2011年11月30日水曜日

土佐日記~後藤象二郎生誕地~

 
龍「きょうは武市の仇をとくと見た。
  士道の手前、斬って捨つべき相手ではあるが、
  話すうちに相手の人物のおもしろさにつりこまれて
  斬ることをわすれた」

菅「後藤象二郎は武市半平太の仇であるぞ」

龍「あぎ(あご・武市の異名)にはいずれおれは冥土であやまる。
  仇のことはいうな」

菅「しかし武市を後藤が殺した、という冷厳な事実はおおうべくもないわい」


龍「覚兵衛、それは当方の言いぶんじゃ。
  後藤は後藤で、われらをおじの吉田東洋の仇と思うちょる。
  いや、そういう立場にある」

菅「吉田東洋は佐幕の奸物じゃ」

龍「先方は先方で、いろいろ言える。
  双方がたがいに仇かたきと言い蔓っては、
  水戸の党禍の二ノ舞になるばかりじゃ」


龍「後藤が、くだらぬ男なら武市の仇として斬ってもいい。
  しかし、
  あれはいまの天下の混乱をおさめるのに
  一役振らねばならぬ役者だ。
  芝居がはじまろうとしているのに、役者を殺してはどうにもならぬ」

菅「どんな男だ」

龍「土佐にもあんなやつがいるとは思わなんだな」

菅「つまり?」

龍「偉いやつさ」


菅「どうえらいのだ」


龍「あいつにとっては
  この坂本竜馬はおじの仇の片割れといっていい。
  しかしあの男は、
  あれだけの長い酒の座で、ひとことも過去を語らなんだ。
  ただ将来のみを語った。
  これは人物でなければできない境地だ」


菅「それだけか」


龍「いま一つある。おれとの対話のなかで、半分おれに話柄を与え、
  半分自分に話柄をひきつけてしかもおれにひきずられない。
  こういう芸ができる男は、天下の事がなせるとみたが、
  覚兵衛はそう思わぬか」



・・・の後藤象二郎はこの地で生誕か~


そうだ、土佐 行こう。

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2011年11月28日月曜日

志士

 
橋下徹は、志士だ。
陰ながら応援しとります。

2011年11月27日日曜日

【人間力第73回】第五章 時間




トンデモナイのを発見シタ!ヤバイ、泪デル.
OLD TIME IS PAST NEW TIME BE COME ALRIGHT GET SET ON YOUR MARK♪ IT'S NOT TOO LATE BECAUSE WE ARE YOUNG♪BECAUSE WE ARE YOUNG♪


第五章 時間

■時間を考える

我々は“時間”という財産を持っている。これはかけがえのない財産のひとつで、これをどう使うかによって人生のカラーも当然変わってゆく。

今、誰かが何歳かは別として、あと70年生きたとしよう。秒数で数えるとあと22億752万秒残っている。あれ?思ったより少ないなぁ。と、言っている今も1秒、1秒とその財産は減ってゆく。一日6時間寝たとしよう。2万1千600秒も一気に減る。

この財産の大小は別として、一日に与えられた時間は誰もかれもが皆平等に24時間だ、8万6千400秒である。ビル・ゲイツもロビン・フッドも、坂本龍馬も我々も同じ秒数である。自己啓発するならば、この財産から目を背くことは出来ない。自分は、この時間という財産を無駄遣いしてはいないだろうか?

――と改めて振り返ってみる。


★★★実践★★★

一日の中から“何も啓発されていない時間“を削除していこう!

2011年11月25日金曜日

脱藩後初めての手紙/文久三(一八六三)年三月二十日

そもそも人間の一生など、分からないのは当然のことで、運の悪い人は風呂から出ようとして、きんたまを風呂桶の縁で詰め割って死ぬこともある。
それと比べると私などは運が強く、いくら死ぬような場所へ行っても死なず、自分で死のうと思っても、また生きなければならなくなり、今では、日本第一の人物勝麟太郎殿という方の弟子になり、毎日毎日、前々から心に描いていたことができるようになり、精出して頑張っています。
ですから、四十歳になる頃までは、うちには帰らずに働こうと思っています。
兄さんにも相談したところ、最近は大変ご機嫌がよくそのことについてもお許しが出ました。
国のため、天下のために力を尽くしています。
どうぞお喜び下さい。かしこ。

三月二十日


乙様
おつきあいのある人のなかでも、ごく心安い人ならば、そっと見せてもいいです。かしこ。

2011年11月24日木曜日

良助殿/文久元(一八六一)年十月十四日

 
一つ 金二両。
これは私が讃岐へ参りますときに、金が入り用になって借用したものでございます。
返済はことしの暮れまでに 一割五分の利子を添えて、元利とも必ず完済いたします。
借用のこと 以上のとおり。

文久元年十月十四日
坂本龍馬

良助殿

【土佐日記】~武市半平太先生旧宅~

 
武市瑞山。

ついにやって参りました、武市先生の旧宅。

ここで、富夫人がふとんも引かずに共に闘っていたのか~

富夫人。

すぐ裏には瑞山神社。

傍らの石碑には“日本精神”。

こちらが旧宅の全貌。

瑞山神社。

武市半平太先生。


そうだ、土佐 行こう。

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2011年11月22日火曜日

梟の城

 梟の城。
これには参りました。

司馬遼太郎の作品でははじめてという長編、にして直木賞受賞作品。処女作といってなめてかかったら、いかんです。もう司馬遼太郎節が炸裂、いや、むしろそれが濃厚に表れている。忍者が主人公なので基本的に裏。信長~秀吉~家康の表ではなく、同時期においても裏で暗躍するドラマ。ミステリアスな部分も終始読み手の心を掴んで逃がさない。そして、最後の最後の結末には、参った。いや~参った参った。




梟の城 (新潮文庫)梟の城 (新潮文庫)
(1965/03)
司馬 遼太郎

商品詳

現存する最古の手紙/安政五(一八五八)年七月頃

 
この手紙を持って行く者に、以前に大回り船で送った荷物の行方が知れんとは言われんぞよ。この男の荷物じゃきに。手紙が龍馬から来たけんど間違ったと言っておいてください。前の便で送っておりました菖蒲は全部根づいたということ。またそれぞれに送った物も到着したということですね。その荷物は赤岡村の元作という人の物です。この手紙を持って行く者で、飯を炊いてもらっている者であります。大変よい人なのでよろしくお取り計らいくださいますようお願いします。今大急ぎで書いています。ご推量ご推量。この頃は○がないのでいけません。私の帰国は今月末から来月初めになりますが、土佐に帰るまでには時間がかかりそうだと思っております。また、明日は千葉道場へ常州から来る人の神道無念流の試合があります。今夜はその準備で竹刀や籠手をつくろわなくてはならんので、忙しい。お手紙を詳しく書くことができません。

かしこかしこかしこ
坂本龍

2011年11月20日日曜日

【人間力第72回】第四章ダイジェスト



・感情に自分の舵を取られてはならない。自分の道は、自分の心が決めるべきだ。

・自分に合った平常心へのスイッチを持ってみる。

・親は子供に、感情的には怒らない。

・落ちるところまで自分を落とせば、後は上がるだけである。

・「元気があれば、何でも出来る」としたら、元気がなければ何も出来ない。

・他人の喜びをまるで自分の事の様に喜ぶ。

・感情をコントロールする者は、人生を制す。

2011年11月14日月曜日

鬼の棲む国、土佐

明日は坂本龍馬の誕生日にして命日。


より大きな地図で 幕末史跡 を表示

これより高知へ旅立ちます。
すっごいワクワク、胸がキュンとするっていいね。

【人間力第71回】赤木キャップの教え

最後に、スラムダンクからは赤木キャップの名言に触れたい。


赤木キャップはこう言った。
「リバウンドを制する者は、ゲームを制す」

このリバウンドを“感情”と置き換え、ゲームを“人生”と置き換えてみる。
「感情をコントロールする者は、人生を制す」

2011年11月10日木曜日

心が折れそうになった時に思い出す言葉

「やめるのはいつでもできる。なぜ今、やめるのか?」

2011年11月9日水曜日

2011年11月15日とは何の日か。

 天保6年11月15日に生まれ、慶応3年11月15日 つまりは33歳の誕生日が命日となったのは坂本龍馬。日本の近世末期に活動した武士。土佐藩出身。

苅部俊雄、現在33歳。
あと一週間か~
一週間をきったか~

2011年11月7日月曜日

ご飯をおいしく食べる

 趣味に自己啓発をあげているのはまんざらでも、ない。14歳から始めたこの趣味も、そろそろ板についてきた部分もある。

「ご飯をおいしそうに食べるね」とよく人に言われる。それは、実際に美味しいからだ。ご飯は、基本的に美味しい。最高に美味しいを100点、口に入れたら嘔吐するレベルを0点、美味しくもなくまずくもないのを50点と設定したとする。

ときどき「●●●のラーメンはまずい」という人がいる。私にはそれが、信じられん。「まずい」ということは、上記の定義においては49点以下の部類に入る。私はラーメン自体が好きなので、おそらく75点未満のラーメンには出逢ったことがない。個人的な意見はおいといて、49点以下のラーメンとは、相当なものだ。それがラーメンである限り、49点以下のラーメンとは、作ろうと思ってもなかなか作れるものでもあるまい。

しかし、ある人はそのラーメンを「まずい」と言う。ここで仮定してみる。その人が食べたラーメンは、その人にとっても実は60点ではなかったのだろうか。いや、ココでのポイントはこの点数は人によって異なるということだ。それは、解っている。しかし、それを踏まえた上のことだ。

つまり、人によっては「美味しくもなくまずくもない」という設定が80点の人もいるかも知れないことだ。そしてこうした状態の人のことを「舌が肥えた」と言うのかも知れない。しかしながら、やはりこの問題を「舌が肥えた」だのなんだのとと解った風に片付けるのは浅はかだ。

単刀直入に言おう。「まずい」と言うからまずいのだ。いや、厳密に言うと「まずい」と言うと「余計にまずくなる」という真実だ。これは、重要なことだ。嘘だと思うならカレーを食べる時にうんちを想像して食べてみると解りやすいかもしれない。或いはピザを食べる時にゲロをイメージしながら食べてみるのもいいだろう。

逆もまた然り。美味しいと思考が働けばおのずと美味しくなるものだ。これは、「独りで食べるより皆で食べた方が美味しい」とよく言うアレであり、実に真実が含まれている。

冒頭で「ご飯をおいしそうに食べるね」と言われると書いた。この場に例えばひねくれ者がいると、「舌が肥えてないんだ」「美味が解ってないんだ」「腹さえ膨れれば味なんてどうだっていいんだろう」といった次元の低い言葉を言う人もいる。。。

私は、たとえ50点の料理であろうと「美味しい美味しい」と食べてそれを体感点数では70点にも80点にもすることが(たぶん)できる。まぁ、60点くらいは固いだろう。それで、いいのだ。50点のものを「まずい」と言って自分でわざわざ体感点数を40点に下げる非合理なこと(わざとまずくすること)を私はしたくない。私は、「まずい」より「おいしい」方が好きだ。

そしてこの話には、もうひとつ重要な要素が含まれている。それは、「その場の雰囲気」にも大きく影響するということだ。さっきの話で言うとカレー屋さんに行ってうんちの話をしたら、おそらく白い目で見られるだろう。いや、ゲロの話も含めて食事中にはなるべく聞きたくない話だ。→「まずい」も一緒だ。

「それとこれとは話が違う」という人がいる。もちろん違うかも知れん。しかし、今は本質ベースのお話だ。どれも同じく「雰囲気を悪く」する。こう考えると食事中に「うんち」の話や、「ゲロ」の話や、そして「まずい」とか偉そうにケチをつける事は非常にナンセンスだということが解ろうというものだ。


水は真実を語る


「水からの伝言」はさておき、このブログのどこかで書いた「疲れる」とは言わないこと、高杉先生が言う「困った」とは言わないことなども同じことである。そしてまた江戸っ子が暑い日に「暑い」、寒い日に「寒い」というのは野暮だとされること、どれもこれも同じなのである。口にすると、それが現実味を帯びてより具現化されること、ましてや自分どころかその影響はそれを言った人の周りにまで及ぶものだ。

だから、食事中に「まずい」というのは「うんち」と言っていることと同じなのだ。それがもし、料理人にどうしても伝えなければならない立場、状況なのであれば、その人と2人きりになった際に言うべきであろう。なにも食卓の場で「うんち」の話をするべきではない。「うんち」の話をして周りの人にまで気分を害することは、ない。

だから、ご飯を美味しく食べたいと思うのなら、まず「美味しい」と思うことだ。人とのコミュニケーションを良くしたい時にその人の「欠点」ならず「長所」を探すことと同じように、料理においてもその「美味しさ」をまず味わうことだ。さすれば食は楽しくなり、それ自体が自己啓発となる。

ご飯を「おいしく食べる」、「食べない」においても自己啓発し、そこから色んな事にも繋がる云々を言う辺り、私は果たしてめんどくさい。めんどくさい男だが、これがなかなか止められない。

2011年11月6日日曜日

【人間力第70回】もう一つの感情、楽



im only dreamin'

これについては大事な意味合いが伴っているので、最終章に譲りたい。

2011年11月5日土曜日

自分にとって大事なもの

 ――そして、自分にこうたずねる。

『私の人生にこれを含めたい、どうしても手に入れなくてはならないと思うほど大事なものはなんだろう?』

-------中略-------

――それは私たちにとってとても大事なことだったので、実現のためにはどんな困難にも喜んで耐える覚悟があった。

2011年11月1日火曜日

御製御歌


「さし昇る朝日の光のように 曇りなく国が栄えることを 私は祈っている」

「どれほど身を砕いてキリキリと努力することがあっても 心は豊かさを保ったままでいたいものだ」


そうだ、明治神宮 行こう。

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