2012年2月29日水曜日

元親のいくさ

 
「しかし考えてみれば、いくさに勝つということは、さほどむずかしいことではない。勝つ準備が敵よりもまさっていればもうそれで勝てるのだ。それだけのことだが、存外、武辺という評判の大将でも、この簡単な理に気づいていない」

2012年2月28日火曜日

織田殿のいくさ

 「ただきいていますことは、織田殿のいくさは勝つべくして勝つといういくさでありまするそうで」

というと、元親はその言葉がひどく気に入ったらしく何度もうなずき、

「そうであるべきだ。いくさはばくちではない」

といった。勝つべくするにはそのためにあらゆる準備と手段の手をうたねばならない。

2012年2月27日月曜日

【人間力第79回】○○と言わない




 同様に、「私は朝が弱いから」という言葉もそうである。朝に弱いはずがない!これは酷かも知れないが、こういった人は朝起きようとする気力がないか、自分に甘えているか、どちらにしても自分が発する「朝が弱い」という言葉が“朝起きられない自分”を認めて自ら作り上げてしまっているのである。

朝は、誰だって眠い。もし仮に、朝に強い自分にしたければ、「私は朝には強い!」と本当に思って言葉に発して眠りにつき、目を覚ました時にも同じ言葉を発すれば、一ヶ月もしない内に必ず朝に強い自分に出会えるはずだ。

この並びで、「疲れた」とも言わない。疲れたと言えば疲れた自分を作り出してしまう。どころか、周りにも「疲れた」雰囲気を伝染させてしまう、つまり、周りの人間のモチベーションを落としてしまう、戦場で周りの士気をはいでしまうのと同じことなのだ。

また少し話しがソレました。。。

2012年2月25日土曜日

至福の一時

 
家から徒歩5分にある船着き場までたどり着く。

船に、乗る。乗ること20分。

船を、降りる。

そこには楽園が、繰り広げられている。

バンコクにありながら、プーケットをすら感じさせてくれる(自称)このプールサイドで、本を読む。これが、吾が至福の一時なり。午前中より赴き、満天の太陽を存分に浴びながら、時間を忘れ本を読む。暑くなればプールに飛び込み、ビールをいただく。これをサバーイと言わずなんと呼ぶのであろう。このサバーイにより想い拓くこともあるものだ。

池内蔵太をユニオン号の乗組員に・・・/慶応二(一八六六)年三月八日

 
細川左馬之助は
以前から海軍への志があり、
馬関から
龍馬と一緒に
上京していました。訳あって
薩摩に行こうとしていますが、
今、幸い太郎が
長崎に帰っていると
聞きました。今なら、
あのユニオン号に内蔵太を
乗せてもよいかと思います。
内蔵太は
海軍のことに関して
今は未熟ですが、
度々
戦争に参加していますので、
ずいぶん後になれば
頼もしい人に
なるであろうと楽しみにしています。
もしユニオン号の
都合がよいとなれば、
西郷吉之助と小松帯刀の方へは私から相談します。
都合はよろしいでしょうか。
よくお考えください。
草々頓首頓首
    八日  龍

この手紙は錦戸に遣いを頼みます。
但し太郎の変名宛にします。

  高松太郎様    龍

2012年2月20日月曜日

【人間力第78回】「忙しい」と言わない




自分の発する言葉について前にも述べたが、時間と関係することなのでひとつ例を出されたい。「忙しい」と言葉にした瞬間、人は色々なことを否定してしまっている。

また、「時間がない」という言葉も同じ事だと言える。これは、自分にソレを処理する能力がない、と公言しているようなものだ。つまりこの自己否定が知らず知らずの内に他にもマイナスの影響を与えてしまっているのである。

これはその状況によって多々あるので一概には言えないが、簡単に言うと人が発する“波動”というものである。オーラといっても良いだろう。つまり、これが人間力と言っても良いのだが、この波動がマイナスに働いてしまうことが注目すべき点である。

これがやがてスパイラルとなることも先に述べた通りだ。特に注意すべき点はここでもこれを言葉にする人大体が、この言葉を言うことが習慣化されているだろうという点だ。

2012年2月18日土曜日

薩長同盟盟約証明の裏書き/慶応二(一八六六)年二月五日

 
表に御記被成候
六条ハ、小、西、両氏及
老兄、龍等も御同
席ニて談論セシ
所ニて、毛も相違
之候、後来と
いへども決して
変り候事無
ハ、神明の知る
所ニ御座候。
  丙寅
  二月五日 坂本龍

2012年2月13日月曜日

【人間力第77回】節約・倹約no続き




これ(前回のこと)は、長所と短所とに置き換えることも出来るだろう。短所ばかり直しても、何も害がない人間が出来るだけで、魅力ある人間が形成されるわけでもない。逆に長所を伸ばせば、その魅力が短所をもカバーし見えなくしてしまうものだ。

ここでもそうだ、短所を直すには限界があり、長所を伸ばすのには限界がない。

改めて確認したいのは、短所を見直すことも節約することも、たしかに必要ではある事だ。あくまでも、否定しているわけではない。ただ重点を置くべき視点を、自分の思考パターンを、長所を伸ばすことや開発する方に仕向けるのが私なりの自己啓発であり、人間力を開発することであるのだ。

2012年2月11日土曜日

池内蔵太の母は元気だろうか/慶応元(一八六五)秋推定

 
西町の内蔵太の母はいかがだろうか。本当に心配しております。
そこで、内蔵太のことです。
この頃、相変わらず一大軍四百人ぐらい
参謀となって戦場でも
鞭をとり、馬に乗って見回り
などをしています。平穏なときは
自主的に軍艦に乗り組み
訓練をしています。活気に満ちあるれております。
先日も思いがけなく
ばったり会って、色々な話をしました。
昔あった西町の騒動などを
お互いに語り合い、まことにおもしろかったことです。
内蔵太の家族に伝えてください。
かしこ

2012年2月5日日曜日

土佐日記~さいたにや~

 
竜馬不動産。
城下町を歩いていると、こんな看板をよく見る。いや、城下町だけでは、ない。龍馬定食、龍馬クリーニングから龍馬空港、龍馬郵便局、龍馬学園など。

その竜馬不動産のところを入ったところにすぐ、[さいたにや]がある。そう、ここはあの才谷屋跡にあるコーヒーハイスだ。ここに、全国の志士が集うのだろう。

そのさいたにやの店内。おっと、洋食でした。

そうだ、土佐 行こう。

大きな地図で見る

泰国同志

 
バンコク郊外にある一軒家。家の裏には川が流れ敷地内にて野菜や果物を栽培している。周りはいたって静かで雰囲気はバツグンだ。

この家のオーナーは彼。自分より年下だが2軒目の家を購入。一軒目の家は賃貸している。この他にも彼はもう一軒また貸ししている物件がある。

これらは、自分とあの時話さなかったらこの様なことはしてなかったと言う。なんとも嬉しく、なんともめでたい。嬉しい、と言えば、彼は6年前に譲ったバイクをまだ持っていた。彼は車を持っている。バイクのメッセンジャーも雇用しているので、まずバイクを彼自身が使うことはない。

ならなんで持っているんだ?と聞くと、これ見て自分を想い出してくれていたと言う。やはり、なんとも嬉しく、なんともめでたい。

2012年2月4日土曜日

【人間力第76回】節約・倹約

 やっと部屋にネットの設備が。。。

お金を節約することに躍起になっている人がいる。これには勿論一理あるが、こと自己啓発に関しては見る視点を変えたいところだ。つまりは、こうゆうことだ。微々たるお金を節約することにより、時間を浪費していないだろうか。

その同じ時間を使って節約出来るお金よりも、もっと多くのお金を生み出すことは出来ないだろうか。いや、ここでも筆者は節約を否定しているわけではない。時間でもお金でも浪費を防ぐことは肝要である。ただ、その思考パターンを“節約”よりも、“開発”することに重点を置くことが自己啓発するということなのだ。

これは非常に興味深いことでもある。

例えば節約出来るのには限界があり、開発出来るのには限界がない。もっと具体的に言うと、あなたがPCを買うのに秋葉原に向かったとする。目的のPCが千円でも安いところを探すべく2時間探して節約を心がけるよりも、その同じ2時間でお金を生む時間に費やした方が良いかも知れない。

そしてこの例の場合、では節約出来る金額には限界がある。節約出来たとしても数千円、極論を言うとそのPCの代金までがここで言う節約出来る限界だ。しかし、(あくまでこの例の場合だが)同じ時間でも生み出せるお金には限界がない。

先にも言った通り、お金を生ませる時間に費やした方が良いかも知れない。この場合では、「かも知れない」ということを強調する。今回の一件だけを見れば、どちらでも大して影響はないものだ。注目すべき点はそれが習慣化されているかどうか。自分の思考パターンがどちらになっているか、ということだ。

仮に節約することが自分の思考パターンになっているとしたら、それは自己啓発しにくい環境にある。この思考パターンは心を貧困の状態に持ってゆく。逆に開発することが自分の思考パターンになっていれば、可能性に満ち溢れている。もう一度確認したいことは、節約するのには限界があって、開発するのには限界がない。

坂本乙女、おやべあて/慶応元(一八六五)年九月九日

 
私どもと一緒に頑張っているのは、二丁目の赤づら馬之助、水道通横町の長次郎、高松太郎などで、望月は死んでしまいました。
二十人ばかりの同志を率い、今長崎の方に出て訓練に励んでいます。
土佐から来た中で一人イギリスの学問所に学んでいる者がいます。日本からは三十人ほども行っており、一緒に訓練に励んでいますが、なかなか頼もしいことです。
私は、一人であちこちに出向き、時期が来れば各藩にいる人たちを率いて、一斉に旗揚げしようと今京都にいますが、五、六日のうちにまた長崎の方に行くつもりです。
けれども、お便りなど下さるなら、伏見宝来橋の寺田屋伊助まで送って下さるようお願いします。
まったく、土佐のような所で何の目標もないような所でぐずぐずして毎日を過ごすのは全く大ばか者です。

なるほど今日は、九月九日重陽の節句。おやべが金平糖の鋳型のような凹凸の顔をお白粉で塗りつぶしているだろう、と想像しています。そして猫を抱いて西の奥の部屋の縁側で、ひなたぼっこをしながら、ヘラヘラ笑っている様子が浮かんできます。
   乙女姉さんに申し上げます
さて、先日お手紙さしあげましたが、ぜひご覧下さい。
○近頃面倒なことばかりで、すみませんが、実はお願いなので、
ぜひ聞いて下さい。
あの、私がいた茶の間の西の押し入れに書物箱がありましたが、その中にたしか焦げた柿紙かの表紙のかかった小笠原流の礼儀の本が十冊ばかり、本の厚さは三ミリから五ミリぐらいの厚さです。
近頃ある人から礼儀の本を求めて欲しいと言ってきましたが、
どうも無いので、あの本でなければどうにもなりません。
必ず必ず面倒だからとそのままにしないで送って下さいね。
  これからはおやべさん
  あてです。

近頃面倒なお願いでもうしわけないけれど、どうぞ聞いて下さい。
さて、私が土佐に居た頃には、吉村三太という頭のはげた若い人がいました。
彼の持っている歌の本、「新葉集」という南朝楠木正成公などのころ吉野で出来た歌の本です。で出来た本です。
これが欲しくて京都でいろいろ捜し求めましたが、一向手に入りませんので、あの吉村から借りておまえの旦那さんに写してもらうよう頼んで下さい。
何分にも急いで送って下さい。
いま申し上げた乙女姉さんに頼んだ本、またおやべから送ってくれる本は、入道盈進まで送ってくれたら、私まで届きます。
もし入道盈進が
土佐に帰っている時は、
伏見の土佐藩邸のそばの、宝来橋というあたりに寺田屋伊助
また、その近くに京橋があり、
日野屋孫兵衛という人がいて
これは旅館です。
この二軒ならば、ちょうど私が土佐でいえば、安田の高松順蔵さんの家にいるような、
くつろいだ気持ちでいますので、
両家とも大変かわいがってくれていますので、
こちらに、薩摩藩西郷伊三郎あてとあて名を書けば品物でも、手紙でも送ってくだされば、私に届きます。
かしこ。


 九月九日
   おやべさん

京都の話はしかし内緒ですよ。
先年、頼三樹三郎、梅田源二郎、梁川星厳、春日など有名な人たちが朝廷のために動いたとして、難に遭ったことがありました。
その頃その同志だった楢崎某という医者、それも最近病気で亡くなって、その妻と娘三人、男の子二人、その男の子太郎は少し知恵遅れです。
次郎ハ五歳、娘がいちばん上で二十三、次は十六歳、次は十二歳ですが、もとは豊かな家で暮らしていましたので花を活け、香をきき、茶の湯
をしたりはしていますが、一向に炊事や奉公などはしたことがありません。
大体、医者というものは、一代限りのもので、親が死んでしまうと親類づきあいするものもなくなります。たまたまあっても、その虚に乗じて、家財道具などを、めいめいが盗んで帰るくらいのことで、その当時は家屋敷をはじめ道具、自分の着るものなどを売って母や妹を養っていたそうです。
けれども、ついにどうしようもなくなり、家族別々になり奉公していましたが、十三歳の女は珠の外美人だったので、悪者がこの子をおだてて島原の里へ舞妓として売り、十六になる女の子は、だまして母に言いふくめ大阪に出して、遊女に売ってしまいました。
五歳の男の子は栗田口のお寺に出してしまいました。
それを姉が気づき、自分の着る物を売り、その金を持って大阪に行き、悪者二人を相手に死ぬ覚悟で、刃ものを懐にしてけんかし、とうとう大口論になったので悪者は腕の刺青の彫り物を見せながら、乱暴な口調で脅しをかけてきましたが、もともとお龍は死ぬ覚悟ですから、飛び掛って悪者の胸倉をつかみ、顔を思い切り殴りつけ
「お前がだまして大阪に連れてきた妹を返さなければ、命をもらうぞ」
と言うと悪者は
「女め殺すぞ」
と言ったので、お龍は
「殺すか殺されるかではるばる大阪に来たのだ。それは面白い。殺せゝ」
と言うと、さすがに殺すわけにもいかず、とうとう妹を受け出して京都へ帰りました。珍しいことです。
京都島原へやられた十三歳の妹は、年もゆかぬので、差し迫った心配はないということで、ひとまずそのままにしました。
それはさておき、昨年六月望月らが殺された時、同志八人ばかりも望月のように戦死しました。
その前にこの母娘が彼らを大仏の近くにかくまい、母娘二人で炊事などしていましたが、騒動の時、家の道具も皆、捕り手の人たちが車に積んで取って行ってしまったので、今は暮らすこともできず、お龍は母と、知足院という、亡くなった父を祀る寺に行き、そこで世話になっていました。毎日食べたり食べなかったりで、実に哀れな暮らしをしています。
この続きはまた次に申し上げましょう。
今言った女は誠に面白い女で月琴を弾きます。今は、さほど不自由もせず暮らしています。
この女、わけがあって十三歳の妹、五歳の男の子を引き取り、人に預けて救いました。また、私の危うきときに助けてくれたいきさつもあるので、もし命があれば何とかして、そちらに行かせたいと思っています。この女、乙女姉さんを本当の姉のように会いたがっています。
乙女姉さんの名前は全国で知られていて、龍馬より強いという評判です。
○どうぞ、帯か着物かひとつこの女にやって下さいませんか。この女も内々お願いできればと言っております。
今度お願いした用事は、乙女姉さんに頼んだ本、おやべに頼んだ本、それに乙女姉さんの帯か着物か一筋是非送って、今の女に与えます。
今の名は龍といい、私に似ています。早速尋ねたところ生まれた時父親がつけたのだそうです。
○そうそう、忘れていました。
あの私がいた茶座敷の西の通りがある、その上に竹を渡してあり、絵とか字とか何か、唐紙に書いたものがあります。
その中に順蔵さんの書いたものがあります。送って下さい。
そして短冊箱に、母上、父上の歌、おばあさんの歌、権平兄さんの歌、お前さんの歌があります。どうぞ父上母上おばあさんなどの亡くなった年月日を、短冊の裏へ書き記して送って下さい。
この中に、順蔵さんが私にくれた文が、唐紙に書いてある、たしか半紙くらいの大きさです。
それも送って下さい。これは、高松太郎が父親のものを欲しがるので、与えようと思っています。
それに、今度のお願いはそれぞれ聞き捨てにせず、送って下さい。
念じ申し上げます。 かしこ。

    九月九日     龍

         御頼みしたもの
乙姉さん    数々、それに
おやべどん  そちらの様子
         など長いお返事
         を下さい。

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