2012年8月29日水曜日

一通だけ残っているお龍あて/慶応三(一八六七)年五月二十八日

 
その後は、きっとお気遣いの事でしょう。

先頃から、度々紀州の奉行や船将などに交渉しましたが、何分女の言い抜けのようなことで、度々議論しているうちに、近頃は病気だと言って会わないようになっていますが、後藤象二郎と二人で、紀州の奉行の所へ行き、じっくりとやっつけたので、義論も激しくなり、昨夜は今井・中島・小田小太郎なども来て、やかましく責め立てて、夜中の十二時過ぎに帰ってきました。

昨日の朝は私が紀州の船将に会い、十分議論し、また、後藤象二郎も紀州の奉行へ出かけ、強い調子で意見を述べたので、とうとう紀州も今朝になってたまらないと思ったらしく、薩摩藩へ頼みに行き、何とかして取り成しを入れてほしいと言ったそうです。

薩摩藩からは、あのいろは丸の船代、それに積み荷の代金をお支払いするので、その場へおいでくださればと言ってきたので、私からはそれはそれでよろしいが、土佐の士を、鞆の港に置き去りにしたまま長崎へ出たことは、なかなか許せません。

このことについては、紀州から主人土佐守へごあいさつをいただきたいなどと言ってあります。

このことはまた交渉がまとまらず、戦争になったとしても、後藤象二郎と一緒に仕掛けつまり、土佐の軍艦をバックに使ってやっつけますので、決して決してご心配なさらないでください。

まあそんなわけで、さようなら。
  五月二十八日夕    龍
    鞆殿



なお、先頃土佐藩の蒸気船夕顔という船が大阪から来ていて、その便でご隠居様から後藤象二郎に早々上京するようにとのこと、私も上京するようにと象二郎が言うので、この紀州との談判が片づいたならば、私も京都に参ります。

今後の状況は楽しみです。

しかしそのようなわけで下関へ寄ることが出来ないかも知れません。

京都には三十日も滞在すれば、すぐ長崎へ象二郎と一緒に帰りますので、その時には必ず必ず下関にちょっとでも帰ります。

お待ちください。

○おかしな話があります。
お竹に言っておやり。

直次は最近黒沢直次郎と言っています。今日紀州藩の船将高柳楠之助の所へ、私から手紙をやってありますが、取り次ぎが言うには高柳は昨日から留守なので、夕方には来るでしょうとのことでしたので、そこで直次郎はおおいに腹を立てて言うには、この直次郎が昨夜十二時頃ここに来ましたが、その時は高柳先生はおいでになりました。

それにもかかわらず、留守とはこの直次郎聞き捨てならぬと言ったら、とうとう紀州の奉行が私まで手紙を寄越して、直次郎におわびしたことを伝えてきました。

おかしなことです。
さようなら、さようなら。

この度小曽根清三郎が曽根拙蔵と名前を変えて出かけてきています。

伊藤助太夫の家に泊まると思いますが、まあまあ知らぬ人としておくよう、助太夫にも奥さんにもお竹にも、知らない人としておく方が良いでしょう。

後藤象二郎が送ってきました。

     さようなら、さようなら。

2012年8月26日日曜日

【人間力第101回】第六章ダイジェスト



【第六章ダイジェスト】

・自分の好きな事に没頭出来るバカになる。

・周りの目を気にしないバカになる。

・面白いバカになる。

・一生かけて続けられる、自分だけの“好き”を見つけてしまう。

・自己啓発奥義、“物真似”の実践。

・かけがえのない人間になる為には、いつも普通じゃないことをしなければならない。

・道徳に則っていれば、この世の中やりたい放題。

2012年8月21日火曜日

三吉慎蔵あて/慶応三(一八六七)年五月十七日

私はこの頃非常に忙しく
別紙のように福田氏より
もうしあげたことをお聞き取りくださいませ。
          ○近日に出航のとき

○長久丸には土佐商会の
者を一人付き従えさせ、下関在番所
でお引き合わせしたいと
思っております。謹んでもうしあげます。

 五月十七日         龍
慎蔵先生 足下


三吉慎三様
  〆           直柔

2012年8月19日日曜日

【人間力第100回】馬鹿の振りをする


人間力も100回目か~、もう少しだけ、続きます

この章のお題でもある“バカの才能”については長い間興味を持ってきた。そして、バカは時として誉め言葉であり、天才と紙一重の存在である様な気がしてならなかった。一方、ただの馬鹿は確かにいる。“紙一重のバカ”と“単なる馬鹿”、一体この違いは何なのだろうか。矢沢永吉氏が言っていた言葉がヒントになるかも知れない。

「馬鹿は何やってもダメよ。ただココだけがポイント、馬鹿になりきれるかってことよ。いかに馬鹿の振りをするか」

最近読んでいる本では、それが「童心」という言葉で使われていた。たぶん、本質は一緒。

2012年8月15日水曜日

寺田屋伊助あて/慶応三(一八六七)年五月中旬

拝啓
    伏見宝来橋京橋の回船宿
         大浜濤次郎事
  寺田屋伊助様 才谷梅太郎事
           取巻抜六
         親展
        望遠鏡一つ
        時計 一面 添

ますますご無事にお過ごしのこと何よりです。

私はこの頃隠居している主人より脱藩罪が許されましたが、土佐へは帰らず、そのまま長崎で以前から共にしていた人たちを預けられることになり、私は海援隊長を申し付けられ、すなわち長崎で学問所を開き、若者の世話をしています。

この頃藩主の用で荷物を大阪に送る途中、備後箱の岬沖で紀州藩船の明光丸という船が、私の船の横に乗り掛け、図らずも私の船は海の底に沈んでしまいました。

これよりまた長崎へ帰ります。

この度の事は紀州はどういう勢いか、あまりにも無礼な事で、私の仲間たちや便船を借りる件などは鞆の港へ置き去りにし、藩主の急用があると言って長崎へ出帆しました。船の荷物はもちろん、便船を借りる件も皆金も何も

2012年8月13日月曜日

【人間力第99回】人生、自分が主人公




 世の中には色々なルールがある。法律をはじめ、社則や校則、一般常識、エチケットやマナー、数え上げたらキリがなく、正にがんじがらめの状態の様だ。でもこれらは所詮、自分と同じ人間が決めたもの、そんなに固く考える必要もない、ある一つを除いては。

 これらの常識も国が違えば当然異なってくる、習慣が違うのでルールも異なってくる。ある国の“常識”が、ある国では“非常識”となることもある。ただこれだけ文化や習慣が違っていても、どんな法律があろうとも、“道徳”というものにのっとっていれば、世の中やりたい放題とも考えられるのだ。

 道徳――人のふみ行うべき道。ある社会で、その成員の社会に対する、あるいは成員相互間の行為の善悪を判断する基準として、一般に承認されている模範の総体。法律のような外面的強制力を伴うものでなく、個人の内面的な原理。今日では、自然や文化財や技術品など、事物に対する人間の在るべき態度もこれに含まれる。(広辞苑より抜粋)

 つまり、「人としての道」に反しなければ、何をやったっていいとも考えられる。規則なんてものはタイミング的にも不変というものではない。時代が変われば規則も変わっていく。その変化に順応出来なければ、人はどんどん退化していってしまう。

 この事は次の章に譲るが、とにかく今の常識を壊すくらいのバカさがあっても良いのだ。というか、それこそがパワーでもあり、バカの才能であり、同時に今まで文明が発達してきた要因なのではなかろうか。勿論、道徳に則った上での話。常識には従うだけではなく、時には疑い、真実や本質を見るように注意したい。頭から常識に従って毎日を過ごしていれば、自己啓発はままならない、人間力も磨かれないのでしょう。

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