2013年4月29日月曜日

【人間力第109回】言葉の重み



武士に二言なし、という言葉が出て来たのでここで言葉について改めて考えてみたい。第二章の思考と関連付けて言葉については少々考えてきたが、今回は違う視点で見てみたい。武士は信義を重んずるので、いったん言ったことを取り消すようなことはない、ということから「武士に二言なし」と言う様になったが、これはそのまま実践として使え、人間力に重みをつけるようだ。



★★★実践★★★
有言実行、武士に二言なし

口にした事は、必ず実行する。するとやがて、発する言葉に重みがついてくる。それはつまり人間として図太い芯が生じて重みがついていく様であり、そのまま“信”となって人間力の魅力になる。これとは逆の人間を評価するのに、よくこんな言葉を聞く。

「あの人は言っている事と、やっている事が違う!」

こう言われている人は、発する言葉はことごとく軽く受け取られ、人間として信用されない。前者になるのも後者になるのも自分次第なのである。



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2013年4月15日月曜日

【人間力第108回】武士道とは具体的に何か


例えば、先に日本人として挙げた礼儀がある。日本人の礼儀正しさは世界の人々が知るところというのは既に述べた。これもずばり武士道によるものなのだ。
「礼は他を思いやる心が外へ表れたものでなければならない」
と“武士道”著者新渡戸稲造も言っている。
 


 例えば海外に出ると、または海外と関わりを持つと、我々日本人には考えられない“いい加減さ”を感じることがしばしばある。例えば、言っている事としている事が違う。それも日本で聞く次元ではない話だったりする。この感触は我々日本人が最も敏感に感じることだろう。これは武士道で言う“誠”の精神があるからだ。「言」と「成」から成るこの精神、言い換えれば「武士に二言なし」とも言える。

 また、こんな話もある。第二次世界大戦中、インドネシアの沖で日本に撃沈されたイギリス兵420名余りが漂流していた。ここを通りかかった日本艦雷(イカヅチ)はその艦長工藤俊作氏を始めとして、海軍兵学校で学んだ武士道を貫いたのだった。
「敵とて人間。弱っている敵を助けずしてフェアな戦いは出来ない」
これは“武士の情け”として知られる慈悲の精神、“仁”によるものだ。

 その他武士道は細かく言うと、“義”、“勇”、“名誉”、“忠義”、“克己”、“刀”などに分類され、幕末の乱世に生まれた新渡戸稲造によって記されている。朗読は、是非。



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2013年4月14日日曜日

【人間力第107回】宗教武士道


ところで、海外に居ると宗教を問われることがしばしばある。そこで自分は、
「武士道」
と答えることにしている。すると大抵の人は、聞いたことがありそうなこの言葉の意味を聞いてくる。私は、こう答える。
「サムライ・スピリット」


 先に日本の特徴として5つほど例を挙げたが、最も注目すべき特徴を我々は別に持っているのだ。それは最も洗練されていて、高品格、且つ世界でも類ないその精神、武士道である。武士道はもともと鎌倉時代より発達し、江戸時代に儒教思想の裏づけによって大成した道徳である。もっとも“武士の道”と書くくらいで、江戸時代では士農工商のうち武士階級に見られた道徳精神だ。しかしこれが他の農工商までに影響を及ぼし、武士階級が廃止されてからもなお大和魂として、武士道は今でも生き続いているのである。自己啓発、日本人でこれを行うものならこの精神から学ぶことを無視出来ない。





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2013年4月12日金曜日

TOEFLって、そんななの?

TOEFLについてWikipediaで見る機会がありました。以下、気になるところを抜粋。

受験要綱によると試験会場はETS側で無条件にどこの会場にでも変更可能となっており、受験生は前日に必ず申し込み会場に変更がないのかをホームページで確認することが義務づけられている。過去の事例では、東京の会場に申し込んだ受験者の会場が、前日にアフガニスタンの会場に変更されており、受験できなかったなど事例が多数ある。

感想;
Sにも程があるって。

2013年4月11日木曜日

NPO法人日本PRが無料の日本語レッスン Japanese Class をバンコクで開始

特定非営利活動法人日本PR(本社東京都)がバンコクの名門チュラロンコーン大学にて無料のレッスン[Japanese Class]を行っている。生徒は現役同大学のタイ人生徒をはじめ、ベルギー、トルコ、韓国、アメリカなどさまざまだ。

Japanese Classの特徴は、学校では教えてくれないような自然な言い回しや、実際に使われる現場の生きた日本語を、[楽しみながら]覚えていくこと。その為、教材は現時点ではなく、会話だけでレッスンが進行されている。また、能力によるクラス分けをしていないので自然とレベルがまちまちとなるが、日本語能力が高い生徒は他の生徒に教えることで学ぶ、そんなおもしろい雰囲気がレッスン中にはあるのが何よりの特徴とも言えるのだとか。

レッスンは毎月第二、第四土曜日にチュラロンコーン大学のMahit Talatibetビルの1階にて行われている。詳しい情報は下記ページよりコンタクトできる。

www.facebook.com/NipponPR/
www.meetup.com/Japanese-Class/

バンコクで携帯を買い→壊れて→修理出して→売るに至るまでを記録してみた





3ヶ月による闘いが終わりに至ったのでここに記録してみる。ドバイの空港で携帯を失くしたので、新しく携帯を買うことに。向かった先は、


















MBK。
色んなものが安く売っているので、何気に利用させてもらってます。



















今回、狙っているのはGALAXY TAB。
自分、電話で話している時よりも、メール見たり、Kindle経由で本読んだりすることが多いので、画面でかい方がいいだろう、でかい方が今度は失くさないだろう、ということから我ながらナイスアイデア。

で、携帯となるとさすがにそこらの無名なところでは買う気が起こらない。なんか、怪しいじゃないですか。まがいもん掴まされてもアレですし。で、SAMSUNGに直行。→在庫なし。ということでやむなくそこらの無名なところで・・・、いや待てよ、まがいもん掴まされてもアレだし、と頭をよぎりましたがね、もうこの時点で携帯ない生活が数日続いてたんで、そこらの無名の店でGALAXY TABを購入。

4ヶ月経過。

まぁ画面が大きいんでかなり良かったんですが、電話する時にどうも支障を感じましたね。タブレットがでかくて恥ずかしいとか、そんなんはどうでもいいんですけど、いや、むしろ男らしくてそれが誇らしいくらいで良かったんですが、自分の声をうまく拾えないようで相手に「えっ?」「えっ?」って言うのがわずらわしかったですね。

で、愛着もそろそろ冷めてきたころ、タイミングよく画面がフリーズ。リスタートしてもSAMSUNGのロゴが出てきた後はフリーズ。これはまずい。3週間前に引越しした際にBOXとか全部捨ててしもうた、保証書とかあったのか解らんが、レシートとかも捨ててしもうた。これだといざとなった時に闘えない、とおもいつつも購入店に持っていき、修理依頼へ。

数日待っても直らないので、ここはタイの傾向として長期戦になると判断し、GALAXY NoteⅡを正規店で購入。かれこれ携帯を持ち始めて20年弱、携帯を落としたのも初めてだし、携帯が壊れたのも初めて、一年間に携帯3回も買うのも初めて、初体験がいっぱい!

MBKのその店に行く(もしくは電話)→「まだ直ってない。来週まで待って」というのがしばらく繰り返された。どれくらい繰り返されたかっていうと、こんな感じ。

MBKのその店に行く(もしくは電話)→「まだ直ってない。来週まで待って」
MBKのその店に行く(もしくは電話)→「まだ直ってない。来週まで待って」
MBKのその店に行く(もしくは電話)→「まだ直ってない。来週まで待って」
MBKのその店に行く(もしくは電話)→「まだ直ってない。来週まで待って」
MBKのその店に行く(もしくは電話)→「まだ直ってない。来週まで待って」
MBKのその店に行く(もしくは電話)→「まだ直ってない。来週まで待って」
MBKのその店に行く(もしくは電話)→「まだ直ってない。来週まで待って」
MBKのその店に行く(もしくは電話)→「まだ直ってない。来週まで待って」

いやいやいや、どんだけ待たせんねん。昨年の10月に買いました、壊れたのが1月末、即日修理には持ってってるんで出したのも1月末、で、4月に入って一向に直らないんで、さすがに真面目に言いまして。そもそも、なんで自分が毎回確認しなければならんのだ?、ということで、[来週末までに状況を明確にさせ、(店側より)連絡してもらうこと]を約束。いや、中古とかじゃなく新品を購入してたった4ヶ月で壊れて、しかも2ヶ月修理に出してまだ直ってない、その上果たして直るかどうかも解らなくなってきてる状況ですからね、さすがにお店の人も同情、何度も謝罪はしてもらってるんですよ。いや謝罪するなら携帯直してくれ、みたいな感じなんですがね。

ともかく、そんなんだから、きちんと約束してもらいましたよ。お店の人もそりゃこんな状況ですからね、さすがに今回は真面目に約束をしてくれました。僕も2、3度電話番号とか再確認して、その約束の一週間後を待つことに。

一週間後。

来るわけないじゃないですか~。大丈夫、そもそも、ハナから信用してないので。これはタイだから、というわけではなく世界中どこでもこんな感じなんじゃないのかな。なんというか、この手の約束はあってないようなもんです。日本だけは、ちょっと違うかも知れない。で、ともかく、これで自分の中で一線が引けました。もう、この店には時間をかけてはいられない。本案件に対する最終目標は携帯をなるべく高く売ることにあるわけなので、4月末にSAMSUNGの新機種が出る前になんとかカタをつけたいのです。時間が、もったいない。

で、MBK内の店に引き取りにいく。「3,000バーツかかるけど、直るかも知れない」なんて言ってましたが、直るかも知れない、ということは直らないかも知れない、それでも3,000バーツかかる、という様なしょうもないことを言ってましたが、あまり相手にせずにその日は帰宅。


















で、SAMSUNGのサービスセンターに持っていったところ、修理は不可、と判明。要は、そのタブレットはアメリカ生産のようで、タイのソフトウェアとの互換性に問題がある模様。






そして最後の砦、

















パンティップへ。

まだ1月の壊れる前も、実はこの電化製品の聖地に来ていました。下取りに出したらいくらくらいかな、と。10月にMBKでの購入額は13,000バーツ、聞いたところ、5,500バーツとの事。まぁ、そんなもんですかね。でも、今回は完全壊れてますからね、電源入れて、SAMSUNGのロゴが出て、後はフリーズしている状態。そんな状態で果たして売れるのか?まぁバラして、使えるパーツもあるだろうから、500バーツもいけばいい方か、なんてそんな感じでしたね。

一応、いつもお願いしている修理屋に持っていくと、別の店に連れてかれ、「お~い、この携帯見てやってくれ」という状況に。ここパンティップは、いつもながらに店と店の連携がすごい。その店の人に聞くと、「大丈夫、100%直る、1時間くれ、代金は800バーツだ」なんだかわからんがともかくすごい自信だ。MBKで2ヶ月かかっても直らなかったものを、SAMSUNGでも修理不可、と言ったものを、状況を見て5秒くらいでの発言。すごい根拠がないっぽい!絶対信じられない!とは思いつつも、「100%直る!と言ってた人が直らなかった場合になんて言い訳するのか見たさ」に修理依頼。結局、1時間40分後に修理不可と判明、100%の店員さんは残念ながら接客中だったので言い訳は見れませんでしたが、ともかく最後の砦でも修理不可、よほどの重態なのでしょう。。

で、この重態さ加減で、そもそも買い取ってくれるのだろうか。100Bくらい??とも思いつつ、1月に5,500バーツで見積もってくれたところに持っていく。状況も説明する、壊れてる、と。店員さん、しばらく状態を確認。で、電卓を叩いた金額はなんと2,500バーツ!うっそ~ん!?もう、その時といったら体中の白血球と赤血球が盆踊りじゃなくてサンバを踊るくらいに踊りあがっちゃいましてね、でも、顔はクールですよ、できるだけ。結局、壊れた携帯は2,500バーツで売れました。さすがは聖地パンティップ。

では、今回学んだ教訓。
一、携帯を買う時はやはり正規店
二、タブレットは通常通話に支障がある(イヤホンは勿論問題なし)
三、電化製品系は、やっぱりパンティップ
四、GALAXY NoteⅡの画面サイズがベスト






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2013年4月7日日曜日

レベル3-B 「すね者」タイプ

 このタイプの人は投資がどうしてうまくいかないか、その理由を延々と説明できる。こういう人がそばにいると危険だ。たいていの場合、彼らは頭がよさそうに見え、もっともらしい話し方をし、自分の専門分野ではかなりの成功を収めている。だが、知的に見えるその外観のしたに隠れている正体を明かせば、ただの臆病者にすぎない。彼らはどんな投資についてでも、なぜそれに手を出したらお金を「だましとられる」ことになるのか、どんな仕組みでそうなるのか、きちんと説明できる。こういう人に株やそのほかの投資について意見を求めた人は、結局、ひどくいやな気持ちにさせられる。また、恐怖心や猜疑心を植えつけられることもよくある。このタイプの人は、「前にやられたことがある。二度とあんなことはさせない」などとよく言う。また、「メリル・リンチの私のブローカー、ディーン・ウィッターが・・・」などと人の名前をよく引き合いに出すが、そんなふうにするのは心の奥底の不安を隠すためだ。

 ところがおかしなことに、こんな人にかぎって株式市場の動きに踊らされることが多い。仕事場ではいつも新聞の株式欄か、『ウォールストリート・ジャーナル』を読んでいる。そして、休み時間になると自分が読んだことをみんなに話して回る。彼らの話には最新の投資用語や専門用語が次々と飛び出す。うまい儲け話もよくするが、自分では決して手を出さない。新聞の台一面をにぎわすような株をいつもさがしていて、よさそうなことが書いてあると買う。問題は、新聞に載ってから買ったのではもう遅すぎることだ。ほんとうに賢い投資家は、ニュースになるずっと前に買っている。すね者タイプの投資家はそのことを知らない。

 このタイプの人はなにか悪いニュースが耳に入ると、「こうなることはわかっていたんだ」などと言う。彼らはゲームに参加した気になっているが、実際はコートの外の観客にすぎない。ゲームに参加したいと思っているが、心の奥底ではけがをすることをひどく恐れていて、参加できない。彼らにとっては楽しむことより安全であることの方が大事なのだ。

 精神科医によると、臆病とは恐怖と無知が合わさったもので、ときには傲慢へと変化する。このタイプの人はよく、株価の波の頂点が来てからそれに乗ろうとする。大衆あるいは社会が、自分の決定が正しいことを証明してくれるのを待ってから参加するからだ。そんなことを待っていたら、市場が上がりきったときに買い、下がりきったとき、つまり市場が暴落したときに売ることになって当然だ。そんなふうになると彼らは「またやられた」などと言うが、彼らが最も恐れているはずのこの事態は何度でも繰り返し起こる。

 すね者タイプの投資家はプロのトレーダーからよく「ブタ」と呼ばれる。ブウブウと鼻を鳴らして大騒ぎしたあと、自分から進んで畜殺場へ走っていく。彼らが株を高いときに買い、安いときに売ってしまうのは、あまりに賢くて慎重になりすぎているからだ。彼らはたしかに賢いが、危険を冒すことや間違いを犯すことをひどく恐れている。だから、一生懸命に勉強してどんどん賢くなる。そして、知識が増えれば増えるほど、より多くの危険が見えるようになる。臆病になったすね者は、慎重になりすぎて好機を逃す。欲が恐怖に打ち勝ってからやっと市場に参加するからだ。ほかのブタといっしょに餌箱に集まったところで彼らは殺される。

 だが、すね者タイプの投資家が抱える最大の問題は、彼らが回りの人に恐怖を植えつけることだ。その恐怖は知性の衣をつけているからなお始末に悪い。彼らはたとえば投資の話が出たとすると、それがうまくいかない理由はいくらでも説明できるが、どうやったらそれをうまくいかせることができるかは話さない。話せないのだ。大学や政府、宗教、マスコミなどの世界にはこういう人がたくさんいる。彼らはお金がらみのことでなにかひどいことが起きたり、不正が行われた話を聞くと大喜びする。そうすれば持論を披露できるからだ。投資に限って言うと、彼らはフットボールのゲームが終わった翌日の月曜日に、結果論であれこれ批評する「月曜クォーターバックス」そのものだ。ただ、好プレーも取り上げる月曜クォータバックスと違ってすね者の場合は、投資の成功例についてはほとんど何も言わない。彼らにとっては、あらさがしをする方が楽だからだ。それが自分の知識のなさ(あるいは勇気のなさ)を人に悟られるのを防ぐ、彼らのやり方なのだ。

【人間力第106回】太平の世の落とし穴



我々は、歴史からものごとを学ぶことが出来る。中世以来、現在までも含めて江戸時代ほど長く続いた時代は、ない。264年の歴史がある。この時代、始めこそ内乱があったがその後の平和により、自己啓発をするという緊張感がなくなり、幕府の中で魅力ある人物があまり出て来なかった。その事を司馬遼太郎氏がまた感服させられる表現で記してあったので、そのまま紹介する。

「ヤクニン」という日本語は、この当時、ローニンという言葉ほどに国際語になっていた。ちなみに役人というのは、徳川封建制の特殊な風土から生まれた種族で、その精神内容は西洋の官僚とも違っている。極度に事なかれで、何事も自分の責任で決定したがらず、ばくぜんと、「上司」という言葉を使い、「上司の命令であるから」といって、明快な答えを回避し、あとはヤクニン特有の魚のような無表情になる。
上司とはいったいたれか。その上司とかけあおう。
と、外国人が問いつめてゆくと、ヤクニンは言を左右にし、やがて「上司」とは責任と姓名をもった単独人ではなく、たとえば「老中会議」といった煙のような存在で、生身の実体がないということがわかる

一方幕府外でも幕末時、士農工商という階級の上にいた特にこの武士、さらに言うと武士でも身分が高い上士の方が堕落してしまった部分も伺える。

これは仮説だが、今の世を江戸時代の“太平の世”と同様に考えられないだろうか。勿論、諸事ものごとが異なっているのは承知の上だ。しかし、こと平和という視点から覗いて見るとどうも見逃せない。誤解していただきたくないのはこの太平の世の事を否定しているのではない。現に江戸文化というのは当時世界で最も華があったと言われる文化であることを私は誇りに思っているし、武士道が確立されたこの時代は現代日本人の性質の基盤になったものだとも考えている。例えば、現代日本人が一分という時間にも気を配るのは、この江戸時代“時泥棒”という言葉が生まれるような文化があったからだ。そんな筆者の意見は別として、とにかく言いたいことは、人間とは平和ボケをしやすいものだ、ということであり、その平和が今の時代に例えることが出来るならば、我々はそれに溺れないように肝に銘ずべきことだということである。

そしてこれは、例によって自己啓発にも置き換えられる。政権には革新派に対する保守派がいる様に、人はあらゆる自分の今までのやり方をわざわざ変えたがらない、いや、変える必要性すら感じない人もいる。極論として、この保守派を貫き通したら、10年後は何も変わっていない。自己啓発とは、そういった自分の心の中にいる保守派に負けない様に現在の状況から革新していくものだ。何度も繰り返すが、平和が悪いというわけではない。むしろその状況まで持っていった先人や、こと自分単位で考えればその自分をも誇りに思えることであろう。そしてここの平和まで上り詰めた状態からさらに、自己啓発を行えば、また次の発展が遂げられるのだ。

自分はもう一言これに付け加える。まるで全てを変えなければならないと言っている様に聞こえるかも知れないが、それは大間違いである。変えるべきではない部分と、変えてゆく部分に分けることだ。人はもはや変化しなければ生きていけない、この世の中である。だからといって何でも「自己啓発だから」なんてしていたら、ついには自分というものを見失いかけない。そういった時に、
「初心忘るべからず」
という言葉があるのだろう。芯を持つことが大事なのだ。そういった意味も含めて第一章の「自己啓発をはじめる前に」を再確認してある。また、たまには自分のことを本当に知っている幼馴染の友人にも、耳を傾けるようにもしている。

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