2012年7月29日日曜日

三吉慎蔵あて/慶応三(一八六七)年五月八日

 

この度の長崎行きは、ご存じの
事件についてで、
万一の知らせが届いた時は、
妻のお龍を土佐に送り返したいので、
土佐の坂本家より使いの者と
老婆一人が三吉家まで
参ります。その間お龍
をあなたの家で
養っていただきますよう
どうかよろしくお頼み申し上げます。

           拝稽首。
  五月八日     龍馬
   慎蔵様
      左右
  三吉慎蔵様    坂本龍馬
       親展
  五月八日出帆時にしたためて
  家に置いていきます。

2012年7月28日土曜日

【人間力第98回】人とは違うことをする、の続き


例えばこんなことを考えてみます。AさんにBさんという恋人がいた。Aさんは群集の中に埋もれているような、平凡な人間。そんなある日、Bさんに“胸がキュン”とくる人が出来てしまった。他の人とは違う、“自分”という色を出しているCさんだ。

CさんがBさんにアプローチをかけたのではなく、BさんからCさんに接近していったのだった。そう、Aさんと交際しているのにも関わらずに。Bさん、始めは友達のつもりでいた。だってAさんという恋人がいるから。友達として何度も会っている内、ついにCさんの個性に惹かれ、恋に発展してしまったのでした。そしてBさんはAさんに別れを告げた・・・

さて極端な話なんですがね、例えばよくありがちなこの話、どう考えましょう。勿論Aさんには同情されたし。さて、ではBさんはどうでしょう。その行為は浮気と呼ばれるのでしょうか。または結果的にもCさんとうまくいったからといって、Aさんをフッたことは残酷なことなのでしょうか。今はそんなことはどうでもよいことである。

この連載の主旨に基づいて着目されたし点はつまり、この話の原因はAさんにあること、これに尽きます。Aさんに魅力がなかったので、Bさんは他の人の元へと行ってしまった、ただこれだけの話であります。自分が仮に何の個性もない人間だったら、恋人はもしかしたら自分以外の人でも良いのかも知れない。人とは違う、自分だけの個性、優しさを持つことも人間力の内のひとつなのでしょう。そしてこれは仕事でも人生でも同じことを言えるんではなかろうか、と考えてみたりする。。

2012年7月22日日曜日

【人間力第97回】人とは違うことをする

さて、前回ガブリエル・シャネル氏がとても勉強になる名言を言っていたので、改めて目を向けることにします。


「かけがえのない人間になる為には、いつも普通じゃないことをしなければならない」

群集の中に埋もれている様では、その人間力は当然見えてこない。勿論、それが良い悪いというものではなく、そもそもソレをどうこう言うつもりはない。ただ、この企画の主旨に沿って考えた場合、この部分もやはり外せない部分なのであります。

これまでの章でいくつか自己啓発の方法を見直してきましたが、それは言ってみれば正当法で、ただこの章だけはその限りではない。イメージ的にはこれまでの章で、同じ方法で自己啓発をしてきた同志がいたとしたら、この章で本当の、自分だけの人間力が出てくるのだ。その為にも、人とは違うことをすることが重要になってくる。

例を出してみましょう。例えば自分が、とあるショップのオープニングスタッフだったとします。スタッフは全部で15人、全員同じスタートだ。まだルールも何もあったものではない。色々と担当を決めている内に、トイレ清掃を皆やりたがらないのが雰囲気で解った。自然と言えば自然だろう。誰も好き好んでトイレ掃除などしたがらないのが常である。

こんな時に自ら進んでトイレ掃除を始めてしまう。するとどうだろう、上から一目置かれるばかりか、同期の人からも支持を得られるかもしれない。そういった支持してくれる人が全てではなく勿論中にはソレを妬み、あるいはあなたを落としいれようとする人もいるかも知れない。

しかし、長い目で見るとそのような人は(必ずと言っていいほど)早かれ遅かれその現場から消えていき、自らトイレ掃除を行うというような行為をし続ける自分は気が付いたら他の人より“かけがえのない人間”になっていることだろう。トイレ掃除など皆やりたくはないのだ。つまり、これが一般論である。

人と違うことをする為には、一般論と逆のことをすればいい。人がやりたがらなくても、トイレ掃除は欠かせない、重要なことだ。それをすれば支持をもらえるかどうかは別の要因も絡んでくるので置いておくとして、少なくとも“かけがえのない人間”に他の14人よりも一歩近づくことが出来るのだ。人がやりたがらない為に、このチャンスを掴むのは比較的簡単なことだ。

2012年7月19日木曜日

土佐日記~中岡慎太郎生家~

そしてついに、

中岡慎太郎先生~

の故郷~

でここが生家か~


そうだ、土佐 行こう。

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2012年7月18日水曜日

三吉慎蔵あて/慶応三(一八六七)年五月五日

 
 このたびのご厚意について海援隊士たちに言い聞かせましたところ、隊士一同、涙をぬぐいながら有難がっております。
 再拝再拝

拝啓
昨日お話しもうしあげたように、実に生涯で最も幸せなことで、言葉だけでは感謝の気持ちを申しあげられないくらいです。それにもかかわらず、先日この地から上方に出ているとき福田扇馬殿、印藤聿、萩野隣、羽仁常ら諸兄が長崎に出て、土佐藩士名で修行をされたいということをお約束していたのに思いがけないこのたびの災難が起きました。

そこで諸兄にお会いしたところ、皆様が言うには、どうしても長崎に出る志をとげたいとのことでした。

そこで私はこう申しあげました。私が長崎に行ったとして今回の紀州と土佐の談判がどのように決着するかは分からず、そのため私の命もどうなるのか分かりません。

しかし、国を開く道というのは、戦うものは戦い、修行する者は修行し、商法をするものは商法をするというように、それぞれ心配せずにやらなくてはなりません。私は長崎に出たら、まず練習生の訓練所だけは確保して訓練できるようにするつもりです。そうすれば、諸君はもしものときがあってもどのようになっても安心だということになります。

どうぞお聞き取りくださり、その上でお考えください。私は皆様が長崎に出るにあたり戦国時代のときにはこのようなものであっただろうかと、ずいぶん興味深く思っています。また他にも申しあげることがあります。梶山絹鼑介という人が去年頃から長崎に出ているとのこと。私も話し合ったことがあります。この人の考えは今までの一般的な人が形ばかりで西洋のことを学ぶこととは全く違っています。本当に彼は学問の道に進み、その上物事の善悪を議論するときの考えにしても、下品に言い争ったりしないところなど、私にはまことに愉快に思われます。さきほどの四人の方たちを出すのであれば、この梶山も同じように出されてはいかがなものでしょうか。私からもお願いするところでございます。

稽拝首
  五月五日      龍馬
   三慎大兄
  三吉慎蔵様
      傍     直柔

2012年7月16日月曜日

【人間力第96回】カタチから入る

 物真似の奥義を別の視点から見た例がある。


人間は本来持っている力のほんの少ししか発揮していないのは周知の通りだ。しかしその本来の力を少しでも、より多く発揮出来るだろう方法お一つがコレに当たる。はずだ。

例えばスノボーを今日始めたばかりの人がいたとしよう。その人は初日からウェアーをカッコいいブランドで揃え、板までも良いものを購入した。この人は仮にその一式をレンタルで揃えた場合よりも、おそらく上達が早いだろう。これは先にも挙げたイメージ化した結果が大きいことも挙げられる。

自分がより好んだウェアーを身に付けることにより、スイスイと滑れる自分を想像しやすくするからだ。別に言うと“気分”という存在が大きく人間に影響を及ぼしているとも考えられる。気分が悪い時よりも、気分が良い方が人は質量共により大きな力を発揮出来る、という事実なのだ。

カタチから入る、これも人からはどちらかと言うと嘲笑を受けがちだが、たしかな自己啓発の方法のひとつでもあるのだ。ただ、ここでも周りの目を気にしないバカの才能が要求されるであろう。

2012年7月8日日曜日

土佐日記~岩崎弥太郎生家~

岩崎先生の銅像を少し入って奥に進んでいくと・・・

お~!ここが岩崎弥太郎の生家か~


これが噂の石で描いた日本列島か~


自分も記念撮影~


こんな辺境の村でよくもまぁでかい志を持てたものだ


そうだ、土佐 行こう

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【人間力第95回】偉人の名言

 

我々は非常にラッキーな時代に生きているものです。何せボタンを押すだけで簡単に今までの偉人に触れることが出来る。偉人は、偉人であるが故に、名言を口にしている。当然の様だが、これは物真似におおいに使える。

その人の名言を知ることは、その人の思考に触れることが出来るということだ。この名言は、日々呪文の様に心の中でも唱えることによって自分の信条にしてしまうことも出来るし、いざという場面で自分に一喝する救いの言葉、励ましの言葉とも成り得る。次に、私が心に留めている名言を少し紹介します、というか、すでにこのブログに何回も登場しています。

 坂本龍馬が、言う。
「世の人は、我を何とも言わば言え。我が為す事、我のみぞ知る」

 高杉晋作が、言う。
「おもしろき、こともなき世を、おもしろく」

 織田信長が、詠う。
「人間五十年、下天の内をくらぶれば夢まぼろしのごとくなり、一度生をうけ滅せฺぬ者のあるべきか」

 伊藤博文が(高杉を評して)、言う。
「動けば雷電の如く、発すれば風雨の如し」

 猪木寛至が、言う。
「元気があれば、何でもできる」

2012年7月4日水曜日

切腹のはじまり

「浮世をば 今こそ渡れ 武士(もののふ)の 名を高松の 苔に残して」

■切腹について
 戦国時代以前の武士道において、切腹の作法は確立していなかった。切腹の例はあったが、単なる自殺の手段のひとつであった。無念のあまり行う「無念腹」のように、内蔵を引きずり出すなど、その凄惨ぶりを披露する場合もあった。
 
 また、戦において捕らえられた高い身分の武士も、大抵は首を刎ねるのが普通であり、切腹させるといった習慣は無かった。場合によっては磔にする事もあった。
 
 切腹の作法が変化する転機となったのは、この清水宗治の切腹からであった。水上に舟を漕ぎ出し、そして切腹の前にひとさし舞ったのち、潔く腹を切り、介錯人に首を刎ねられた清水宗治の作法は見事であるとして、それを実際に見た武士達の賞賛を受けた。秀吉は信長の敵討ちのために一刻も早く京へと戻りたいところであったが、「名将・清水宗治の最期を見届けるまでは」と陣から一歩も動かなかったといわれている。また、後に小早川隆景に会った秀吉は「宗治は武士の鑑であった」と絶賛したという。

 これ以降、武士にとって切腹は名誉ある死という認識が広まり、また刑罰としても切腹を命じる習慣が広まった。後に秀吉は、豊臣秀次、千利休らを処罰するにあたって、切腹を命じている。

以上はWikiより抜粋、以下は実際のその現場。


「まさか、あなたは」
と言いかけるのを末近はおさえて、申されるな、自分も腹を切るつもりだ、といった。

末近がいうのに、自分は軍監を命ぜられてこの城に入ったときからどのみち死を覚悟していた。なぜなら、もし清水どのが羽柴方に走ったとすれば自分はすかさず貴殿と刺し違えて死なねばならぬ、また貴殿が城を枕に討死なさるとすれば自分もまたその横で死なねばならぬ、ところがいま意外にもこのような仕儀になった、もともと貴殿と死ぬべかりし自分がひとり生きていることはできぬ、ということなのである。

宗治はしばらく考えていたが、やがて、

「では、賑やかに参ろう」

と了承した。



最後までお読みいただきありがとうございました m(_ _)m
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2012年7月3日火曜日

秀吉の着想

「やはりだめか」
と、現場の奉行たちは、水勢をぼう然とながめながらつぶやいたりした。

秀吉はしかし望みを失わなかった。この男は自分の着想がかつて失敗したことがないということを知っており、着想が悪いのではなく、着想を実現する方法がみつからないだけのことだという程度にしか考えていなかった。秀吉は方法の発見に苦しめばよかった。この種の男には望みをうしなうということが、本来ないのかもしれなかった。

2012年7月2日月曜日

秀吉とくわんぴょうえ

 
官兵衛が秀吉を見ていると、たいていのことでは自分のほうが上だと、内心思う。
(自分が織田家にうまれていれば、むしろ秀吉を使う側になっている)

子供っぽいことではあるが、秀吉に腹を立てたときなど、ついそう思ってみずから慰めている自分に気づくことがある。人間は複雑に噛みあった条件で関係ができているわけで、それだけのことではないか、と思い、気を散ずることにしているのだが、この備中高松において自分ではどうにも太刀打ちできないほどの秀吉を見てしまうはめになった。

それまで、官兵衛は秀吉にただ二つの長所を見出していた。ひとつには、ひとの意見を、愚者のような、ときに幼児のようにぽかんと穴のあいたような表情で聴き入ることだった。

(あれだけは、あの男の生得の徳で、どうにもまねができない)

2012年7月1日日曜日

土佐日記~岩崎弥太郎故郷~

 ついに来た!

岩崎弥太郎先生と記念撮影だよ~


そうだ、岩崎弥太郎先生に会いに 行こう。

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