
「それがそんなにいいアイディアだったら、もうほかの誰かがやっているはずじゃないか?」
「ああ、それはずっと前にやってみた。なぜうまくいかなかったか話してあげよう」

今挙げたのが「夢殺し」の言葉だ。私はこういうことを言う人に共通する、興味深い点を発見した。つまり、ほとんど例外なく、彼らは自分自身が夢をすでにあきらめてしまった人だ。

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「もし失敗したら、どうするんだ?」
これも夢殺しの言葉か。

【人間力第69回】喜の応用法~続き~



コンプレックス最後のナンバー、これぞ名曲中の名曲
涙が出マス。。。

また、人を褒めることを意識してやり続けるのも面白い結果を招くだろう。この“人を褒める技術”は、先にも挙げた人間力の中でもコミュニケーション能力に該当するはずだ。これらはすぐにでも出来ることなので改めて実践したい。

★★★実践★★★
人の喜びを相手の立場に立って感じる

★★★実践★★★
人を褒める

人間で褒められて嫌だと言う人は、普通考えていない。いや、必要以上に大げさに褒め称える事や、思ってもない事を褒めても仕様がないことは念の為にも確認したい。また、この2つの状況は別々にやって来ることもよくある。

肝心なのは、人の長所、つまり良いところを見つける技術だ。これは簡単なようでいて、実践かつ継続することは意外と難しい。難しいが、やってみるとこれがなかなかおもしろい。

2011年10月28日金曜日

マイム再来

そういえば先週、魅惑のテルアビブ編での友人の、
wedding party に行ってきた。

もう、見事に、お似合いのお二人でした。

会場には、イスラエルよりわざわざ親族の方達が来日していた。

イスラエル勢が結婚式でよく歌うというお祝いの歌を歌う。
負けじと日本勢がよさこいで対抗する。
これに対しイスラエル勢が・・・、と思いきやなんと
よさこいに乱入してきた!

すると いつの間にかよさこいがマイムマイム♪になっていた!



出た。日本勢、痛恨の一撃です。
日本のよさこいに対抗できるのは天下広しと言えども
中東の虎・イスラエルの 
このマイムマイムくらいしかないだろう。

それにしても日本勢は踊っているの若者だけ、
一方、イスラエル勢は正に老若男女。

年とっても、オドレル っていいな。

2011年10月26日水曜日

WEB LOG

mixi、hi5、facebook、twitterなどのツールは今までいくつか試してきたが、どれも自分には合わない様な気がする。。ただし、このブログだけは別だ。考えをまとめる事ができ、自分の自己啓発にも繋がり、ストレスは発散され、主張やPRもでき、さらには文章力もつき、それが記録・軌跡となる。

2011年10月25日火曜日

百足再再来

デタ。


百足。百の足と書いてムカデ。某が人生で最も痛い想いをした百足。某がこの世で最も恐れる存在、百足。毘沙門天の使いの、百足。まるで明治期の日本人が如く前のみを見つめて前進する百足。

あれほど嫌だと言ったのに~、デタ。しかも部屋ん中。やっぱり山は出るのぅ~、今後の人生、あと何回この毘沙門天の使いと出くわすのだろう・・・

前回の百足情報はコチラから!

2011年10月24日月曜日

服部半蔵正成

 そうか、

東京の半蔵門とは、


服部半蔵からきていたのか。

2011年10月23日日曜日

【まとめ】ポイント。

 「お金」と「富」の違い。
「資産」と「負債」の違い。
「キャピタルゲイン」と「キャッシュフロー」の違い。

【人間力第68回】喜の応用法



出ダシ、ヤバイ

怒と哀については攻略法として検討したが、喜については“応用法”として考えたい。先にもお話しした様に、この感情を前面に出せる人は素晴らしい。このタイプの人間は果たして、人気がある。これを極めると、他人の成功を自分の事の様に喜べることができる“喜びの達人”となり、人がよって来る。正に人間力のオーラが人を呼ぶ。

まず自分に対しての喜び、これに対しては素直に従えば良いだろう。ただそれを人に強要することや、驕り高ぶること、そうする事によって傷つけてしまう可能性のある人が周りにいないかどうか、TPOをわきまえることに注意が必要であるだけだ。

肝心なのは他人の出来事に対する喜びである。何度も言うが、他人の喜びを自分の様に喜べる人は達人だ。これは、簡単な様であってやはり簡単なことで、要は相手の立場に立ってその喜びを感じることで出来る。

完結。

「おもしろいのう・・・」

2011年10月22日土曜日

下の句

「すみなすものは 心なりけり」

2011年10月21日金曜日

辞世

「おもしろき こともなき世を おもしろく」

2011年10月20日木曜日

世に棲むヒヒ

「人は人 吾は吾なり 山の奥に 棲みてこそ知れ 世の浮沈」

2011年10月19日水曜日

義の初め

 
「人は旧を忘れざるが義の初め」

2011年10月18日火曜日

三千世界

「三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい」

2011年10月17日月曜日

走りながら考えるタイプ

 
「戦いは一日早ければ一日の利益がある。まず飛びだすことだ。思案はそれからでいい」

真のスキル

たいていの人はやり抜く力、失望にめげず自分の進む未来へのビジョンを保ち続ける能力を持っていない。理由は簡単だ。そのスキルを身につけるトレーニングを受けてこなかったからだ。でも、この能力はとても大事だ。Bクワドラントでの生き方をマスターした達人が持つ真のスキルだ。

【人間力第67回】哀の感情に支配されるその影響

ここでも哀の及ぼすその影響について考えていこう。


デタ、1990。

では逆に問いかけてみる。哀しんで何かプラスになることはあるのだろうか?こんな質問をして「人間として冷めている」と言われるかも知れないが、ここは一つ、真面目に考えてみる。もっとも、冷静でいられる今でこそ考えられる問いだ。

おそらく人は哀しみに浸るとまず元気が無くなる。これは誰もが、異議はないことと思う。猪木氏の名言「元気があれば、何でも出来る」としたら、元気がないのでは何も出来ないということになる。

私が言いたいのは、これが全てである。この言葉に全てが凝縮されている。ただ、人は哀しまずにはいられない、と言うか、先にも申した通り一般に、哀しむことのない人間がいたとすれば、それは人間ではない、化け物だ。

私だって最愛の人が仮に、仮にだけれども、こんな事口にも出したくないが亡くなったとする。それは想像も絶することだ。涙はそれこそ溢れ止まらないことだろう。今からでも出てきそうな勢いだ。しかし、その事に溺れて元気を失くし、全てに対していつまでもやる気を起こさず、くすぶっていく姿を見て、その最愛の人はどう思うだろうか。→そういう事なのだ。

他にも恋愛や仕事、人間関係など色々と哀しみという感情が今後も出てくることだろう。そして状況によっては、それは一時的な失敗と置き換えられる場合もある。失敗の時と同じく、ソレに対応出来る様に自分を自己啓発していくことが肝要と言える。

ここで、坂本先生の言葉を思い出してみる。
「おれは落胆するよりも、次の策を考えるほうの人間だ」

2011年10月13日木曜日

沢庵再来

 ――沢庵。


(1) (1573-1645) 江戸初期の臨済宗の僧。但馬国の人。名は宗彭(そうほう)、沢庵は道号。南宗寺の一凍紹滴(いつとうしようてき)の法を嗣ぎ、大徳寺の住持となる。紫衣(しえ)事件で幕府を批判して出羽上山に流されたが、のち、召されて品川に東海寺を開く。詩歌・俳諧・茶道に通じ、特に書は茶人に愛好された。著「明暗双々集」など。

(2) 2 「沢庵漬け」の略。

と、辞書にはある。沢庵は大根だ、という情報は何も書かれていない。沢庵が実は大根だという事実を私が知ったのは、まだ記憶に新しい。このブログのどこかにその感動とも屈辱とも言えそうな発見を、リアルタイムで記載しているはずだ。

たまにその話題になる。今日もそうだ。料理の話になり、「苅部さんは料理するんですか?」となる。普段はしないが、できないことはない。と、思う。普段はして来なかっただけに、私には沢庵に関する情報が少なかっただけのことだ。

私にとって沢庵は小さな小話、ネタとでも言えるだろう。誇らしくも思う。今日はこの話をすると、「おぼっちゃまですか?」と言われた。ぷぷぷ、おもしろい。別に、作り話でもなくまぎれもない事実なのだが、この話をすると必ずと言っていいほど驚かれるので、どうやら世間の多くの人はその成人になる過程で知るのだろう。

ちなみに、福神漬けも大根だという事実も、この沢庵経由で知った。これらの話をすると人ははじめ驚き、その後少し私を小バカにする様な感じにもなるのだが、こんな私はフライパンでご飯を炊く。というか、炊いて暮していた時期があった。必要に駆られて。これはどうやら一般的ではないらしい。フライパン、いや、要は炊飯器以外で炊くのは多くの人は経験もないらしい。

すると何故か見直されるような感じにもなり、これでチャラとなる。まぁ、世の中こんなものですかな。もはやどうでも良いが、俺のフライパンで炊く白米は、めちゃくちゃうまい。どうでもいい話なのだが、沢庵の正体を知らなかった自分でも、白米を炊かせればうまい、って話。

2011年10月10日月曜日

【人間力第66回】哀の攻略法~続き~

 ここでまたこんな名言が出てくる。


マジェスティックベイベー♪

「途中にいるから中ぶらりん 底まで落ちて地に足が着けば ほんとうに落ち着く」

また、こんな言葉もを想い出す。

「ずっと鉄棒にぶら下がっていると疲れるから、そんな時は一度地に降りて休む。その後に逆上がりすればいい」

そう、この哀の攻略法とは、一度その感情にどっぷり浸かることで確認できる。ただ、注意しなければならないのは、いつまでもソレに浸かっていてはならないという事だ。舵をいつまでも感情に渡してはならない。舵をいつでも自分の視野の中に置いといて、どっぷり浸かった後には自分の下にすぐ取り戻せる、その範囲に置いておくのだ。

少し言葉では難しいかも知れないが言い換えると、落ちるところまで自分を落とせば、後は上がるだけなので、その順序をふむ、という事である。その過程に涙は当然伴われて行くことであろう、さればその涙さえ恥じるべきことではない、という事だ。

また、前回同様に平常心を取り戻すスイッチをここで言うならば、深呼吸というのは非常に使える。これを3回やるだけで平常心に人は戻れる、初めは馴れないかも知れないが、その習慣をつければそれが癖にでもなっていくようである。

2011年10月9日日曜日

ルールが変わった

 人生は楽ではない。大事なのは、それに対してあなたがどう対処するかだ。不平を言うだけではしっかりした未来を築くことはできない。金融市場や大銀行、「アメリカ株式会社」、あるいは政府を責めてもだめだ。

安定した未来がほしいと思ったら、自分でそれを作り出す必要がある。

2011年10月2日日曜日

【人間力第65回】哀の攻略法

 生きていれば哀しいこともあるだろう。


デマシタ!一番の名曲、ギターネ申の如く

そんな事がない、なんて人は、人間ではないと思う。お笑い芸人だって哀しいことはいっぱいある。全ての人間は早かれ遅かれ、大なり小なり、必ずこの哀しみの感情を味わう。先に記述したものと少し矛盾してしまうかも知れないが、怒の感情の時の様に、「感情に舵を取られてはならない」とは実は言い切れない。厳密に言わせてもらえるならば“いつまでも”という言葉が文頭に付け加えられるだろうか。つまり、哀の感情にいつまでも舵を取られてはならない、という事になる。

この感情の攻略法とは怒の時と本質が少し変わってくる。それは、

初めは哀の感情の向くまま、舵を感情に一時的にまかせる

ということだ。ここで、“涙”という言葉が出てくる。涙とは哀だけではなく感情の結晶で、人間に唯一残された素晴らしい能力である。「男は泣くな」などと言われるが、そうとも思われない。(ただ、小さい事でめそめそと泣いているようであればそれはそれで問題だが・・・)この感情の結晶でもある涙こそ、最も人間らしい動作の一つなのだ。ここでただ泣くだけではない。

教育

 ―合戦がないときは、甚内は近江に帰って具足などを繕っている。小兵だが、すばしこくて大人以上の力があり、それに敵を闘うということが、すこしもこわくない。いい戦士をつくるには年少から戦場を経験させるといいというが、甚内がそれであった。

ねずみのような用心ぶかさと、いたちのような獰猛さを自然に身につけ、戦場でのかんのよさはかれの生涯のもち味になった。とくに敵味方の強弱についての洞察眼は抜群といっていい。ただ野伏の世界で成人しただけに、忠誠心というものだけは身についていない。―




ボスがしきりに言った。

「教育だ――。」

上記文章は人間が育つ"環境"に関していっているものだが、この場合の環境はすなわち「教育」にもあてはまるのかもしれない。教育にしても環境にしても、その人の人格が形成される過程にはいずれもおおいに影響してくるものだと思う。

教育次第でその人の人間性は造りあげられる。環境も然り。とすれば自分の将来は今現在の環境によって変わっていく――のかも知れない。

本でも読んだ。今自分が一番つき合っている人間の様な人間に将来なっていくものだ、と。その真意は解らないが、今自分の置いている環境というのはものすごく重要なはずだ。そしてその環境は自分次第で選べる。

三つ子の魂 百まで

というのもまんざらではない。我が子を愛するあまり、何不自由なく育てるとどうゆう風に育つだろう?もしかすると苦労を何も知らずに成人し、人の気持が解らない人間に育つかもしれない。これも教育だ、環境だ。

今自分が置こうとする環境を考える今日この頃。

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