2012年12月23日日曜日


「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし」

吉田 松陰

2012年12月20日木曜日

十人十色

「命がありゃいい。誰にでも出来ることと出来ないことがある。お前に出来ないことは俺がやる。俺に出来ねぇ事をお前がやれ!よく考えろ、状況を読め」

2012年12月8日土曜日

バンコクより近い島、ラン島を冒険してみた その3

それではいよいよビーチの紹介。まずは地図をご覧下されたし。(画像は古びているが、2012年現在での最新版、というか、おおまかな道はしばらく変わらないと思うけど)

▪Tawaen Beach
(ターウェーンと発音。ウェーンの部分は下がって上がる感じ)
まずはこちら。ラン島一番の規模と賑やかさを誇るビーチ。また、ラン島一の遠浅ビーチでもあり、スピードボートもここに到着する。ただ、近年は急激に観光客(ほぼ中国とロシア)が激増し、団体としてでも来ているので、大混雑。もはや、ビーチという景観ではない。しばらくはオススメできないビーチ。
   ▶規模: ★★★★★
   ▶海水: ★★★★☆
   ▶爽快: ★★☆☆☆

▪Samae Beach
(セームと発音。セームの部分は下がって上がる感じ)
第二の規模を誇るビーチ。Tawaen Beachで溢れた観光客が流れてる、といったイメージ。Tawaenよりも遠浅ではない分、いくらか水の質は落ちる。Naban Port方面よりバイクで山を超える道が島っぽくておもしろい。また、山の頂上地点から見る風景もなかなか格別。
   ▶規模: ★★★★☆
   ▶海水: ★★★☆☆
   ▶爽快: ★★★★☆

▪Naut Beach
(ヌアンと発音)
またまだ開発中、といったビーチ。正直、こちらは夜行っただけなので証拠不十分。ただ、中心部よりもっとも離れており、まだまだ、これからの場所でありそう。

▪Ta Yay Beach
(ターヤーイと発音)
外国人観光客が少なく、また規模も小さいことから、プライベートビーチ感がある隠れ家的ビーチ。並んでいるビーチチェアも一列のみで、静かにラン島を楽しみたい人にはオススメ。
   ▶規模: ★☆☆☆☆
   ▶海水: ★★★★☆
   ▶爽快: ★★★★☆

▪Thorng Larng Beach (地図上ではหาดทองหลาง)
(トーンラーンと発音。ラーンの部分は下がって上がる感じ)
Ta Yay BeachとTawaen Beachの中間にある超隠れ家的ビーチ。地図上では英語表記もないくらい。Ta Yayよりもさらにマイナーで、入り口も「ここから先行っても大丈夫か?」というような道を行く。人もほとんどいない。満月近くだとかの満ち潮の時などは、ビーチチェアも置いていなく、ビーチとも呼べないようなところ。時間があれば探検がてらにどうぞ。
   ▶規模: ★☆☆☆☆
   ▶海水: ★★★★☆
   ▶爽快: ★★☆☆☆

というわけで、最近のTawaen  Beachの混雑ぶりを見てラン島をあきらめかけてもいたが、Ta Yay Beachが収穫。まだまだラン島も捨てたもんじゃない。




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2012年12月5日水曜日

バンコクより近い島、ラン島を冒険してみた その2


ラン島の宿は500バーツ程度から4000バーツ程度までと、色々ある。今回行って改めて思ったのが、着実な発展。タイ政府がラン島を(本格的な)観光地にすると発表してからなのか、非常に感じるところがある。

今回島を回っていてめちゃめちゃお洒落で、いいセンスしてるなーというお店(?)があったので帰りに寄ってみた。すると、なんとゲストハウスだった。デザイナーズゲストハウス、とでも言えばいいか。1泊1,800バーツ。ちなみに、海沿いではなく、そこから海は見えない。

とにかくそんな最近のラン島事情。

今回はその中でも選りすぐりの宿を紹介。その名も、バーン アイ タレー。NABAN PORT、セブンイレブンからバイクで1分程度、海沿い、というか海に突き出たバンガロータイプの部屋、隣はお寺で夜は市場となるような立地条件。



こちらがソイの入り口にある目印。港からだと、セブンイレブン左手に通り過ぎて50mくらいに広場が前方に見える、よく見ると寺も見える。その寺の向こう隣。



夜も海に突き出たバルコニーでゆっくりできる。これで、1泊1,500バーツ。週末は混むので事前の予約で、しかも角部屋を抑えておきたい。

▶บ้านไอทะเล (バーン アイ タレー)
▶Tel.084-918-1855

続く



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2012年12月3日月曜日

バンコクより近い島、ラン島を冒険してみた その1

ラン島とは、バンコクから1時間半~2時間ほどのPattayaから船でう30分程度の沖にある島。Pattayaとは違い、海もそこそこきれいで、正にバンコクから一番気楽に来れる“きれいなリゾート”なのだ。ラン島にはかれこれ15回は行っているだろうが、今回は本腰を入れて全部のビーチを探検することにした。ついでに、これも初めての試み、島に泊まる事に決定。

まず、ラン島にはいくつか手段がある。

1. ロットゥア(長距離バス)
料金:130バーツ
時間:2~3時間
一番おススメなのがこちら。すべてにおいてバランスが取れていて、それだけに最もスタンダード。エカマイのバスステーションから出発。

2. ロットゥ(乗り合いバン)
料金:130バーツ
時間:1時間半~2時間半
二番目におススメなのがこちら。1に比べ早いので良いが、席によっては狭くてきゅうくつ。

3. 電車
料金:乗ったことなし、不明
時間:噂だと4時間
Pattaya行きの電車なんてあるの?って現地のタイ人も知らないくらいマイナーな行き方。しかも、一日に一本て。。

4. タクシー
料金:1,500バーツ程度/片道(基本交渉)往復1,800~2,000バーツ程度
時間:1時間半~2時間
もっとも早く、もっとも快適なのはやっぱりチャーター!お金をかけても良いのなら断然タクシー。タクシーの運ちゃんも遠くまでかわいそうなので、復路も乗ってあげましょう。

5. 自分で車orバイク
一見、楽しそうなこちら。これで行くなら帰りの時間帯には注意。疲れている帰り道に、夕方の渋滞は最悪です。

さあ、Pattayaに着きました。Pattayaに着いたらWalking Streetへ。

大きな地図で見る

Pattayaからラン島へは、2つの手段が、ある。

1. スピードボート
料金:400バーツ/1人
時間:25分
少し高いと感じるかも知れんが、2の待ち時間やのろく走る時間を考えると、やっぱりこちらがおススメ。待ち時間もなし。

2. 通常船
料金:30バーツ/1人
時間:45分
遊覧船?て言うの?待ち時間も含めるとタイミング悪ければ1時間以上平気でかかる。

続く。




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2012年9月9日日曜日

兄・権平あて/慶応三(一八六七)年六月二十四日

お手紙差し上げます。
ますますご安泰でいらっしゃること何よりと存じます。
私のほうは変わりもなく及ばずながら国家のため、日夜力を尽くしております。
失礼ながらご安心下さい。

ところで先頃西郷を通じて送って下さった「吉行」の刀、この頃京都に出るときにもいつも身につけて行きます。
京都の刀剣家にも見せたところ、みな「栗田口忠綱」くらいの目利きして見てくれます。
この頃毛利荒次郎が京都に来て、この刀を見てしきりに欲しがりましたが、私も兄からの賜り物だと言って自慢した事でした。

この頃京都に来ている役人たちにも度々会っていますが、国家のことを心配している人々は、後藤象二郎、福岡藤次、佐々木三四郎、毛利荒次郎で、中でも後藤を一番の同志と思い天下の苦楽を共にしています。

どうぞご安心ください。
その他の事、またお会いした時にいろいろ申しあげましょう。
失礼します。
   六月二十四日 直柔
  権平様
      左右

追白
この度は急いでいますので、何もくわしく申しません。
京都の事情は、土佐に帰っている大勢の者からお聞き下さい。

私が先頃京都へ出る途中で四月二十三日の夜中国地方の海で私の蒸気船と紀州の蒸気船とが突き当たり、
私の船が沈没しましたので、
長崎へ戻り紀州藩と大議論を始め、
ついに紀州とひと戦争しなければと、私の部下へは言い聞かせ、用意していましたが、
紀州藩から薩摩藩へ仲立ちを頼み、
書き物を持って、勘定奉行らが断りに出かけ、
毎日手を尽くしましたので、そのまま許す事にしました。

皆が申しますには、この龍馬の船の議論が、日本の海上交通安全規則を決めたと言って、船乗りたちは私の所へ聞きに来ます。
うれしいではございませんか。
ではまた。

【人間力第103回】①食文化


~文化その①~

日本の食は他国でも人気があり、ベタだが寿司は特に認知度が高い。それ故か、「日本人は毎日の様に寿司を食べている」と思われている場合もある。そして本格的に営業している日本食屋は何処の国に行っても敷居が高くなっている。日本ではフレンチと聞くと高級なイメージがあるが、日本食とは海外のソレといった感じだろう。

世界には数多く国があるが、これほど食文化が世界に認知されるほど魅力的な国は数えるくらいしかない。例えば先に挙げたフランス料理、イタリア料理、中華など。。。タイ料理やインド料理、トルコ料理などもよく目にするが、どうしても先の“一軍”には(知名度や波及性では)及ばない。

例えば大国でも“アメリカ料理”というのは聞いたことがない。イギリスのフィッシュアンドチップスはファーストフードの感がどうしても拭えない。しかし日本食というのは、海外では中国人が日本人を装って営業する程に人気があるものなのだ。

寿司以外にも天ぷら、すきやき、しゃぶしゃぶなどはその代表格で、焼きそばや緑茶なども人気がある。

2012年9月3日月曜日

坂本乙女、おやべあて/慶応三(一八六七)年六月二十四日

今日も忙しいので薩摩屋敷へいく前、午前六時頃から、この手紙を書きました。

今私は、京都三条河原町一丁下ル車道酢屋に宿泊中です。

清二郎にお頼みになった書き物、本人から受け取り拝見しました。

清二郎も前々からうかがっていたように、好人物ということで喜んでいましたが、いろいろ話を聞いていたところ何にも考え方を持っていない人で、国のため命を捨てるのに苦労はしないというくらいのもので、今私は仲間を五十人ばかり連れていますが、皆ひと通りの勉強をしていますので、一緒に国家の問題を話し合えます。

清二郎はただ連れて歩くくらいのことで、もう少し人物ならば良いし、あるいはすこし何か特技でもあれば良いと思いますが、これで酔狂でもしたら、お蔵のにわとりのようなものです。

あと一、二年も苦労すれば、少しは役に立つようになるでしょうか。

まあ今のところでは、どうにもしようのない人ですわ。

いま、よその藩で苦労している人はその人があほうといわれるような人でも、土佐の普通の人がかなわないくらいです。

先日大阪の土佐藩邸に行き、そこの小役人に会ったところ、證判役小頭役とかいう者の顔つきが、京都の関白さんにでもなったような表情で、気の毒でもありおかしくもあり、もともと私は用事もなかったので、ものも言いませんでしたが、あまりおかしかったので、後藤象二郎にも言ったところ、「私は、あんな奴を使わねばならん。このうるさいことを察してください。お前たちは実にうらやましい」と言って笑いました。坂本清次郎も右のような化け物よりはよほどましです。

○先日からいろいろお手紙を頂いています。

お手紙でおっしゃっているなかに、「私がもうけることに一生懸命で、天下国家の事を忘れている」と見ておられるように思いました。

○また、土佐の悪い役人にだまされているように言っておられますね。

この二つのご忠告は、ありがたいお気づかいですが、及ばずながら天下国家の事をやっているからと言っても、土佐藩からは一銭の援助も受けておらず、仲間も五十人も養っていれば、一人に一年どうしても六十両くらいは要りますので、利益をあげているのです。

○また土佐藩のために力を尽くすようにとおっしゃるが、これは土佐で生まれた者が、また別の藩に仕えたのでは、天下を論じる時、仲間の者にまで、二人の主君に仕えているように言われ、女性が二人の亭主に仕えるように言われ、自分の議論の筋が通らなくなるので浪人しているのですし、また土佐藩を援けることにしなければいけないのです。

そのようなわけで、土佐から来た人たちは、皆私のところに集まってきていますので、脱藩の罪も解かれ、伸び伸びと研鑚に励んでいます。

この頃、私も京都へ出てきて、毎日毎日、国のため議論し交友を深めています。

土佐から来ている人は
後藤象二郎、福岡藤次、
佐々木三四郎、毛利荒次郎、
石川清之助 この人は私と同じ立場の人
また、望月清平 これは大変良い男です。

中でも後藤は、本当の同志で、魂も志も土佐の中で、他にはないぐらい素晴しいと思います。

他の人たちは皆、少しずつは人柄が落ちると思いますよ。

清次郎が出かけてきたことも、後藤にも早速内々に伝え、兄の家には処分がありはしないか相談したところ、それは清次郎が世の中のために御国の事を考え、自分の家のことを忘れたとなれば、兄さんの家には傷は付くまいと言うことで、安心しました。

いろいろの事情をお考えになり、悪い役人にだまされているなどとお笑いにならないで下さい。

もう私一人で、五百人や七百人の人を引き連れて天下のために働くより二十四万石を率いて一緒になって、新しい日本を作るため活動することが必要と思うのですが、おそれながら、このようなことは乙女姉さんには、分かっていただけないでしょうねえ。

○御病気がよくなったならば、乙女姉さんも他国に出かけるおつもりのようですね。

それについては私も意見があります。

今出てこれられると、実際龍馬の名前は今や各藩の人々で知らない人はありません。

その姉が不自由をして出て来たと言ったら、世の中の人に対しても恥ずかしく、龍馬もこの三、四年前には、人も知らない下っ端だから良かったけれど、今はどうもそういうわけには行かず、もしお前さんが出かけてきたら、どうしても見捨ててはおけません。

また世話をしなくてはなりません。

その世話をするくらいなら、近く私が土佐へ帰る時、後藤象二郎へも頼んで、蒸気船で長崎へお連れします。

前々から後藤も、老母と子供がひとりいるそうで、これも長崎へ連れ出そうと、いろいろ話し合っています。

私は妻一人で留守をするときに困ることもあるので、いやでも乙女姉さんを、近々私が自分で蒸気船に乗せて一緒にまいりましょう。

ピストルを送ってくれとのこと、これは妻にも一つ渡してあります。

長さは約六寸、五連発で、懐剣よりは小さいですが、人を撃つとき五十間ぐらい離れていても、撃ち殺すことができます。

それと同じものが今手元にありますが、差し上げられません。

そのわけは、今土佐のことを考えると、どうも何も分からん人たちが声高に、勤王だとか尊王だとか世の中のことを濡れ手で粟をつかむように気安くしゃべり散らし、その人たちの言うことを本当と信じ、池内蔵太のおっ母さんや杉屋の後家さんや、乙女姉さんらもそう思っている様子、また兄さんは島の真次郎や佐竹讃次郎たちと付き合っているそうですね。

お前さんが他国へ出れば、どうでもして暮らしていけるようにお思いでしょうが、なかなか女一人暮らすには、どうやって暮らしても一通り一年に百二十両はなければ無理です。

私は妻一人だけでなく、お前さんくらいお養いすることはおやすいことですが、女が世のために国を脱け出るというわけにはいきませんので、○国を脱け出したければ ぜひ兄さんのお家にお世話になって私が土佐に帰るまで死んでも待っていてください。

後藤たちとも内々、話し合っておきます。

○今は戦の始まる前なので、実に気ぜわしいのですが、そこへ姉さんが出て来たとなると、清次郎一人でさえ、近頃の出奔はよっぽど間が抜けているけれど、男なのでまあ理屈は付きます。

あれこれお察しくださいませ。

○小高坂あたりの娘までが、勤王とか国家のためとか言って騒ぎまわりそのために女が守るべき道を失い、若い男とわけも分からず、それを話題に話したがり、この頃大阪にもいるような、百文出せばちょっと寝る惣嫁という女郎のようなことをする者がいるそうですね。

このことを小高坂あたりの心ある人たちには、話して聞かせてあげてほしいのです。

○私の妻は毎日言って聞かしますが、龍馬は国のために骨身を砕いています。

そういうことだから龍馬をよくいたわってくれるのが国家のためになることで、決して、天下のとか、国家のとかと言うのはいらないことだ、と言い聞かせています。

ですから毎日、縫い物や張りものをしています。

その暇には自分で掛けた着物の襟付けなどの縫い物などをしています。

そのひまには本を読むようにせよと言い聞かせています。

この頃ピストルは大分うまく撃てるようになりました。

誠に変わった女ですが、私の言うことをよく聞いてくれますし、また敵を 伏見寺田屋の事件を思い返してください 見ても抜き身の刀を怖がることを知らないという者ですが、別に偉そうにはしませんし、また全く普段と変わったこともありません。

これは面白いことです。

          さようなら
 六月二十四日
           龍 馬
  姉上様
  おやべ様

追白、春猪が簪を送ってくれと言ってきたが、夫が脱藩してきた時に、かんざしとは何たることか。

清次郎に小遣いでもやってくださいとでも言うのが当たり前だ。気の毒なのは兄さんです。

そのため酒が過ぎれば長生きはできないだろう。

また、あとの養子もないだろう。

龍馬が帰るのを待っていれば清次郎も都合よく出してやったのに。

つまらん出方をするからいかん。

七月頃畑に生えた、遅れ生えのマウリやキュウリのようなものです。

同情する人も少ないでしょう。

    さようなら、さようなら。

2012年9月1日土曜日

【人間力第102回】第七章 武士道

 第七章 武士道
■世界の中の日本

 「今、日本は依然として“大国”としての存在がある。それはまず現状経済大国世界2位であるが故の影響力が挙げられる。今日、世界の何処に行ってもトヨタ、日産、ホンダ等の自動車や、ソニー、ナショナル、サンヨーなどの電化製品を見ることが出来る」

・・・と、この章はこの↑ように始まっています。何度か言っているかも知れませんが、この連載の原文はもうかれこれ8、9年も前に記録したものであり、なんとも時を感じます。それでは、続きます――。

そしてこれらの日本の品質は“ジャパン・クオリティ”と称され、世界でも最高峰として認識されています。さらに、これら日本の特色のひとつでもあるこの“経済”を抜かしても日本の名は世界に轟いているのだ。 

2012年8月29日水曜日

一通だけ残っているお龍あて/慶応三(一八六七)年五月二十八日

 
その後は、きっとお気遣いの事でしょう。

先頃から、度々紀州の奉行や船将などに交渉しましたが、何分女の言い抜けのようなことで、度々議論しているうちに、近頃は病気だと言って会わないようになっていますが、後藤象二郎と二人で、紀州の奉行の所へ行き、じっくりとやっつけたので、義論も激しくなり、昨夜は今井・中島・小田小太郎なども来て、やかましく責め立てて、夜中の十二時過ぎに帰ってきました。

昨日の朝は私が紀州の船将に会い、十分議論し、また、後藤象二郎も紀州の奉行へ出かけ、強い調子で意見を述べたので、とうとう紀州も今朝になってたまらないと思ったらしく、薩摩藩へ頼みに行き、何とかして取り成しを入れてほしいと言ったそうです。

薩摩藩からは、あのいろは丸の船代、それに積み荷の代金をお支払いするので、その場へおいでくださればと言ってきたので、私からはそれはそれでよろしいが、土佐の士を、鞆の港に置き去りにしたまま長崎へ出たことは、なかなか許せません。

このことについては、紀州から主人土佐守へごあいさつをいただきたいなどと言ってあります。

このことはまた交渉がまとまらず、戦争になったとしても、後藤象二郎と一緒に仕掛けつまり、土佐の軍艦をバックに使ってやっつけますので、決して決してご心配なさらないでください。

まあそんなわけで、さようなら。
  五月二十八日夕    龍
    鞆殿



なお、先頃土佐藩の蒸気船夕顔という船が大阪から来ていて、その便でご隠居様から後藤象二郎に早々上京するようにとのこと、私も上京するようにと象二郎が言うので、この紀州との談判が片づいたならば、私も京都に参ります。

今後の状況は楽しみです。

しかしそのようなわけで下関へ寄ることが出来ないかも知れません。

京都には三十日も滞在すれば、すぐ長崎へ象二郎と一緒に帰りますので、その時には必ず必ず下関にちょっとでも帰ります。

お待ちください。

○おかしな話があります。
お竹に言っておやり。

直次は最近黒沢直次郎と言っています。今日紀州藩の船将高柳楠之助の所へ、私から手紙をやってありますが、取り次ぎが言うには高柳は昨日から留守なので、夕方には来るでしょうとのことでしたので、そこで直次郎はおおいに腹を立てて言うには、この直次郎が昨夜十二時頃ここに来ましたが、その時は高柳先生はおいでになりました。

それにもかかわらず、留守とはこの直次郎聞き捨てならぬと言ったら、とうとう紀州の奉行が私まで手紙を寄越して、直次郎におわびしたことを伝えてきました。

おかしなことです。
さようなら、さようなら。

この度小曽根清三郎が曽根拙蔵と名前を変えて出かけてきています。

伊藤助太夫の家に泊まると思いますが、まあまあ知らぬ人としておくよう、助太夫にも奥さんにもお竹にも、知らない人としておく方が良いでしょう。

後藤象二郎が送ってきました。

     さようなら、さようなら。

2012年8月26日日曜日

【人間力第101回】第六章ダイジェスト



【第六章ダイジェスト】

・自分の好きな事に没頭出来るバカになる。

・周りの目を気にしないバカになる。

・面白いバカになる。

・一生かけて続けられる、自分だけの“好き”を見つけてしまう。

・自己啓発奥義、“物真似”の実践。

・かけがえのない人間になる為には、いつも普通じゃないことをしなければならない。

・道徳に則っていれば、この世の中やりたい放題。

2012年8月21日火曜日

三吉慎蔵あて/慶応三(一八六七)年五月十七日

私はこの頃非常に忙しく
別紙のように福田氏より
もうしあげたことをお聞き取りくださいませ。
          ○近日に出航のとき

○長久丸には土佐商会の
者を一人付き従えさせ、下関在番所
でお引き合わせしたいと
思っております。謹んでもうしあげます。

 五月十七日         龍
慎蔵先生 足下


三吉慎三様
  〆           直柔

2012年8月19日日曜日

【人間力第100回】馬鹿の振りをする


人間力も100回目か~、もう少しだけ、続きます

この章のお題でもある“バカの才能”については長い間興味を持ってきた。そして、バカは時として誉め言葉であり、天才と紙一重の存在である様な気がしてならなかった。一方、ただの馬鹿は確かにいる。“紙一重のバカ”と“単なる馬鹿”、一体この違いは何なのだろうか。矢沢永吉氏が言っていた言葉がヒントになるかも知れない。

「馬鹿は何やってもダメよ。ただココだけがポイント、馬鹿になりきれるかってことよ。いかに馬鹿の振りをするか」

最近読んでいる本では、それが「童心」という言葉で使われていた。たぶん、本質は一緒。

2012年8月15日水曜日

寺田屋伊助あて/慶応三(一八六七)年五月中旬

拝啓
    伏見宝来橋京橋の回船宿
         大浜濤次郎事
  寺田屋伊助様 才谷梅太郎事
           取巻抜六
         親展
        望遠鏡一つ
        時計 一面 添

ますますご無事にお過ごしのこと何よりです。

私はこの頃隠居している主人より脱藩罪が許されましたが、土佐へは帰らず、そのまま長崎で以前から共にしていた人たちを預けられることになり、私は海援隊長を申し付けられ、すなわち長崎で学問所を開き、若者の世話をしています。

この頃藩主の用で荷物を大阪に送る途中、備後箱の岬沖で紀州藩船の明光丸という船が、私の船の横に乗り掛け、図らずも私の船は海の底に沈んでしまいました。

これよりまた長崎へ帰ります。

この度の事は紀州はどういう勢いか、あまりにも無礼な事で、私の仲間たちや便船を借りる件などは鞆の港へ置き去りにし、藩主の急用があると言って長崎へ出帆しました。船の荷物はもちろん、便船を借りる件も皆金も何も

2012年8月13日月曜日

【人間力第99回】人生、自分が主人公




 世の中には色々なルールがある。法律をはじめ、社則や校則、一般常識、エチケットやマナー、数え上げたらキリがなく、正にがんじがらめの状態の様だ。でもこれらは所詮、自分と同じ人間が決めたもの、そんなに固く考える必要もない、ある一つを除いては。

 これらの常識も国が違えば当然異なってくる、習慣が違うのでルールも異なってくる。ある国の“常識”が、ある国では“非常識”となることもある。ただこれだけ文化や習慣が違っていても、どんな法律があろうとも、“道徳”というものにのっとっていれば、世の中やりたい放題とも考えられるのだ。

 道徳――人のふみ行うべき道。ある社会で、その成員の社会に対する、あるいは成員相互間の行為の善悪を判断する基準として、一般に承認されている模範の総体。法律のような外面的強制力を伴うものでなく、個人の内面的な原理。今日では、自然や文化財や技術品など、事物に対する人間の在るべき態度もこれに含まれる。(広辞苑より抜粋)

 つまり、「人としての道」に反しなければ、何をやったっていいとも考えられる。規則なんてものはタイミング的にも不変というものではない。時代が変われば規則も変わっていく。その変化に順応出来なければ、人はどんどん退化していってしまう。

 この事は次の章に譲るが、とにかく今の常識を壊すくらいのバカさがあっても良いのだ。というか、それこそがパワーでもあり、バカの才能であり、同時に今まで文明が発達してきた要因なのではなかろうか。勿論、道徳に則った上での話。常識には従うだけではなく、時には疑い、真実や本質を見るように注意したい。頭から常識に従って毎日を過ごしていれば、自己啓発はままならない、人間力も磨かれないのでしょう。

2012年7月29日日曜日

三吉慎蔵あて/慶応三(一八六七)年五月八日

 

この度の長崎行きは、ご存じの
事件についてで、
万一の知らせが届いた時は、
妻のお龍を土佐に送り返したいので、
土佐の坂本家より使いの者と
老婆一人が三吉家まで
参ります。その間お龍
をあなたの家で
養っていただきますよう
どうかよろしくお頼み申し上げます。

           拝稽首。
  五月八日     龍馬
   慎蔵様
      左右
  三吉慎蔵様    坂本龍馬
       親展
  五月八日出帆時にしたためて
  家に置いていきます。

2012年7月28日土曜日

【人間力第98回】人とは違うことをする、の続き


例えばこんなことを考えてみます。AさんにBさんという恋人がいた。Aさんは群集の中に埋もれているような、平凡な人間。そんなある日、Bさんに“胸がキュン”とくる人が出来てしまった。他の人とは違う、“自分”という色を出しているCさんだ。

CさんがBさんにアプローチをかけたのではなく、BさんからCさんに接近していったのだった。そう、Aさんと交際しているのにも関わらずに。Bさん、始めは友達のつもりでいた。だってAさんという恋人がいるから。友達として何度も会っている内、ついにCさんの個性に惹かれ、恋に発展してしまったのでした。そしてBさんはAさんに別れを告げた・・・

さて極端な話なんですがね、例えばよくありがちなこの話、どう考えましょう。勿論Aさんには同情されたし。さて、ではBさんはどうでしょう。その行為は浮気と呼ばれるのでしょうか。または結果的にもCさんとうまくいったからといって、Aさんをフッたことは残酷なことなのでしょうか。今はそんなことはどうでもよいことである。

この連載の主旨に基づいて着目されたし点はつまり、この話の原因はAさんにあること、これに尽きます。Aさんに魅力がなかったので、Bさんは他の人の元へと行ってしまった、ただこれだけの話であります。自分が仮に何の個性もない人間だったら、恋人はもしかしたら自分以外の人でも良いのかも知れない。人とは違う、自分だけの個性、優しさを持つことも人間力の内のひとつなのでしょう。そしてこれは仕事でも人生でも同じことを言えるんではなかろうか、と考えてみたりする。。

2012年7月22日日曜日

【人間力第97回】人とは違うことをする

さて、前回ガブリエル・シャネル氏がとても勉強になる名言を言っていたので、改めて目を向けることにします。


「かけがえのない人間になる為には、いつも普通じゃないことをしなければならない」

群集の中に埋もれている様では、その人間力は当然見えてこない。勿論、それが良い悪いというものではなく、そもそもソレをどうこう言うつもりはない。ただ、この企画の主旨に沿って考えた場合、この部分もやはり外せない部分なのであります。

これまでの章でいくつか自己啓発の方法を見直してきましたが、それは言ってみれば正当法で、ただこの章だけはその限りではない。イメージ的にはこれまでの章で、同じ方法で自己啓発をしてきた同志がいたとしたら、この章で本当の、自分だけの人間力が出てくるのだ。その為にも、人とは違うことをすることが重要になってくる。

例を出してみましょう。例えば自分が、とあるショップのオープニングスタッフだったとします。スタッフは全部で15人、全員同じスタートだ。まだルールも何もあったものではない。色々と担当を決めている内に、トイレ清掃を皆やりたがらないのが雰囲気で解った。自然と言えば自然だろう。誰も好き好んでトイレ掃除などしたがらないのが常である。

こんな時に自ら進んでトイレ掃除を始めてしまう。するとどうだろう、上から一目置かれるばかりか、同期の人からも支持を得られるかもしれない。そういった支持してくれる人が全てではなく勿論中にはソレを妬み、あるいはあなたを落としいれようとする人もいるかも知れない。

しかし、長い目で見るとそのような人は(必ずと言っていいほど)早かれ遅かれその現場から消えていき、自らトイレ掃除を行うというような行為をし続ける自分は気が付いたら他の人より“かけがえのない人間”になっていることだろう。トイレ掃除など皆やりたくはないのだ。つまり、これが一般論である。

人と違うことをする為には、一般論と逆のことをすればいい。人がやりたがらなくても、トイレ掃除は欠かせない、重要なことだ。それをすれば支持をもらえるかどうかは別の要因も絡んでくるので置いておくとして、少なくとも“かけがえのない人間”に他の14人よりも一歩近づくことが出来るのだ。人がやりたがらない為に、このチャンスを掴むのは比較的簡単なことだ。

2012年7月19日木曜日

土佐日記~中岡慎太郎生家~

そしてついに、

中岡慎太郎先生~

の故郷~

でここが生家か~


そうだ、土佐 行こう。

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2012年7月18日水曜日

三吉慎蔵あて/慶応三(一八六七)年五月五日

 
 このたびのご厚意について海援隊士たちに言い聞かせましたところ、隊士一同、涙をぬぐいながら有難がっております。
 再拝再拝

拝啓
昨日お話しもうしあげたように、実に生涯で最も幸せなことで、言葉だけでは感謝の気持ちを申しあげられないくらいです。それにもかかわらず、先日この地から上方に出ているとき福田扇馬殿、印藤聿、萩野隣、羽仁常ら諸兄が長崎に出て、土佐藩士名で修行をされたいということをお約束していたのに思いがけないこのたびの災難が起きました。

そこで諸兄にお会いしたところ、皆様が言うには、どうしても長崎に出る志をとげたいとのことでした。

そこで私はこう申しあげました。私が長崎に行ったとして今回の紀州と土佐の談判がどのように決着するかは分からず、そのため私の命もどうなるのか分かりません。

しかし、国を開く道というのは、戦うものは戦い、修行する者は修行し、商法をするものは商法をするというように、それぞれ心配せずにやらなくてはなりません。私は長崎に出たら、まず練習生の訓練所だけは確保して訓練できるようにするつもりです。そうすれば、諸君はもしものときがあってもどのようになっても安心だということになります。

どうぞお聞き取りくださり、その上でお考えください。私は皆様が長崎に出るにあたり戦国時代のときにはこのようなものであっただろうかと、ずいぶん興味深く思っています。また他にも申しあげることがあります。梶山絹鼑介という人が去年頃から長崎に出ているとのこと。私も話し合ったことがあります。この人の考えは今までの一般的な人が形ばかりで西洋のことを学ぶこととは全く違っています。本当に彼は学問の道に進み、その上物事の善悪を議論するときの考えにしても、下品に言い争ったりしないところなど、私にはまことに愉快に思われます。さきほどの四人の方たちを出すのであれば、この梶山も同じように出されてはいかがなものでしょうか。私からもお願いするところでございます。

稽拝首
  五月五日      龍馬
   三慎大兄
  三吉慎蔵様
      傍     直柔

2012年7月16日月曜日

【人間力第96回】カタチから入る

 物真似の奥義を別の視点から見た例がある。


人間は本来持っている力のほんの少ししか発揮していないのは周知の通りだ。しかしその本来の力を少しでも、より多く発揮出来るだろう方法お一つがコレに当たる。はずだ。

例えばスノボーを今日始めたばかりの人がいたとしよう。その人は初日からウェアーをカッコいいブランドで揃え、板までも良いものを購入した。この人は仮にその一式をレンタルで揃えた場合よりも、おそらく上達が早いだろう。これは先にも挙げたイメージ化した結果が大きいことも挙げられる。

自分がより好んだウェアーを身に付けることにより、スイスイと滑れる自分を想像しやすくするからだ。別に言うと“気分”という存在が大きく人間に影響を及ぼしているとも考えられる。気分が悪い時よりも、気分が良い方が人は質量共により大きな力を発揮出来る、という事実なのだ。

カタチから入る、これも人からはどちらかと言うと嘲笑を受けがちだが、たしかな自己啓発の方法のひとつでもあるのだ。ただ、ここでも周りの目を気にしないバカの才能が要求されるであろう。

2012年7月8日日曜日

土佐日記~岩崎弥太郎生家~

岩崎先生の銅像を少し入って奥に進んでいくと・・・

お~!ここが岩崎弥太郎の生家か~


これが噂の石で描いた日本列島か~


自分も記念撮影~


こんな辺境の村でよくもまぁでかい志を持てたものだ


そうだ、土佐 行こう

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【人間力第95回】偉人の名言

 

我々は非常にラッキーな時代に生きているものです。何せボタンを押すだけで簡単に今までの偉人に触れることが出来る。偉人は、偉人であるが故に、名言を口にしている。当然の様だが、これは物真似におおいに使える。

その人の名言を知ることは、その人の思考に触れることが出来るということだ。この名言は、日々呪文の様に心の中でも唱えることによって自分の信条にしてしまうことも出来るし、いざという場面で自分に一喝する救いの言葉、励ましの言葉とも成り得る。次に、私が心に留めている名言を少し紹介します、というか、すでにこのブログに何回も登場しています。

 坂本龍馬が、言う。
「世の人は、我を何とも言わば言え。我が為す事、我のみぞ知る」

 高杉晋作が、言う。
「おもしろき、こともなき世を、おもしろく」

 織田信長が、詠う。
「人間五十年、下天の内をくらぶれば夢まぼろしのごとくなり、一度生をうけ滅せฺぬ者のあるべきか」

 伊藤博文が(高杉を評して)、言う。
「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」

 猪木寛至が、言う。
「元気があれば、何でもできる」

2012年7月4日水曜日

切腹のはじまり

「浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して」

■切腹について
 戦国時代以前の武士道において、切腹の作法は確立していなかった。切腹の例はあったが、単なる自殺の手段のひとつであった。無念のあまり行う「無念腹」のように、内蔵を引きずり出すなど、その凄惨ぶりを披露する場合もあった。
 
 また、戦において捕らえられた高い身分の武士も、大抵は首を刎ねるのが普通であり、切腹させるといった習慣は無かった。場合によっては磔にする事もあった。
 
 切腹の作法が変化する転機となったのは、この清水宗治の切腹からであった。水上に舟を漕ぎ出し、そして切腹の前にひとさし舞ったのち、潔く腹を切り、介錯人に首を刎ねられた清水宗治の作法は見事であるとして、それを実際に見た武士達の賞賛を受けた。秀吉は信長の敵討ちのために一刻も早く京へと戻りたいところであったが、「名将・清水宗治の最期を見届けるまでは」と陣から一歩も動かなかったといわれている。また、後に小早川隆景に会った秀吉は「宗治は武士の鑑であった」と絶賛したという。

 これ以降、武士にとって切腹は名誉ある死という認識が広まり、また刑罰としても切腹を命じる習慣が広まった。後に秀吉は、豊臣秀次、千利休らを処罰するにあたって、切腹を命じている。

以上はWikiより抜粋、以下は実際のその現場。


「まさか、あなたは」
と言いかけるのを末近はおさえて、申されるな、自分も腹を切るつもりだ、といった。

末近がいうのに、自分は軍監を命ぜられてこの城に入ったときからどのみち死を覚悟していた。なぜなら、もし清水どのが羽柴方に走ったとすれば自分はすかさず貴殿と刺し違えて死なねばならぬ、また貴殿が城を枕に討死なさるとすれば自分もまたその横で死なねばならぬ、ところがいま意外にもこのような仕儀になった、もともと貴殿と死ぬべかりし自分がひとり生きていることはできぬ、ということなのである。

宗治はしばらく考えていたが、やがて、

「では、賑やかに参ろう」

と了承した。



最後までお読みいただきありがとうございました m(_ _)m
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2012年7月3日火曜日

秀吉の着想

「やはりだめか」
と、現場の奉行たちは、水勢をぼう然とながめながらつぶやいたりした。

秀吉はしかし望みを失わなかった。この男は自分の着想がかつて失敗したことがないということを知っており、着想が悪いのではなく、着想を実現する方法がみつからないだけのことだという程度にしか考えていなかった。秀吉は方法の発見に苦しめばよかった。この種の男には望みをうしなうということが、本来ないのかもしれなかった。

2012年7月2日月曜日

秀吉とくわんぴょうえ

 
官兵衛が秀吉を見ていると、たいていのことでは自分のほうが上だと、内心思う。
(自分が織田家にうまれていれば、むしろ秀吉を使う側になっている)

子供っぽいことではあるが、秀吉に腹を立てたときなど、ついそう思ってみずから慰めている自分に気づくことがある。人間は複雑に噛みあった条件で関係ができているわけで、それだけのことではないか、と思い、気を散ずることにしているのだが、この備中高松において自分ではどうにも太刀打ちできないほどの秀吉を見てしまうはめになった。

それまで、官兵衛は秀吉にただ二つの長所を見出していた。ひとつには、ひとの意見を、愚者のような、ときに幼児のようにぽかんと穴のあいたような表情で聴き入ることだった。

(あれだけは、あの男の生得の徳で、どうにもまねができない)

2012年7月1日日曜日

土佐日記~岩崎弥太郎故郷~

 ついに来た!

岩崎弥太郎先生と記念撮影だよ~


そうだ、岩崎弥太郎先生に会いに 行こう。

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2012年6月30日土曜日

【人間力第94回】ものまねの裏技

 久しぶりの実践です。


★★★実践★★★
■物真似の達人になる■


この素晴らしい“バカの才能”を伸ばす簡単な方法として、物真似がある。誰か自分が「カッコいい!」「こうゆう人になりたい!」という人の真似をしてみる。必ずこういった人は周りにいる。または、有名人でも一向に構わない。

そのファッションやら髪型、口癖、笑い方、そのしぐさや生き方など。全部でなくても良い(というか全部をやってしまうと自分がなくなってしまう)とにかくそれだけその人に近づくことが、物真似で出来る。“その人っぽく”なれる。

これは始め、勿論微々たる事である。しかしこれがやがて習慣になると、それがそのまま自分の“人格の一部”になるのだ。果たして血となり骨となり、私の特徴のひとつになるのである。

始めは物真似なんかして、周りの人から気付かれて嘲笑を買うこともあるかも知れない。しかしそんなことを自分は気にしない。もし、気にしてしまいそうになってしまったら、周りの目を気にしない精神力、バカの才能を思い出してみる。

言いたい人には言わしておけば良いのだ、言われているだけなら何も直接損はしないし、逆に嘲笑を買えたらたいしたものだ。何故なら、その人にとっては“普通のこと”ではないからだ。

普通のことをしていたら、当然普通の人間が生まれる。シャネル創業者、ガブリエル・シャネル(ココ・シャネル)氏の名言をも思い返してみる。

「かけがえのない人間になる為には、いつも普通じゃないことをしなければならない」

とにかく物真似をすると、その様な人間に近づける!実際、これはかなりのショートカットが期待されるものである。前章のイメージ化をまた思い出してみる。物真似だからイメージが必要となる。

この“モデル”は明確に存在するのだから確実に、正確に、且つ重要な財産である時間をもショートカット出来る、正に物真似は自己啓発の奥義なのだ。

2012年6月24日日曜日

【人間力第93回】楽しくおかしくおもしろく


面白い人ってホントに面白い。私は関東人だが、関西の笑いのセンスにはつくづく感服しています。全くもって素晴らしい。人間つまらなければ、そのまま、つまらない。

たまには(なんて言ったら関西の人に怒られるかも知れないが)バカも必要だ。いつも固い考えや口をへの字に曲げていたら誰も寄って来ない。芸の一つや二つ、10個でもいくつも持っておきたいものだ。笑う門には福が来るし、これに加えてなんと!笑いは健康にいい。

これは笑わずにはいかない。ついては人を笑わせられるバカさ加減を持てる様、この方面にも自己啓発は避けられない。少しばかばかしいかも知れないが、絶対に欠くことの出来ない、人間力の内のひとつ。

2012年6月10日日曜日

【人間力第92回】自分を貫く精神力

 何か行動を起こす時、それが世間一般で“常識”と思われない事であればあるほど、人から白い目で見られることだろう。


「何考えているの?できっこないよ」
「家族は何も言わないの?」
「そんなこと、何の保証もないんだよ?」
「あいつはあんなことをしているから、相手にしない方がいいよ」
「高望みはやめなよ」
「もうそろそろ落ち着きなよ」

何か行動を起こす際、これら世間一般の声には絶対に負けない。勿論、中には本当に自分の事を思って言ってくださる人もいるので、参考にはすべきだが、周りの“目”には負けてはならない。この精神力、大事です。

今一度考えてみる、この精神力がなければ今の生活はあり得ない。自動車王のヘンリー・フォード氏はその初め、サラリーマン時代に貯めたお金で異なる会社の車を1台ずつ買い、買ったと思ったら片端から解体し始めた。周りの人はその親密な家族ですら、「とうとう狂った」とかなり言われたそうである。

それでもフォード氏はやめなかった。それぞれの企業の良い点、悪い点を研究し、一般の人ですら乗れる車を開発しようという信念があったのだった。その当時車というのは上流階級の人だけが持てるもので、オーダーを受けてからひとつひとつ製造していた。つまり、その車という存在を、一般の人にも乗れるように量産する仕組みを作ったのがこのフォード氏で、彼は人にどう思われようがびくともしない信念があり、驚くほどの精神力を持っていたのだった。

考えてみれば飛行機のライト兄弟や、電話のベル、電球のエジソンなども当時は相当回りの人から攻撃を受けたと容易に考えられる。と言ってもあまりにも遠い存在なのであまりピンと来ないかも知れないが、例えばサラリーマン金太郎の金ちゃん、踊る大捜査線の青島、ワンピースのルフィーなどはどうか。いや、変な話ですがね、その他映画のヒーローでも身近な有名人でも、誰か想い返してみる。皆、それぞれ自分の信ずる何かがあって、周りの人を気にするタイプではない。見ているだけで、気持ちがいい。何かせいせいしないだろうか。→これが人間力だ。

何かをやり抜く、貫き通すと当然目立つ。賛成派、反対派が出て来て当然なのだ。「出る杭は打たれる」では、ない。出る杭はたしかに打たれようとされるが、それに打たれるかどうかは、果たして人間力次第だ。これに、打たれては、ならない。この“打たれなかった人達”が周りの目を気にしないバカの才能を持つ、結果的には偉大な人と成りえた理由のひとつなのだ。

何故ならば、バカはやり続けるからだ。周りの目なんか気にしない、人に何て言われようが、バカには関係ない。自分がやっている事が世間から見た場合、おかしなことだと気づかない。単純に、ソレをやり続けることが好きで、あるいは好きではなくても強烈な信念となっており、もうそれは、それだけで、バカの領域に達している。この域に達するともはやバカではない、“天才”という言葉こそふさわしい。

2012年6月5日火曜日

土佐日記~桂浜~

 
ついに来ました、桂浜~

ここがかの桂浜か~

そして今回のメインとも言える、龍馬先生銅像と記念撮影~

この龍馬先生銅像は、体の向きと見ている方向が違う~
それは、体は東京の皇居に向け、
目は太平洋を見ているという~

桂浜にある龍馬記念館にて、読書ラリーに参加。

長州弁は今の標準語に近いのでいいんだが、薩摩の言葉が難しかった~

この桂浜は月見が全国的にも有名だが、この前日はどうしたものか月が見れんかったな~

そうだ、土佐 行こう。

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2012年6月4日月曜日

寺田屋お登勢あて/慶応三(一八六七)年四月二十七日

 
この一品はきみえにやって下さい。
あの子はいまどこにおるやら、ただ気がかりです。今度せっかく下関に連れてこようと思ったのに、やれやれまたこれから長崎へ帰ります。言わないでも
いいことですが、いろいろお気をつけ下さい。

 四月二十七日  梅より
 おとせさま

伏見宝来橋 寺田屋様

2012年6月3日日曜日

【人間力第91回】自分だけの個性


 これだけは誰にも負けない、という自分らしい個性はなんなのか。これがあるのとないのでは雲泥の差、一気にその人間力はアップする。ただ、これをやるにはその分野に関して、いわゆる“おタク”になる必要があるかも知れない。それにはまず、自分がそれだけ好きな何かを見つけなければならない。

 自己啓発、本連載の初めの部分ではハード面とソフト面で分けて考えてみた。ソフト面では日々進化するコンテンツをあくまでツールとして、またハード面を人間力として考えるそのやり方、今回はその最上級編とも言えるだろうか。ここに自分だけが特化している分野が融合すれば、先にも言った通り一気にその人間力のクオリティーは上がるものである。そしてその道を極めれば全く別の分野を極めた人にも逢える。横綱が総理大臣に会える様に。

 そこで、今までの一般の自己啓発に加え、プラスアルファとしてこのバカの才能を加えたい。一生かけて続けられる、自分だけの“好き”を見つけてみる。どうせなら一生かけてでも極めてみよう。

2012年6月2日土曜日

さらば愛しき・・・よ。

 「shiiiiiiiiiiit(くそ)!!!!」
とその瞬間、自分で言わざるを得なかった。

くそ、と言えば、自分は食を済ませると、すぐうんこが出るタイプだ。人間とは進化するのか、最近、その傾向が前より強まった感がある。サンドイッチをふた切れ口にしただけで、もう、出る。ほんとに、ふた切れだけなのだ。

パイナップルは大丈夫、でも、何回かすぐ出たこともある。特に朝は即効性が強い。これは、おそらく皆さんも同じことなのだろう。それから、不思議と飲んでいる時はなんとか、もつ(もたない時も、ある)。

数あるメニューの中で最も即効性のあるものは、カレーである。これは、ダントツだ。食事中にすでにうんこに行きたくなることも、ざらにある。こんな事を話すと「汚い!」とか「下品だ!」とか言う人がいるが、たしかにその通りだ!以降、下品な話がもう少し続きます。

もっとも、食事中にうんこしたくなる衝動にかられるのは何もカレーに限ったことではない。一度、もう、めんどくさくなって、トイレの中でうんこ出しながら食事した事だってある。これは、下品かも知れないが、自分の中ではもっと違う次元――例えば織田信長の利便性の思考――の事による。

とにかく「食ったら出る」、この当然な人間の行為が私の場合、人より健康なせいか、そのスパイラルが早いようだ。

話は変わるが私にはお気に入りのマイ・ジュエリーがある。周りの人はおそらく一度は見たことがあろう下のリングであります。


このリングはですね、私のmy first original jewelryなんです。それだけに、思い入れが深くてですね、なんと今年で10周年なんですよ。私なりに、こだわりがきちんとあるんですよ。

世界の4大宝石と言われる石をエメラルド→サファイア→ルビー→ダイヤモンドと順に大きく左サイドに入れ、正面には例のマークが位置されています。この意は、私にとっての価値基準でつまり、エメラルドよりサファイアの方が価値を感じ、サファイアよりルビーの方が価値を見出せる。それよりダイヤモンドは価値が私なりにはあり、そのダイヤモンドをも郡を抜いて大きい存在なのがこのマークという意味。さらにこれら左サイドに入れた理由は右の人差し指に装着した時にサイドからも石のラインが見える様に、と考えられています。

全体的にはホワイトゴールドを仕様とし、マーク部分はイエローゴールドをあしらっています。通常、ホワイトゴールドは市場ではロジウムメッキがかかっていますが、私は西洋人と同様、メッキはその本来のリングを偽っているようで好まないため、メッキをかけていません。それがかえってシャンパンゴールドの輝きを放ち、愛用し続けて10年が経ったのです、おめでとう!

ただ10年もすれば色んな思い出もあるものです。何度も危機に遭いました。例えば海でビール飲んではしゃいでビーチで相撲取ったりしてはしゃいでカルティエのトリニティリングとこのリングを2つ失くして、少し探してあの広いビーチの中で奇跡的にこのリングだけ見つかったこともありました。

ビーチと言えば、他にもリングは失くした経験があります。これも特別なリングだったんですが、今回のリングはその時もなくならずに着いてきてくれました。

治安が悪いと言われるケープタウンでもホテルの部屋の中に忘れたままチェックアウトし、1時間後くらいに戻ったら掃除のおばちゃんが忘れ物だよ!と持っていてくれました。

バンコクのホテルでも同様、部屋の中に忘れたままチェックアウトし、この時は次の日になって気づいて翌日取りにいったらフロントになんと届けられていました。

これ以外にも、トイレで手を洗う時に外したままトイレから出て、急いで戻ったらまだ置いてあった、こんなことは10回くらいはあったことだろう。何度も危機を乗り越えて、一緒にいたリング。それもついに今年で10周年、おめでとう!

そんな10周年の、とある本日。日本食が恋しくなり、カレーとそばのセットをご注文。カレー、カレーと言えば皆さん、周知の通り常に一番に君臨し即効性のある食べ物です。まずはカレーをいただき、みそ汁代わりにそばをいただくじゃないですか。当然、順番的にはカレーを早くいただく順番なので、確実にこの即効性のあるカレーが先に消化されるわけなんです。

すると、あれじゃないですか。やっぱりカレーをいただいて、さぁ、そば食べるぞ!てな時にはもううんこがドンドン、とお尻をノックしてるんですよ。いや、今思い返してみれば、カレー半分くらいイッた時からノックはしてた。でも僕は食事中だったのでそのノックには応えない。

で、とにかくカレーからそばにシフトする時にはすでに「トントン」というのではなく、明らかに「ドンドン!」というノック音なんですよ。でも、僕は食事中だったのでやはりお尻はロックオンしたままだ。

さてそばをいただく。いやぁ、やっぱり日本の和のテイストは美味だなぁ~なんて思う自分はもう、日本庭園の真っ只中。おそばを自分のお口にお運びする度に、一面に広がるわびさびある風景のイメージ。な~んて内にお尻をノックする音が非常に強烈になって参りまして、もう、日本庭園とか言ってる場合じゃなくなってきた。

ノックする音は明らかに様子がおかしくて、借金取りと日本のヤクザとイタリアのマフィア、FBIとフリーメーソン、テンプル騎士団やタイの警察、といった顔ぶれで、それぞれ幹部である本部長クラスの人間がノックしているが如くだ。そして、なぜか言語は一人残らず大阪弁、これほど怖いものはない。

とにかくその様な状況なので、もう、日本庭園を楽しんでいる余裕はなく、そばを半分残してお会計。上記の顔ぶれに追われている自分はつり銭をもらっている余裕はなく、急いでお店を退転。近くのショッピングセンターのトイレに駆け込む。

すると、思った通りこのトイレにはティッシュが自動販売機で売られていて、一般装備されていない。ついでにタイ特有の手動のシャワーも、装備されてない。こんなときに限って、1バーツを持っていない。さっきつり銭もらっときゃよかった、いや、もらったとしても1個や2個じゃ間に合わん、と思いつつ近くの店にもう、両替え依頼。

そんなことしている内にも上記ドリームチームは強引にお尻の門を開けようとして来て、そろそろコンニチハし始める頃なんですよね。でもおいらはあきらめなかった。あきらめたら、その時点で思考は停止し、ついには達成できることは、ない。そう自己啓発もしてきて本質を理解しているので、相手がドリームチームだろうと、僕は闘った。そして、聖地便器までティッシュを片手に持ち、かくして私はそこに楽園を建設した。

こうゆう時のティッシュというのはすごく小さいじゃないですか。こんなの、10箱あってもたんねーよ、なんて思いながらも人差し指と親指を使ってちょっとずつお尻を拭いていくんです。その前に。

お気に入りのリングがうんちっちで汚れたら大変じゃないですか。どこか置き場所はないものかと見回すと、、

あるじゃないですか。格好なリングの置き場所が。こんなところに置き忘れたら大変だな、と自分に言い聞かせつつドリームマッチの処理にあたる。すると、






































忘れてしもうた!!!!!!!!!!

2時間後気づいて取りにいったら、もうなかった!!!!!!!

「shiiiiiiiiiiit(くそ)!!!!」

冷静になれ、苅部俊雄。こんな時にこそ何事もなかったかの様に涼しい顔をしているのが武士道である。桐野利秋を見よ。あんな事があったのに、あんなに涼しい顔をしているではないか。ここで取乱してしまっては後世の人はどう思うか。――それでも日本男子か。と思うに違いない。

正直、心中穏やかでは、ない。今でも、それを持っている人が地金屋に持っていき売りさばき、溶かされていく光景を思い出すと身がはちきられそうである。あれは、ただのリングでは、ないのだ。

しかし、しかし、武士道を信仰している私にとっては、ここでこそ潔くならねばなるまい。なぜならば、これも武士道のひとつだからだ。どんな状況でも涼しい顔で、振る舞いは美しくしたいものだ。



・・・でも、FBで試しに呼びかけて見ようかな。。。

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